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『ボリス・ゴドゥノフ』演出マリウシュ・トレリンスキ インタビュー


皇帝の座につくボリス・ゴドゥノフ。しかし、その玉座は皇子を殺して手に入れたもの。渦巻く陰謀。民衆の叫び。皇帝は良心の呵責にさいなまれ、破滅していく―

新国立劇場開場二十五周年記念公演の新制作『ボリス・ゴドゥノフ』がまもなく幕を開ける。

ポーランド国立歌劇場との共同制作であり、新国立劇場でのムソルグスキーのオペラ初上演という注目のプロダクションを演出するは、マリウシュ・トレリンスキだ。

ポーランド国立歌劇場芸術監督であり、気鋭の映画監督でもあるトレリンスキは、現代の感覚で刺激的な舞台を創り上げる。

トレリンスキならではの視点が光る今回の『ボリス・ゴドゥノフ』について語ってもらった。

ジ・アトレ誌11月号より



『ボリス・ゴドゥノフ』はロシア的な見方への批判が可能な作品


マリウシュ・トレリンスキ

― トレリンスキさんは映画を学んだのち、映画監督として活躍しながら、1996年にオペラ演出家デビューされました。もともと音楽やオペラに興味があったのですか?

トレリンスキ 私にとってすべての鍵は音楽でした。映画においても常に音楽が出発点だったのです。(映画の)シークエンスの雰囲気、リズム、エネルギー、そして色合いまでも、音楽がもたらしてくれます。なので、ただ耳を傾ければよいのです。音楽は、私にとって重要な手がかりで、映画を撮る上でのさまざまな問題に対する解決の方向性を与えてくれます。その次に重要なのが物語の登場人物で、言葉は三番目にすぎません。この点がオペラの場合とても重要ですね。なぜなら、洗練された機智に富んだオペラの台本というのは、めったにありませんから。

 私が初めて演出したオペラは『蝶々夫人』でしたが、引き受けたのは気まぐれ半分、好奇心半分でした。当時私はミニマリズムに興味があったので、作品と日本との関連性にも惹かれました。結果的にとてもクールで瞑想的な演出になったのですが、意外にも大きな成功を収め、世界中で上演されることなり、私は一夜にしてオペラ演出家となったのです。



― オペラ演出家として、芸術監督を務めるポーランド国立歌劇場で世界から注目を集めるプロダクションを次々に上演し、国外のさまざまな歌劇場や音楽祭でも数多く演出されています。作品を表現する際、映画とオペラ、その手法は分け隔てなく考えるのでしょうか? オペラ演出に対してご自身のモットーはありますか?

トレリンスキ モットーは、着目すべき中心的なテーマ、現代においてもなお身近で切実な問題を見つけることです。オペラは歴史が長いので、保守的な考えや陳腐なストーリーの博物館になりがちですが、もし音楽がいきいきとしているのなら、ストーリー自体に何か新しい要素を見出すだけの価値はあると思います。そうした題材を見つけたときにはその作品を取り上げます。

 映画においては、いつも自分で台本を書くので、ストーリーが時代にそぐわないという問題はありません。音楽がもたらしてくれる奥行き感が欲しくなることもありましたが、最近ではむしろ、意図的に音楽なしで作る映画に惹かれます。この場合、リズムは映像と音響の編集によって作られます。「ドグマ95」(注:フォン・トリアー監督らが始めた映画運動)やダルデンヌ兄弟の映画は音楽そのものだと言えます。




― 2020年以来、世界はパンデミックに見舞われ、オペラ界は大きな影響を受けています。トレリンスキさんは、演出された『死の都』で、ディスタンスをとるために映像を使った舞台が大きな話題を呼びました。そのような「ディスタンスをとらなければいけない」という物理的な側面以外に、パンデミックによってご自身の演出観が影響を受けたことはありますか?

トレリンスキ マイナスの影響がありました。私は映画出身ですので、映像が私の主たる思考ツールなのですが、パンデミックによって映像の世界から切り離されたことは、身体の一部を切り取られるような痛みを伴いました。しかしながら、静寂や思索、物事に集中する時間がもたらされました。時間が止まり、世の中から切り離され、人とも会えないというのはとてもつらく、多くの人々にとって悲劇でもありましたが、私にとっては興味深く、新鮮な体験でもありました。きっと、それまでの生活が忙しすぎたのでしょう。


― 大野監督とのコラボレーションは、2018年のプロコフィエフ『炎の天使』が最初ですね。大野監督との共同作業はいかがですか? どのような指揮者だと感じていますか?

トレリンスキ 大野さんは人柄が素晴らしく、また極めて謙虚な方です。仕事の上では常に物事を総合的に考えるのが彼の流儀ですね。彼にとってオペラは、3時間という長さにもかかわらず、統一されたものなのです。第2に特筆すべきことは、ロシア音楽に対する彼独自のアプローチです。ロシア音楽のもつ独特な特色を保ちつつも、センチメンタリズムや偏った情緒性は退け、従来とは全く異なる超国家的な性質を与えるのです。こうしたアプローチに私自身とても共感します。これまでロシア人指揮者と組むことが多かったこともあり、今回の『ボリス・ゴドゥノフ』を大野さんとご一緒できるのをとても楽しみにしてきました。


― 今回の『ボリス・ゴドゥノフ』はポーランド国立歌劇場との共同制作で、本来ならばポーランドで4月に初演する予定でしたが、ロシアのウクライナ侵攻のため中止になりました。そのことについての考えをお聞かせください。また、ウクライナ侵攻を受けて演出プランを変更するということはありますか?

