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【インタビュー】『ナターシャ』アラト役 山下裕賀

山下裕賀

ナターシャと出会い、彼女と共に「地獄」をめぐる青年アラトを演じるのは、山下裕賀。

日生劇場にて『ヘンゼルとグレーテル』ヘンゼル、『カプレーティとモンテッキ』ロメーオ、『セビリアの理髪師』ロジーナを演じ、2023年日本音楽コンクール第1位、静岡国際オペラコンクール三浦環特別賞受賞、昨年は藤原歌劇団『ラ・チェネレントラ』タイトルロールを務め、今年も数々の舞台に出演する大躍進中の新星メゾソプラノが、新国立劇場に初登場する。

新作オペラ『ナターシャ』の楽譜に日々向き合っている今、アラト役について、自身の活動について、そして『ナターシャ』世界初演への思いについてうかがった。

◎クラブ・ジ・アトレ誌6月号より

「生きている」音楽と言葉 そこに湧き上がる自分の感情を乗せて


―『ナターシャ』で新国立劇場に初登場する山下さん。大野和士オペラ芸術監督とは東京都交響楽団などの公演で共演なさっているとのことですが、初めて共演したのはいつですか?


山下 私がまだ学生だった2017年7月、大野さんが企画されたボランティアコンサートに出演させていただいたのです。大阪、三重、広島の病院を周る小さなコンサートでした。その後、東京都交響楽団公演にお声がけいただき、2022年にヤナーチェクの「グラゴル・ミサ」、2023年のサラダ音楽祭でドヴォルザークの「スターバト・マーテル」を大野さんの指揮で歌いました。


―『ナターシャ』への出演依頼が来たとき、どんな思いでしたか?


山下 実はご連絡をいただいたのがクリスマス・イブの夜だったんです。私にとって新国立劇場はずっと憧れ続けた舞台でしたから、何たるクリスマス・プレゼント!とすごく嬉しかったです。でも、新作オペラであること、そして作品の内容をうかがい、背筋が伸びました。ですから喜びとドキドキとが混ざったような気持ちでしたね。

 出演が決まってから作曲家の細川俊夫さんにお会いして、私の声を聴いていただきました。歌曲やオペラをいろいろ歌ったり、ドの音から半音階で順に上がっていったり。そんな実験的な「声聴きの会」がありました。


―では細川さんは山下さんの声を知った上で『ナターシャ』を作曲しているのですね。とても興味深いです。山下さんは新作オペラに取り組むのは初めてですか?


山下 子どものための小さなオペラの新作には関わったことがありますが、大劇場で上演するオペラの新作は初めてです。

 『ナターシャ』は、自然破壊や民族同士の争いなど現代における問題を「地獄」と呼び、さまざまな「地獄」を巡っていく物語。最初、このあらすじをうかがったとき、今だからこそできるオペラだと思い、ずしりと心に響きました。各地で起こっている災害のニュースを見て、心を痛めるものの、果たしてそれを自分のこととして深く捉えたかと問われると、もしかしたらそうじゃなかったかもしれない......と考えさせられます。歌詞の言葉を自分のこととして腹の底から発するにはどうしたらいいか、それをすごく考えているところです。台本を書かれた多和田葉子さんも作曲家の細川さんも今を生きていらっしゃる方。だから言葉も音楽も、まだふつふつと「生きている」と感じています。そこに自分の中から湧き上がる感情を乗せ、訴えかける言葉になったらと思っています。そして、今を生きる者として「地獄」で描かれる問題を考える機会にしたいです。


―山下さんのレパートリーの中で現代音楽はどんな位置にありますか?


山下 私のレパートリーは今はベルカントものが中心ですので、現代音楽は強敵です。音を自分の中に入れるのに、やはり少し時間がかかりますから。でも稽古を重ね、自分の中に音楽が入り出すと俄然面白くなってくるので、抵抗はあまりないです。


―『ナターシャ』は多言語の作品とのことですが、アラトの歌詞は日本語だそうで?


山下 ほぼ日本語です。でもアラトはナターシャが言った言葉を繰り返したりするので、ドイツ語も時々喋ります。ひとつのオペラ作品の中から違う言語が聞こえてくるのは、私にとっては未知な世界です。多言語の中で日本語を発してみると、きっと表現のニュアンスが変わってくるでしょうね。さらに、台詞を語る場面もあります。台詞と歌の切り替えは意外と難しいので、いいポジションでつなげて歌と言葉を発せられたらと思っています。

 言語だけでなく、楽譜には「炎の音」という指示もあったり、そのほか電子音響や映像なども加わる、本当にいろいろなものがマッチする舞台。どこでどんな音が鳴るのかは、実際に劇場に入ってからでないとわからないでしょう。すべてが揃ったとき、その響きの中で自分がどういった表現を出せるか、今は想像しながら準備しています。


―ナターシャ役のイルゼ・エーレンスさんとは初共演ですね。


山下 YouTubeで歌を少し聴かせていただきましたが、よどみのない声というのが私の印象です。そこに自分の声を合わせるとどんなハーモニーになっていくのか。音楽稽古、立ち稽古で一緒に音を出していくのがすごく楽しみです。


アラトと共に悩みながら物語の中を生きたい


―山下さんご自身について教えてください。オペラ歌手になろうと思ったきっかけは? 小さい頃からオペラ歌手になりたかったのですか?


