オペラ公演関連ニュース

【インタビュー】『ナターシャ』指揮 大野和士(オペラ芸術監督)

大野和士

大野和士オペラ芸術監督による日本人作曲家委嘱作品シリーズ第3弾は、現代音楽をリードする作曲家、細川俊夫による『ナターシャ』。台本は作家・多和田葉子の書き下ろしという、世界で活躍する日本人アーティストのコラボレーションによる新作オペラだ。

新国立劇場から世界に発信する破滅と希望の物語のオペラ、そのタクトを大野芸術監督自らが執る。

世界初演に向けて着々と準備が進む今、『ナターシャ』とはどのような作品なのか、大野芸術監督に話をうかがった。

クラブ・ジ・アトレ誌6月号より インタビュアー◎ 柴辻純子(音楽評論家)

細川さんと多和田さん 2人の共作にはオペラという場が相応しい


―日本人作曲家委嘱作品シリーズ第3弾として細川俊夫さん作曲の『ナターシャ』が世界初演されます。台本は、ドイツ在住の作家・詩人の多和田葉子さん。まずは、お2人に依頼するに至った経緯を教えていただけますか。


大野 これまで細川さんのオーケストラ作品をたくさん演奏し、彼のオペラ『班女』初演の指揮もしました(エクサン・プロヴァンス音楽祭2004)。ヨーロッパにおいて日本人音楽家のトップのひとりとして認められている細川さんには、私の在任中に新しいオペラを作っていただきたいと思っていました。多和田さんは、日本語とドイツ語で執筆され、今回はウクライナ語での歌唱もあるなど、国際的な色合いを言葉だけで表現できる方です。細川さんと話す中で、「人間の存在が引き起こす様々な欲望の渦の中で心が折れてしまい、自らの置き場所を失ってしまった人々に光を当てる」ような作品を描きたいという構想を聞き、世界人として様々な人のアイデンティティクライシスを考察している多和田さんの姿勢はぴったりで、多和田さんによって多言語が飛び交い、時空を超える台本を創っていただきたい、こうしたお二人の共作にはオペラという場が相応しいと思い、お願いすることにしました。3人で長い間アイデアを交換しあって台本が完成し、作曲に至りました。


―さて、ナターシャは、故郷ウクライナを追われて彷徨う移民です。多言語オペラというのは、登場人物それぞれの言語が異なるのでしょうか。


大野 ウクライナ出身のナターシャは、最初、ウクライナ語でアラトと会話します。一方、アラトはずっと日本語です。ナターシャは、ドイツに出てからドイツ語でアラトと話すようになります。彼らの距離が近くなるにつれて、ドイツ語と日本語の絡みは音楽的にも密度を増していきます。異なる言語で始まったけれども、言語同士によって、歌手それぞれの内面により深い結びつきが呼び覚まされるという意味での多言語であり、最終的に言語世界を超えるというところにこのオペラの面白さがあります。


―台本はドイツ語、日本語、ウクライナ語で書かれているのですね。


大野 ナターシャがドイツ語とウクライナ語で歌う部分の多和田さんの日本語訳を読んでみますね。「さまざまな石がどこにもすわっている。沈黙するだけでなく、異教徒の母の胸のなか、そして聖なる血のなかにも」。美しいですね。オペラの台本とは思えない言葉の選び方じゃないですか。「さまざまな、いしがどこにも、すわっている」これは、五七五調でできています。五七五とか七五とか、言葉の割合がオペラにはあって、ヴェルディやワーグナーもそういう並びの言葉を探していました。そういう話を多和田さんに向けたところこの日本語が返ってきました。それが、細川さん特有の、不協和音だけれども、独特の甘みや、官能性を含めた音の上下感やリズム感をもつ音楽によく合います。作品を受け取ったとき、「ああ、良かった」と心から思いました。


―細川さんの音楽、今回の作品の特徴はどこにあるのでしょうか。


大野 細川さんの音楽で私がいつも思うのは、アルバン・ベルクの創作と重なるところがあるということです。ベルクが『ヴォツェック』のひとつ前に書いた「三つの管弦楽組曲」は、無調で、難しい重なり方をするオーケストレーションですが、非常に美しい響きをもっています。それが『ヴォツェック』では、人間のもつ優れた芸術である言葉、内面的で複層的な声が入ることで、オーケストレーションが非常に簡潔になります。細川さんの作品も、打楽器のための協奏曲とか、尺八とオーケストラの曲など、オーケストレーションがとても難しいところがベルクに似ています。独奏楽器とオーケストラが深くかかわる、多面的な美技というのが細川さんのオーケストラ作品の基本的な世界です。ところがオペラになると、『班女』も『松風』も、私たちに語りかける言葉と歌をオーケストラがぐっと支える存在になります。そのバランスをとるために、オーケストレーションと音色が非常に清々しいものになります。それは『ナターシャ』にも言えますね。

