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【コラム】多和田葉子の創作とオペラ『ナターシャ』

文◎山口裕之(ドイツ文学|東京外国語大学,大学院総合国際学研究院教授)

多和田葉子の創作とオペラ『ナターシャ』


最近オペラというジャンルが妙に気になっている。これまでもオペラ座に行くことはよくあったが、それならオペラが好きなのかと訊かれると嫌いだと答えたくなる理由がどんどん浮かんでくる。ことにクラシックオペラは、ステレオタイプを絵に描いたような美女が恋のために死に、ユーモアのない英雄が世界を救う。ストーリーは単純で、セリフがキッチュだったり、幼稚なメタファーに満ちていたりする。


いささか手厳しく聞こえるこの言葉は、コロナ禍が猛威を振るっていた2020年に多和田葉子が語っているものだ。「多声社会としての舞台」と題されたこの文章は、多和田葉子の演劇に光を当てようとする企画(谷川道子+谷口幸代編『多和田葉子の〈演劇〉を読む』論創社)のために書かれたものなのだが、今読み返してみると、この本の企画の方向性から期待されるような、これまで多和田がかかわってきた演劇作品についてはそれほどふれず、むしろオペラのことばかり語っているようにさえ見える。このとき多和田葉子はどうやらオペラに相当ハマっていたようなのだが、そこにいたるプロセスは、そのままオペラ『ナターシャ』につながっているように見えてならない。

「多和田葉子の〈演劇〉を読む」
谷川道子・谷口幸代編/多和田葉子ほか著
定価:2000円+税
論創社

 多和田葉子の作品といえば、小説・詩・エッセイをすぐに思い浮かべることになるだろうが、演劇作品はそれらのなかではあまり目立たないかもしれない。日本語で書かれたものは、「動物たちのバベル」(『献灯使』所収)にせよ、「夜ヒカル鶴の仮面」(『光とゼラチンのライプチッヒ』所収)にせよ、作品の数が限られていることに加えて、これらの作品が、小説として手にとられる本の中に収められているためでもあるだろう。しかし、ドイツ語では単行本として演劇作品が刊行されていて、「オルフォイスあるいはイザナギ」(日本語版は小松原由理訳で『多和田葉子の〈演劇〉を読む』所収)や、日本語とドイツ語の2言語が入り混じる「ティル」(日本とドイツのそれぞれで字幕なしで上演された)など、多数の戯曲が書かれ上演されている。それに、多和田葉子が1991年にハンブルク大学に提出した修士論文は、劇作家ハイナー・ミュラーについて論じるものだったのだ(日本語訳が『多和田葉子/ハイナー・ミュラー 演劇表象の現場』(東京外国語大学出版会)に収録)。

「献灯使」
(同所収「動物たちのバベル」ほか)
定価:715円(本体650円)
講談社文庫
「光とゼラチンのライプチッヒ」
(同所収「夜ヒカル鶴の仮面」ほか)
(紙版は品切れ重版未定。電子書籍版あり。)
講談社
「多和田葉子/ハイナー・ミュラー 演劇表象の現場」
定価:2800円(税抜)
東京外国語大学出版会

 このように多和田葉子の作家活動の中で演劇がかなり重要な要素となっていることはまちがいないのだが、ただし「演劇」というジャンルそのものが多和田にとって特別な位置を占めるというよりも、むしろ演劇は他の創作活動とそのままつながっているといったほうがよい。多和田の作品に共通するのは、どのようなジャンルの活動にせよ、「声」が言葉から立ち上がってくることである。しかも生身の人間においてそうであるように、多和田葉子の作品では、その「声」にはつねに生々しい肉体性がつきまとっている。そのような「声」は、詩はもちろんのこと、小説においても、いつも特別な力をおびて、ときには不気味な異様さを漂わせながら、でも淡々と、作品全体を覆い尽くしていく。「演劇」をはじめとする舞台でのパフォーマンスは、その延長上にあるといってもよいのだろう。


 そのような「声」や「音」そのものが、作品のなかで描かれることもある。『文字移植』では、なかば意味から切り離されるかのようにバラバラになった言葉やその中の音とともに、世界はどんどん異様な姿になってゆく。熱心なファンが多いと思われる『飛魂』ではまさに、文字を声にすること、音読することが、究極の到達点につながる世界が描かれている。「音読していると、文章の意味がコウモリのようにあわただしく飛び去っていった。そして、その代わりに、言葉の体温が身体に乗り移ってくるようだった。」言葉や文字は単に意味に仕えるための道具などではない。「音」そのものが魔術的な力を帯びているのである。この『飛魂』という作品には、多和田自身の言葉に対する感覚そのものがとりわけ濃密に描き出されている。


「かかとを失くして 三人関係 文字移植」
定価:1,980円(本体1,800円)
講談社文芸文庫
「飛魂」
定価:1,760円(本体1,600円)
講談社文芸文庫

 ドイツで多和田が数えきれないほど行なってきた朗読(ドイツにはその伝統がある)や、両国のシアターχカイでジャズピアニストの高瀬アキとともに25年にわたって続けられている「カバレット」の舞台、そして早稲田大学での舞台は、多和田自身が自らの「声」と身体によって言葉を産み出してゆくパフォーマンスの場である。多和田葉子の出身地である国立市では、音楽・舞踏を取り入れた市民劇「くにたちオペラ」の企画が2018年から始まり、多和田の台本による『動物たちのバベル』(2018年)、『あの町は今日もお祭り』(2022年)などが上演されてきたが、これも多和田葉子の創作の根幹につながる活動である。


