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【コラム】ベンジャミン・ブリテン『ピーター・グライムズ』作品・プロダクション解説

ミラノ・スカラ座公演より Photo: Brescia and Amisano Teatro alla Scala

ジ・アトレ誌7月号より

文●森岡実穂〈中央大学教授〉

ブリテン没後50年である2026年に、新国立劇場が取り上げるのは、名作の誉れ高い『ピーター・グライムズ』。待望の初登場となる世界的演出家ロバート・カーセンを迎え、大野和士芸術監督の指揮の下、理想的な歌手陣と共に、現代にも通じる「共同体の闇」と「はじき出された者の哀しみ」を描くダイナミックな音楽劇は、2026/2027シーズンの最大注目作だ。


日本とロバート・カーセン


ロバート・カーセンと日本の縁は深い。2000年代には、小澤征爾の盟友として、彼の企画に何度も招かれていた。初来日、サイトウ・キネン・フェスティバル松本での『イェヌーファ』(01年)での衝撃は忘れがたい。その後は『ラ・ボエーム』(04年)、『エレクトラ』(05年)、『タンホイザー』(07年)と続き、19年松本でファビオ・ルイージ指揮で上演された『エフゲニー・オネーギン』はご覧になった方も多いのでは。ほかに兵庫県立芸術文化センターでの『キャンディード』(10年)も。フェニーチェ歌劇場『椿姫』(05年)、バイエルン国立歌劇場『ナクソス島のアリアドネ』(11年)、ミラノ・スカラ座『ファルスタッフ』(13年)と、大型歌劇場の来日公演での登場の多さも彼の演出への人気と信頼の厚さを示している。そんなカーセンがついに新国立劇場に待望の初登場である。


「異質」を排除する、閉塞的な共同体を視覚化


1945年に初演されたベンジャミン・ブリテン作曲『ピーター・グライムズ』は、19世紀のイギリスの田舎の漁村を舞台に、共同体にはまれない孤独な漁師ピーター・グライムズの悲劇を描く。少年徒弟を海上の事故で死なせてしまい、次の徒弟にも荒っぽい扱いを変えない彼に村の人々は不安を強め、ついには断罪と排除への動きへと至る。再び徒弟を死なせてしまった後、彼の理解者だった寡婦の教師エレン、退役船長バルストロードにも、できるのは彼を「見送る」ことだけだった――「異質」な者をスケープゴートにしてその結束を保つ相互監視的な社会の残酷さは、昨年上演されたもうひとつの20世紀オペラの傑作『ヴォツェック』同様、多様性と共生という思想にまさかの逆風が吹く2026年の世界にとって実に生々しい感触をもって浮かび上がる。


今回のカーセン演出『グライムズ』は既にミラノ・スカラ座で初演されており、その舞台の特徴を紹介してみたい。この演出で強調されるのは、まずその社会の閉塞感だ。舞台は三方を高い壁に囲われており、裁判所も酒場もグライムズの家も、すべてがこの中で展開される。壁の中程の高さには回廊が設けられていて、共同体の「圧」が強まる場面で印象的に使われる。第1の間奏曲「夜明け」では、裁判の証言台上のグライムズに向けてこの回廊に並んだ人々がナイフを突きつける、という彼の絶望的な心象風景が浮かび上がる。また2幕、グライムズが新しい徒弟に暴力をふるい始めたことが分かった後、村人たちがこの回廊に登って、文字通り上から、エレンも共犯であるかのように糾弾する場面も強烈である。

ミラノ・スカラ座公演より Photo: Brescia and Amisano Teatro alla Scala


作品の解像度を上げる演出


カーセンの舞台が世界中で人気が高い理由のひとつは、歌手の演技について、台本と音楽そのものの解像度を上げる表現に彼が注力しているからだろう。彼の演出作品を見ると、それまで気づかなかった台本の細部、感情的な因果関係がすんなり目と耳に入ってくるのだ。今回も見せ場のひとつ、2幕でエレンに徒弟への暴力を非難されたグライムズが、小屋に戻り徒弟に準備をさせながらひとり歌う場面は見事。徒弟への呼びかけ、独り言、さらに妄想の世界に入り込む瞬間もある中、徒弟との距離感を軸に、セーターなど小道具も使いつつ、なぜそこに変化が起こるのかが納得いくようにこまやかにフェーズを刻んでいる。この演出の要求を実現するため、ミラノに続き東京でもブランドン・ジョヴァノヴィッチをグライムズ役に迎えられることは僥倖である。そしてもちろん、20世紀のオペラを得意とし、ブリテン作品の経験も豊富な大野和士と、東京フィルハーモニー交響楽団がいてこそ、この精緻な音楽劇は完成するのだ。


