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【インタビュー】『ナターシャ』作曲 細川俊夫

細川俊夫

オペラの2024/2025シーズンの掉尾を飾るのは、細川俊夫のオペラ『ナターシャ』世界初演!

故郷を追われ彷徨う移民ナターシャと青年アラト、言葉の通じない2人が出会い、メフィストの孫に導かれて現代の地獄をめぐる旅。

多言語オペラとは、「7つの地獄」とは、そして作品に込めた思いとは― 8月の開幕が迫った今、作曲家・細川俊夫が大いに語る!

クラブ・ジ・アトレ誌8月号より インタビュアー◎森岡実穂(中央大学教授)

言葉が生まれてくる「もと」は海 世界の言語は音なら結びつくことができる


―細川さんの音楽では、大きな呼吸、自然の「息」としての風、そのエネルギーがひとつの魅力的な特徴です。今回の『ナターシャ』ではどのように生かされているでしょうか。


細川 今回も「息」は大事な要素で、序章では、息だけの音で劇場全体が充ちていくような場面をつくっています。「海」という言葉が30以上の言語で発され、そこから言葉が誕生していく。その部分は聖書の『創世記』の冒頭、「地は形なく、むなしく、やみが淵のおもてにあり、神の霊が水のおもてをおおっていった。神は『光あれ』といわれた。すると光があった」という部分をイメージして作ったんですね。海からの「天地創造」です。


 言葉が生まれてくる「もと」、僕は、それは海だと思うんです。そこには本当に東洋も西洋もないし、国境もない。世界にはいろんな言語が存在するわけですけど、そのおおもとのところはつながっている。言葉を文字で見ると、多数の違う言語がつながれると考えるのは難しい。でも音なら、音楽なら、それらは結びつくことができるんじゃないか。そこに、多言語オペラの可能性というのがあるんじゃないかと考えています。


―この「海」の前に、ナターシャとアラトがやってきます。


細川 すべてを失って、何もないふたりがその「始原の海」の前に立つと、その海の響き、そして息のことばが聴こえてきます。彼らはそれぞれ違う言語で歌っているのですが、音の海を通してなら互いに伝わるものがあるはずです。


 この2人の間には愛が生まれるわけですが、それはいわゆる19世紀オペラの男女の愛ではないのです。自然のすべてのものに対する愛といいますか、仏教的な世界の愛かもしれません。脚本の多和田葉子さんならではの「愛」、世界観です。


―そして「メフィストの孫」が現れて、2人を「7つの地獄」に連れていくわけですね。


細川 「始原の海」というのは、人間の心の中にある海でもあります。彼らが見ることになるさまざまな「地獄」、環境破壊のすがたは、そういう人間の持っている根源的なものが汚染され侵されていく過程なのですが、それをやっているのも人間自身なんです。いまや人間が自分でこの世を地獄にしてしまっている。


 そんな世界では悪魔にはもう出番はない。そういう時代だから、今回の案内役は、ゲーテの書いた『ファウスト』のメフィストフェレスよりスケールダウンした「孫」なんです。ちょっと情けない存在なので、音楽的にも滑稽なところがあります。


―「メフィストの孫」には、ラップのような部分もあるとうかがいました。「7つの地獄」では、音楽的にも様々なスタイルへの挑戦があるのでしょうか。


細川 2番目の地獄「快楽地獄」はプラスティックで汚染されている海がテーマです。そこで流れている綺麗な音楽を、プラスティックを打楽器のように使って出すノイズで侵食していくというようなシーンがあるんですね。そういうのはこれまでの僕の音楽にはなかった部分ですね。


―この場面では「ポップ歌手」2人がロックを歌うということですが......


細川 まあ、僕が書いたらどうやってもロックにならなくて。それで、ブルースみたいなハ短調の甘いメロディーの歌を書いて、その上に、サクソフォーンの大石将紀さんとエレキギターの山田岳さんによる即興的なロック的音響を重ねてみました。それで少し面白いことになったと思います。


 休憩前、前半の最後は4番目の「ビジネス地獄」で、ここではミニマル・ミュージック的な音楽を初めて書きました。「ビジネスマン」の歌には、中国の戦国時代の詩人屈原の詩やシェイクスピアからの引用もあり、歴史の断片が挟まってきますが、この辺の話は多和田さんに聞いた方がいいですね。



―後半の最初、5番目の「沼地獄」では街頭デモでのシュプレヒコールの録音が使われますね。


細川 環境問題のためにデモを行う団体の姿をちょっと皮肉っぽく描いています。低音をきかせた、沼にのめり込んでいくようなオーケストラの響きに、シュプレヒコールの音が重なって......ここだけでなくいろいろな場面で、音響の有馬純寿さんが世界各地で集めてくれたさまざまな音─たとえば、アイスランドの氷の音や、ニューヨークの雑踏のざわめき、瀬戸内海の海の音、雨の音─が、あちこちから聞こえてくる、立体的な音響を体験してもらえたらなと。