山下 いえいえ、小さい頃は水泳や陸上をやっていて、スポーツ選手になりたいなと思っていたんです。一方ピアノも小さい頃から習っていて、音楽の先生になりたいと考えるようになりました。でも大学受験の時期にピアノが思うようにいかなくて。そんなとき、中学の音楽の先生をしている母が「歌をやってみたら?」と声をかけてくれたのです。やってみたらしっくりきて、大学は声楽科に入りました。とはいえオペラの世界は全く知らなくて。そんな学部3年生のとき、先輩方(脇園彩さんの学年)のオペラ公演に3年生は合唱で参加するという授業があったんです。演目は『ドン・ジョヴァンニ』でしたが、演技をして歌うのが本当に楽しくて。それをきっかけに「オペラをやりたい!」と強く思い、大学院はオペラ科へ進みました。


―その後はオペラで数々の主役を務め、2023年には日本音楽コンクールと静岡国際オペラコンクールで素晴らしい成績を収めて、大活躍ですね。


山下 私は役柄に本当に恵まれていて、やるべき時にやるべき役がやってきてくれるのです。これまでに演じた『セビリアの理髪師』や『カプレーティとモンテッキ』もそう。今回の『ナターシャ』もきっとそうですね。あと、ズボン役が今の自分に合うと感じるところがあり、年内に出演するオペラは、残すは全て男性役なんです。5月に静岡で『ナクソス島のアリアドネ』の作曲家役、11月に日生劇場で『サンドリヨン』のシャルマン王子役。そして『ナターシャ』のアラトも。そんな巡り合わせも不思議な縁を感じます。


―今後やってみたい役は?


山下 やはりズボン役ですが、『ばらの騎士』のオクタヴィアンはずっと憧れの役です。あの序曲を初めて聴いた瞬間、目の前がキラキラ光って色づいて。この感覚は他のオペラではなかなか味わえませんよね。大好きな作品である『ばらの騎士』の世界観に自分も入りたいと本当に思います。楽譜だけはすでに買って準備しています(笑)。


―最後に改めて『ナターシャ』への意気込みをお聞かせください。


山下 『ナターシャ』の題材は、21世紀の今まさに向き合うべきもの。アラトは葛藤を抱えていく人だと思うので、彼の葛藤に寄り添い、彼と共に悩みながら物語の中を生きたいです。お客様には、ナターシャやアラトが現代を生きる人間として地獄の中を進んでいくところを、いろいろな思いを持って見ていただけたら。そして「今、現実に起こっていること」として一緒に考えていただけたらと思います。「地獄」というと真っ暗なのかな......なんて思ったりしますが、衣裳を少し見せていただいたところ、意外とポップなものもあって。電子音響、振付、映像も加わり、視覚的にもきっと面白い、本当にここでしか観られない舞台になると思うので、お客様にはぜひ劇場に足をお運びいただけたら嬉しいです。


―どんな舞台になるか、8月の世界初演を楽しみに待ちたいと思います。どうもありがとうございました。


山下裕賀 YAMASHITA Hiroka
東京藝術大学卒業、同大学院修士課程を首席修了、博士後期課程単位取得。武藤舞奨学金を得て、在学中にウィーンへ短期留学。2023年、第92回日本音楽コンクール声楽部門第1位および聴衆賞、第9回静岡国際オペラコンクール三浦環特別賞を受賞。これまでに日生劇場『ヘンゼルとグレーテル』ヘンゼル、『カプレーティとモンテッキ』ロメーオ、『セビリアの理髪師』ロジーナ、藤沢市民オペラ『ナブッコ』フェネーナなどに出演。24年藤原歌劇団『ラ・チェネレントラ』タイトルロールで絶賛される。コンサートでは、大野和士指揮・東京都交響楽団によるヤナーチェク「グラゴル・ミサ」、ドヴォルザーク「スターバト・マーテル」をはじめ、ベートーヴェン「第九」、ヴェルディ「レクイエム」、プロコフィエフ「アレクサンダー・ネフスキー」などでソリストを務める。日本声楽アカデミー会員。新国立劇場初登場。

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