くにたち市民芸術小ホール主催事業 くにたちオペラ『あの町は今日もお祭り』(2022年) 提供:くにたち市民芸術小ホール 写真:宮川舞子


 冒頭に言及したように、2020年の時点で多和田葉子がオペラにかなり入れ込んでいたのは、直接的には、コロナ禍のために部屋にこもることが多くなり、ほぼ毎晩のようにオペラのDVDを見ていて、R. シュトラウスの『ばらの騎士』にハマってしまったということもあるだろう。とりわけ第3幕末尾の有名な三重唱について、元帥夫人、オクタヴィアン、ゾフィーによる「決して一つに溶け合うことのできない三人の声の重なりにわたしは骨の髄まで震えた」と多和田は書いている。「わたし自身、一つに調和されない複数の声というテーマにはかなり前から関心があったようだ。」しかし、この複数の声に対する関心には、そしてオペラへの関心には、もっと息の長い流れがある。


 多和田葉子が細川俊夫と最初に出会ったのは、作曲家イザベル・ムンドリーと一緒に、ヘルムート・ラッヘンマンのオペラ『マッチ売りの少女』を聞いたときのようで、1997年のことだ。すでに2000年頃には、細川は多和田にオペラの台本について意見を求めていたようだが、2006年からベルリンで暮らすようになった多和田と、同じ年以降ベルリンに長期滞在する機会の多かった細川のあいだで、その都度いろいろな話があったようだ。2011年には、多和田は細川のオペラ『松風』のベルリン初演にも来ている。同じ年、ベルリンで行われた東日本大震災のためのチャリティーコンサートでも一緒になっている。そして、2018年に二人が同時に国際交流基金賞を受賞したときから、一緒に何かを作るという感覚が確実になっていったと細川は語っている。


 その後、細川は2019年秋にルクセンブルクから子どものための朗読と音楽のための作品を委嘱され、そのテクストを多和田に依頼する。多和田がそのドイツ語のテクスト『遠くから来たきみの友だち』を完成したのは2020年10月、ルクセンブルクで作品が初演されたのは2021年12月のことだ(日本での日本語版初演は2025年4月4日、テクストの日本語訳が5月刊行予定)。多和田のテクストに細川が作曲するというかたちでの二人のコラボレーションはこの作品が最初ということになるが、細川がこの作曲に取り組んでいた2021年は同時に、細川俊夫、大野和士、多和田葉子のあいだで新しいオペラの構想のためのやりとりが進んでいった時期でもあった。


 オペラ『ナターシャ』は、そのような大きな流れの中で生み出されることになった作品である。それとともに、多和田葉子のそれまでの創作における主題的なつながりもそこには見てとることができる。とくに『献灯使』(2014年)や三部作『地球にちりばめられて』(2018年)『星に仄めかされて』(2020年)『太陽諸島』(2022年)などに典型的に見られるように、日本と思われる国がなんらかの壊滅的な災厄を被った後の世界が描かれる。それとともに、母語の外にたえず出ていくような多言語性、多声性がきわだって重要な意味を担う方向性は、細川・大野・多和田の構想の中で初めから共通了解となっていた。ゲーテの『ファウスト』やダンテの『神曲』(地獄篇)とともに、地獄に関わるものとしては、おそらくモンテヴェルディのオペラ『オルフェオ』に震撼して以来、多和田を惹きつけてきたオルフェウス/イザナギのイメージも重ね合わされている。


「地球にちりばめられて」
定価:792円(本体720円)
講談社文庫
「星に仄めかされて」
定価:858円(本体780円)
講談社文庫
「太陽諸島」
定価:2,090円(本体1,900円)
講談社

 「地球のうめき」が聞こえる地獄の風景(=現代の世界)に対するまなざしには、多和田のいつものドライなユーモアを含んだ批判が生きている。しかしそれとともに、このオペラでは、その根底にあるほんとうに大切なものへと至ろうとする真摯な願い、ある根源的なものに到達しようとするイメージが浮かび上がる。これもまた、表面的にはこれまではっきりと見てとれるものではなかったかもしれないが、多和田葉子の作品世界のうちに含み込まれているものなのだ。


山口裕之(やまぐち ひろゆき)

東京外国語大学教授。専門はドイツ文学・思想、表象文化論、メディア理論、翻訳理論。著書に『現代メディア哲学』(講談社、2022年)、『映画を見る歴史の天使』(岩波書店、2020年)他、翻訳にクライスト『ミヒャエル・コールハース チリの地震 他一篇』(岩波文庫、2024年)、イルマ・ラクーザ『ラングザマー 世界文学でたどる旅』(共和国、2016年)他、編著書に『多和田葉子/ハイナー・ミュラー 演劇表象の現場』、(東京外国語大学出版会、2020年)、『地球の音楽』(同、2022年)、『地球の文学』(同、2025年)他がある。


※上記の情報は2025年5月22日現在のものです。各書籍に関すること、ご購入については書店・各出版社にお問い合わせください。


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