 6番目「炎上地獄」では、炎でいろんなものが燃やされます。人間の欲望などすべてがそこで燃やされて、最後の「干ばつ地獄」、地獄の底まで行ったところですべてがひっくり返って、浄化されるのです。そこではナターシャとアラトが「嘆きの歌」を歌います。哀しみの歌ではあるけれど、歌には浄化の力があると思うんです。だからそこには、 調性のある美しいメロディーを書きました。イルゼ・エーレンスさんの声には透明感が溢れていて、山下裕賀さんの声にはちょっと悲劇的なところもあり、きっとすばらしい二重唱になるでしょう。

 そして、一番最後には冒頭の息の海、多言語の海がもう一度帰ってくるのです。


作曲するときは自分の心の奥にある「果てしない海」を想像して


―多和田さんは「震災後文学」の文脈で論じられることが多く、細川さんも震災後の作品では「鎮魂」を大きなテーマにして創作をされてきました。21世紀芸術史という大枠で捉えるとき、やはり「3.11」はひとつの節目と考えられますか?


細川 きっとあとから考えたら、そういうふうになると思います。自分では意識はしていませんけどもね。まあ、自分の作品も変わってきたし、それはきっとあると思います。


 福島の地震と原発事故が起きた時には、ちょうどベルリンでサシャ・ヴァルツたちと『松風』の練習を始めていたんですが、この時受けたショックはとても大きいものでした。それまで僕の音楽というのは、最後に最終的には自然とひとつになって、自然の中に自分が溶けていくのがテーマでしたけれど、その自然自体が汚染されてしまった。その後の『海、静かな海』『地震、夢』では、そう簡単に自然とはひとつになれないし、そもそも自然そのものをわれわれ人間が壊していっている、そういうことが次第にテーマの中心になってきました。今回の新作のお話をいただいたのが2019年だったのですが、それからコロナ禍やいくつもの戦争で世界がどんどん暗くなっていく中、やっぱり以前と同じような考え方では書けなくなってきました。


細川俊夫『松風』新国立劇場2018年公演より©鹿摩隆司

―いっぽうで、過去の作品から発展的につながる部分ももちろんあるわけですね。


細川 『松風』も『ナターシャ』と同じく「海」から始まります。『松風』ではそこで、主人公の女性2人が音楽を聴きながら違う次元に─この世とあの世をつないで─入っていきます。僕はいつも、ここともうひとつの世界を結ぶものとして能舞台の「橋掛かり」の話をしますが、海というのは、そういう「果てしないもの」への入り口であるわけで、そこが『ナターシャ』とつながっていると思うんですね。異世界とつながる力を持つシャーマン(巫女)の女性が主人公であるところも同じです。『二人静』もそうですね。また、『二人静』は、すでに日本語と英語との多言語オペラだったという点で『ナターシャ』の先駆けと言えると思います。


 僕も作曲している時は、いつもそういう自分の心の奥にある、「果てしない海」みたいなものを想像しています。今回もそこに多和田さんの言葉をまず一回沈めてですね、そこからこう「ぐいっ!」とすくい取ってくる、そういう風にこの『ナターシャ』を作りました。


―細川さんもまた、「橋掛かりとしての海」とこの世を行き来する人だったのですね。本日は、お話ありがとうございました。


2024年10月 新国立劇場にて 撮影:堀田力丸

細川俊夫 HOSOKAWA Toshio
1955年広島生まれ。ベルリン芸術大学で尹伊桑に、フライブルク音楽大学でK. フーバーに作曲を師事。日本を代表する作曲家として、ベルリンフィル、ウィーンフィル、クリーヴランド管弦楽団等の欧米の主要なオーケストラ、音楽祭、オペラ劇場などから次々と委嘱を受け、国際的に高い評価を得ている。作品は、大野和士、準・メルクル、シルヴァン・カンブルラン、ケント・ナガノ、サイモン・ラトル、ロビン・ティチアーティ、パーヴォ・ヤルビなどの指揮者たちによって初演され、その多くはレパートリーとして演奏され続けている。2004年にオペラ「班女」がエクサン・プロヴァンス音楽祭、2011年にオペラ『松風』がモネ劇場、16年にオペラ『海、静かな海』がハンブルク、17年にオペラ『二人静』がパリ、18年にはオペラ『地震・夢』がシュトゥットガルトで初演。2000年ルツェルン音楽祭、2013年ザルツブルク音楽祭のテーマ作曲家。01年にドイツ・ベルリン芸術アカデミー会員、12年にはドイツ・バイエルン芸術アカデミーの会員に選出。12年に紫綬褒章、18年度国際交流基金賞、21年ゲーテ・メダル受賞。22/23年チューリッヒ、トーンハレオーケストラ、24/25ヴァレンシアオーケストラのコンポーザー・イン・レジデンス。25年、スペインでフロンティアーズ・オブ・ナレッジ賞を受賞。


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