オペラ公演関連ニュース

『チェネレントラ』演出家 粟國 淳インタビュー


オペラの2021/2022シーズンは、ベルカント・オペラの傑作『チェネレントラ』で開幕!

シンデレラの物語を極上の音楽で綴るロッシーニのオペラ・ブッファの頂点の作品を、 新しい世界観で上演する、注目の新制作だ。

演出を手掛けるのは、イタリア・オペラの読み込みにかけては随一の演出家、粟國淳。 今回のプロダクションについて、話をうかがった。

インタビュアー◎井内美香(音楽ライター)

ジ・アトレ誌8月号より



舞台はローマのチネチッタ 映画のヒロイン探しの物語に


アレッサンドロ・チャンマルーギによる舞台スケッチ

― 粟國さんは10月、2021/2022シーズン開幕のロッシーニ『チェネレントラ』新制作を演出されます。どのような舞台になるのかコンセプトをご紹介いただけますか。

粟國 オペラパレスは空間が大きく、それに合った見せ方が必要になります。そして『チェネレントラ』は史実に基づいたオペラというよりは、どこかファンタジーの世界というか、ストーリーの面白さに見合ったロッシーニらしいカラフルさがほしい作品です。新国立劇場では過去に、レジェンドとでも言うべきジャン=ピエール・ポネル演出の『チェネレントラ』を上演しているので、また違うものをお見せしたい、という考えもあります。そこで今回、美術・衣裳を担当するアレッサンドロ・チャンマルーギ氏と考えたのが『チェネレントラ』をイタリア映画の黄金時代、1950年代から70年代のローマ・チネチッタ(映画撮影スタジオ)に設定することでした。



― チャンマルーギさんのデザイン画を拝見いたしました。ヴィヴィッドな色使いが美しく、映画のセットなど魅力的です。衣裳も名画へのオマージュがたくさんあって楽しそうですね。

粟國 劇中劇という作りになっています。台本作家ヤーコポ・フェレッティとロッシーニが考えた『チェネレントラ』のストーリーはそのまま描かれるのですが、そこにもうひとつ、粟國とチャンマルーギによる『チェネレントラ』の額縁ができる、という感じでしょうか。ローマのチネチッタを舞台に、ラミーロ王子は映画のプロデューサー、王子の家庭教師アリドーロは映画監督で、彼らは『チェネレントラ』という映画を作るためにヒロイン役に抜擢する女優を探している、という設定を考えています。



― 「チェネレントラ(イタリア語でシンデレラ=灰かぶり娘という意味)」ですから、映画スターのシンデレラ・ストーリーとも合致しそうですね。継父や二人の継姉たちから〝 チェネレントラ 〞と呼ばれているアンジェリーナの性格はどのように捉えていますか?

粟國 フェレッティの台本の大きな特徴は、ペロー原作にあるおとぎ話的な、魔法を使った部分をいっさいカットしていることです。魔法に助けられて幸せになった娘のお話ではなく、もっとリアルな、自分の力で幸せを勝ち取るドラマとして書かれている。ロッシーニの『チェネレントラ』はまずその出だしからして、アンジェリーナが「昔々、王様がいました......」と歌い、継姉たちに「チェネレントラ! うるさい! その歌やめて」と言われてもめげずにまた歌うんです(笑)。もうそこで、このチェネレントラはやられっぱなしじゃない、お姉さんたちに歯向かっていると分かる。アンジェリーナは王子に扮した従者ダンディーニが「みなさんを宮殿に招待します」と言ったときも、継父に「私も連れていってください」と頼み込む。連れていってくれないのはもう分かっているわけですよ。



― それでも必死に食らいついていく。

粟國 彼女の求めているものは、はっきり見えている気がします。恋に落ちるのも一目惚れなんだけれども、従僕に扮したラミーロ王子が「男爵のお嬢さんたちは 」と聞くと「ああ、やっぱりお姉ちゃんたちに会いにきたんだ」とがっかりしたりとか。気持ちに嘘がないリアルな女の子。第二幕で彼女は王子にガラスの靴ではなく自分のブレスレットを渡します。そして「私を探してください。そして本当の私を見て、それでもとおっしゃるなら私はあなたと結婚します」と。あれ、チェネレントラの方が条件をつけていますよね。そして最後を飾るアリアですが、もちろんアンジェリーナは継父と継姉たちを許すし、そのほうが心優しい子に見えますけれど、でも許すって一番いい復讐の仕方じゃないですか(笑)。ロッシーニの『チェネレントラ』は人間くさいというか、やはりディズニーのシンデレラとは違う世界なんです。