トレリンスキ ポーランド国立歌劇場の芸術監督の立場として、ロシアによるウクライナへの残虐な攻撃が行われている中での『ボリス・ゴドゥノフ』上演は中止すべきという判断に迷いはありませんでした。この出来事がポーランド国民に与えた感情的な打撃はあまりにも大きく、正直、ロシア語を耳にするだけでも苦痛でした。歌劇場の合唱団にもウクライナ人が何人もいますから、彼らの気持ちを尊重することも大切でした。

 『ボリス・ゴドゥノフ』は一般的に、たとえばタルコフスキーの演出に代表されるように、ロシアの帝国主義や国家主義と結びつけて論じられ、舞台化されています。しかしながら、この作品は壮大なフレスコ画のように、さまざまな見方ができるものであり、ロシア的な見方への批判も可能です。ポーランドに住む者としては、ロシアの国家主義やその残忍さは、プーチンによるウクライナ侵略が起きるずっと前から分かっていたことです。ですので、これまでの演出の傾向に反対しようということは、最初から決めていました。

 プーシキンの原作においてもムソルグスキーのオペラにおいても、ゴドゥノフは、間違った、苦渋の選択をした人物として描かれています。彼は、国を救うためだと思い込んで、ドミトリー皇子を殺害します。この、子どもを傷つけることで帝国を形成することの問題性についてはドストエフスキーも取り上げています。すなわち、子どもの涙の上に成り立つものなどないと。なぜならそれは悪しかもたらさないからです。殺人を犯したゴドゥノフは、やがてそのことの倫理的な影響に気づくようになり、マクベスと同じように、良心の呵責にさいなまれ、廃人となってしまうのです。悪はいつまでたっても悪のままなのです。たとえゴドゥノフが心身ともにずたずたになり、最後は衰弱しきって、狂気に陥ったとしても。



幻想、恐怖、予言、自責の念......ゴドゥノフの心の中に入り込む演出に

『ボリス・ゴドゥノフ』稽古場風景より

― 2008年にも『ボリス・コドゥノフ』を演出なさっていますね。それから十年以上経ち、作品に対する見方は変わりましたか?

トレリンスキ  実は何度か取り組んでいるのですが、毎回、台本の中に異なるモチーフを見出してきました。今回の演出の鍵となるのは、ゴドゥノフの息子フョードルと聖愚者をひとりの人物にすることです。聖愚者というのは、ロシアの伝統的な人物です。歴史的には、聖愚者は、他の伝統文化におけるシャーマンや道化師と同様、皇帝を批判してもお咎めはありませんでした。私たちの演出では、ゴドゥノフの病弱な息子が、ゴドゥノフの告発者でもあるのです。こうした描写によって、真実がより過酷なものになります。彼の愛する息子が、最大の敵になるのです。彼は深い自責の念にかられます。



― 『ボリス・ゴドゥノフ』はロシアの史実に基づく物語でありながら、皇帝の失脚、権力を狙う人々の陰謀など、いつの時代にもどの国にもある普遍的な物語ともいえると思います。今回の演出にあたり、物語をどう解釈しましたか?

トレリンスキ 私にとっては、人間が常に出発点です。『ボリス・ゴドゥノフ』は壮大な歴史絵巻ではありますが、一方で、主人公に大きな焦点を当てています。とりわけ、ゴドゥノフの精神が崩壊するさまが見事に描かれていると思います。今回の演出では、ゴドゥノフを中心に据え、それ以外のストーリーはすべてそこに従属させました。きわめて主観的な物語であり、ゴドゥノフの心の中に入り込もうという試みでもあります。それは彼の幻覚や恐怖、予言、自責の念、息子への愛情、自己判断などを含みます。それらを分析した結果、特に現代におけるPTSD(心的外傷後ストレス障害)の症状に着目しました。


― トレリンスキさんが最も興味深いと考える場面、登場人物は?

トレリンスキ ゴドゥノフが息子フョードルと会う場面が、物語の中心軸だと考えています。作品の知的なメッセージはそこにすべて込められています。息子は被害者であると同時に、裁判官と死刑執行人になるのです。それから、偽ドミトリーも私にとって興味深い人物です。皇帝を引き摺り下ろした人物が、ゴドゥノフよりもさらに恐怖の種を蒔くという結末です。


― ムソルグスキーの音楽のどんな点に惹かれますか?

トレリンスキ その壮大さですね。それと、あらゆる社会階級の人間の心理─合唱によって代表される人々も含めて─を音楽によって表現できるカメレオン的な能力です。『ボリス・ゴドゥノフ』の主役は合唱だとよく言われます。その声は、新しい支配者を受け入れるところから始まり、その後、距離を取り、反発し、裁きにまで到達します。私たちは今、ロシアの人々が現実に目覚めて、戦争およびプーチンの支配に反発する動きが起こらないかと期待しています。もちろんロシアはあらゆる反逆を暴力で押さえつけるでしょうが、ここ最近の軍隊への動員に関連した抵抗のデモには、一筋の希望を感じます。


― 今回上演する版は、1869年の原典版と1872年の改訂版を折衷したものだそうですが、ドラマツルギー上の選択でしょうか、それとも音楽的な選択でしょうか。

トレリンスキ 原典版は、明らかにドラマとして凝縮されています。その一方で、改訂版には音楽的に美しい場面があることは確かです。そこで大野さんと相談して、両方のバージョンの長所を生かした上演版を作り上げました。


― ありがとうございました。これまでにない、刺激的な『ボリス・ゴドゥノフ』になりそうですね。11月の初演、楽しみにしております

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