細川俊夫『松風』新国立劇場2018年公演より©鹿摩隆司

 今回、非常に特徴的なのは、細川さんが初めて書いたと言えるかもしれない調性のはっきりしている音楽が2か所出てきます。ナターシャとアラトは、メフィストの孫に連れられて地獄を巡行します。不協和な響きが続くなか調性音楽が現れたときのほっとする気持ち。2人の若者が互いを頼って結び付くことがよく表現されていると思います。


―地獄はいくつもあるわけですね。


大野 森や林がない「森林地獄」、「快楽地獄」、「洪水地獄」。細川さん特有のゆったりとしたテンポのねじれた曲が続きます。ただ、「ビジネス地獄」だけは面白くて、ダダダダダダと同じリズムの刻みが反復されます。常に追い立てられる地獄です。多和田さんの詩と細川さんの作曲のリズムがぴたりと合うのです。

 ナターシャとアラトは、地獄でショックを受けるたびに、心が重なることの意味の重要性を理解します。地上に戻る前、最後の地獄で、アラトのアリアが出てきます。アラトに続き、ナターシャも、調性は異なりますが、同じ旋律を繰り返し、彼らが最後に結ばれる関係性が示されます。

 この作品にはほかにも、オーケストラ以外に、エレキギターの音や劇場を包み込むように電子音響が入ることは特筆すべきことでしょう。そして合唱が終始活躍します。40人の合唱が細かいディヴィション(声部)に分かれて別々のタイミングで歌ったりつぶやいたりするところが結構あり、最終的に36もの言語が飛び交います。


現代の音楽と昔からの音楽 時代が大きく広がったとき互いの作品への理解が深まる


―今回の演出は、新国立劇場初登場のドイツのクリスティアン・レートさんです。


大野 レートさんは、オペラにおいて、言葉と音楽をどのように結び付けるかを両方向から非常にバランスよく感じられる演出家です。この新しくチャレンジングな作品を三次元化することにおいて、とても信頼しています。すでに台本や音楽を読み込み、綿密な準備を進めてくださっており、舞台美術や衣裳の見せ方もエキサイティングです。稽古が始まるのが楽しみです。


―3人の歌手への期待も教えてください。


(左から)ナターシャ役イルゼ・エーレンス アラト役山下裕賀 メフィストの孫役クリスティアン・ミードル

大野 ナターシャ役のイルゼ・エーレンスさんとは、オペラやオーケストラ曲で何度も共演してきました。オペラ歌手としての才能を生まれながらもち、リリックだったり情念的だったり内に秘めたものを、声を通して明確な構図で描いていきます。新国立劇場で上演された『松風』でもタイトルロールを演じ、細川さんの信頼の厚い歌手です。

 メフィストの孫役は、クリスティアン・ミードルさん。メフィストの「孫」とつけたのは私なんですよ! 最初の台本では「ひ孫」でしたが、いつの間にか「孫」になっていました......。彼はバロックや古典から現代までレパートリーが幅広く、多彩な声のパレットをもっています。今回は憎まれ役。でもメフィストの孫なので、ほのかな人間性を持っているはず。それを演じられるのがミードルさんだと思います。山下裕賀さんは、新国立劇場デビューの期待のメゾソプラノです。青年役に相応しい、明るく前向きなエネルギーに満ち溢れた、日本の名花ですね。


―『ナターシャ』はシーズン掉尾を飾る演目ですが、芸術監督という立場から、同時代の作品を取り上げる理由はどこにあるのでしょうか。


大野 私たちの時代のオペラを取り上げることによって、それとの対比で、昔の作品もより深く理解できるようになると考えます。劇場で年間10演目上演するうち、9演目はモーツァルトやヴェルディ、ワーグナーやロッシーニなどが並ぶなか、そのひとつを私たちの時代の日本のオペラとしたのは、現代の音楽と昔からの音楽により時代が大きく広がったとき、対比がより明確になり、互いの作品への理解が深まるからです。それができるのは、レパートリー上演をしている劇場のひとつの強みですね。


―指揮は大野さんです。少し休養されていましたが、その後、いかがですか。


大野 頚椎の状態が悪くなってしまい手術をしました。2カ月ほど休みましたが、首はすっかり良くなり、いまは他の筋力を復活させるためにトレーニングなどをしています。


―安心しました。最後に読者に向けてメッセージを。


大野 細川俊夫さん作曲の『ナターシャ』は、彼の8番目のオペラとなります。私たちの時代性のテーマ、人間の本質的なところに響きかけるオペラが新しくできあがります。ぜひみなさんにご覧いただき、オペラの喜びをいっそう高めていただくように心からお願いしたいと思います。


関連リンク