村人たち各人の「個人」としての存在感も、カーセン演出ならではのレベルの高さである。冒頭のグライムズの裁判場面から明白だが、彼らの在り方が確実に物語内の因果関係の密度を上げている。世界の演出家たちから歌・演技ともに賞賛を受ける新国立劇場合唱団の力の見せ所であろう。3幕、グライムズへの不安が高まり排他的なうねりとして爆発する瞬間、それを聴いた私たちの足元にも深淵が広がるだろう。


ミラノ・スカラ座公演より Photo: Brescia and Amisano Teatro alla Scala

充実した歌手陣


世界の大劇場でその伸びのある強い声、繊細な弱音を駆使し、数多くの情熱的な役を歌ってきたジョヴァノヴィッチにとって、グライムズは間違いなくはまり役である。直近ではブリュッセル・モネ劇場『ノルマ』題名役ほか歌と演技を繊細に融合した名演を残してきた英国出身のソプラノ、サリー・マシューズのエレンを聴けるのもうれしい。ジョーダン・シャナハンはバイロイト音楽祭ほか世界中でひっぱりだこのバリトン。グライムズを支えようとし、しかし支えきれなかった男の深い情と哀しみを、彼のバルストロード船長の中に聴けるにちがいない。


冒頭、合唱と交錯しながら判事スワローが高圧的にグライムズを断罪していく場面は、この作品全体のトーンを決めるところ。同じくブリテン『夏の夜の夢』のパック役で深く響く英語のセリフを聴かせた河野鉄平が、今回も場面を締めてくれるだろう。村人たちのグライムズ迫害の煽動者となるボブ・ボウルズ役は糸賀修平。メソジストという厳格なキリスト教徒のはずなのにパブに入り浸るアル中もどきという人間らしい矛盾を抱えた彼は、自らの弱みを隠すように声高にグライムズを「悪」として断罪しようとする。常にきちんと歌うことを基礎に人物像を編み上げてみせる糸賀にぴったりの役だ。


村人が集まるパブの女主人「アーンティ(おばさん)」ニコール・ピッコロミーニはライプチヒほかで『ニーベルングの指環』エルダを任される迫力あるメゾソプラノ。ボン歌劇場『エレクトラ』(2019年)ではクリテムネストラとして、今年の新国立劇場の同演目で題名役を歌うアイレ・アッソーニと共演している。アーンティの店で働く「姪」たちには渡邊仁美と今野沙知恵。本作のオアシスのような場面、2幕での傷ついた女性たち4人の重唱は、どんな豊かな色彩の織物となるだろうか。



上段から大野和士(指揮)、ロバート・カーセン(演出・照明)、ブランドン・ジョヴァノヴィッチ、サリー・マシューズ
ジョーダン・シャナハン、ニコール・ピッコロミーニ、渡邊仁美、今野沙知恵、糸賀修平
河野鉄平、齊藤純子、村上公太、吉川健一、大塚博章

【演出・照明】 ロバート・カーセン (Robert CARSEN)
トロント出身。今日最も人気のある演出家の一人として、ミラノ・スカラ座、パリ・オペラ座、英国ロイヤルオペラ、メトロポリタン歌劇場、ベルリン州立歌劇場、バイロイト音楽祭、ザルツブルク音楽祭をはじめとする世界の主要歌劇場および音楽祭で活躍している。最近の演出作品には、ミラノ・スカラ座「コジ・ファン・トゥッテ」、オペラ・コミック座「エベの祭典」、ザルツブルク音楽祭「皇帝ティトの慈悲」、パリ・オペラ座「アリオダンテ」などがある。ブルノ国立劇場、ベルリン州立歌劇場、テアトロ・レアルの共同制作により新制作したヤナーチェク作曲「ブロウチェク氏の旅」ではInternational Opera Awards 2025で新制作賞を受賞。その他にも、ケルン、上海、バルセロナ、マドリードを巡回した「ニーベルングの指環」、ミラノ・スカラ座「ドン・ジョヴァンニ」「ホフマン物語」「オロンテーア」、英国ロイヤルオペラ「アイーダ」「ファルスタッフ」「ばらの騎士」、アン・デア・ウィーン劇場「ねじの回転」など、大規模な作品を成功に導いてきた。数多くの演劇作品とミュージカル作品の演出に加えて、美術展の演出・アートディレクションも手がける多才さを見せている。新国立劇場初登場。



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