無限の表現空間で違う世界に行けるロッシーニの音楽


粟國 淳

― 『チェネレントラ』は『セビリアの理髪師』の翌年に同じローマで初演されています(1817年、ヴァッレ劇場)。台本作家のフェレッティと今回の舞台美術家のチャンマルーギさんはローマ生まれローマ育ち。粟國さんも子どもの頃からのローマ育ちということですが、この『チェネレントラ』にローマっ子気質を感じるところはありますか

粟國 実はチャンマルーギさんはどちらかというと、あまりローマ人ぽくないんです。 約束には一秒も遅れないですし、性格は日本人より細かいかもしれません(笑)。僕は結構、ローマ的かもしれないですね。ローマで面白いのは友人と待ち合わせをするときに「適当な時間にね」という決まり文句があるんです。同じイタリアでもローマ人じゃないとちょっと意味が通じない。あまりにも幅が広くて「適当な時間って何時!」となります。ローマ人同士だと「これで大体わかるじゃん」ってなるんですけれど。それからローマ人が好きなのは「俺に任せろ」というフレーズ。格好つけるのが好きなんですよね。



― 外から見ると活気があって、楽しそうな人が多いように思います。

粟國 ローマはやはり、コロッセオもフォロ・ロマーノもあるぞ、カトリックの総本山ヴァチカンもあるぞ、という気持ちはどこかにあると思います。そしていい意味で地方色も濃くて、ちょっと小道を入ると、一瞬にしてどこかの村に入ったかのような雰囲気があるんです。街の中でも地区ごとにファミリー意識が強く、ライバル心があったりすることも。プッチーニ『トスカ』に出てくる教会の堂守などはいかにもローマらしい雰囲気の人物ですね。そういう意味で言えば、もしかするとフェレッティがこの『チェネレントラ』を子どもだまし的なおとぎ話にしなかったところはローマらしいかもしれません。それから『チェネレントラ』には結構、残酷なシーンがありますよね



― 残酷というと?

粟國 継父ドン・マニフィコはアンジェリーナの母親と結婚し、彼女が亡くなると、継娘の財産を自分の娘たちのために使い果たしてしまう。アリドーロがもう一人娘がいるはずだと尋ねると「死にました」。本人が「いいえ、死んでいません」と言うと、「お前、何か言うと喉をかき切るぞ」とか。



― 確かに『セビリアの理髪師』より『チェネレントラ』のほうが、現代にも通じるブラックな表現がありますね。

粟國 そうなんです。でもロッシーニの音楽はそれ以上、深追いしない。あとはみんなが考えてって。ロッシーニは音楽だけを聴いていると、ブッファかセリアか分からないときがありますよね?僕はまだロッシーニのオペラ・セリアを演出したことはありませんが、彼の『オテッロ』などを聴くと、「ん セビリアか?」みたいになる(笑)。でも逆に音楽ってすごいな、と。ロッシーニはあえて自分の音楽スタイルを変えていないんですよ。でも、そこに描かれているのはやはり『オテッロ』の世界だし、演者によって音楽の表情も変わっていく。それはロッシーニの面白さだと思うんです。



― ロッシーニは演出家として取り組みやすい作曲家ですか?

粟國 ロッシーニはやはりカラフルであってほしい。舞台での色使いがポップになるとは限りませんが、あの音楽だと、世界観や空間がどこか弾けたものになる必要があるのかなと。例えばモーツァルトのダ・ポンテ三部作などでそれをやってしまうと、テキストとその裏で言おうとしているドラマが深く、言うべきこともたくさんあるので、あまり視覚的に違う世界に行ってしまうと本質が分かりにくくなる。ロッシーニは逆に、そこを演奏する側、歌う側、そして現代で言えば演出する側にも少し自由を与えてくれているという感があると思うのです。「さあ、君たちはこの世界をどう作ってくれるのかな?」というような。



― 自分からファンタジーを創造していかないといけない?

粟國 そうですね。おとぎ話の魔法はなくてもファンタジーはあるんです。音楽がそれを感じさせる。今回、映画という路線にしようと思ったのはやはりいろいろな表現ができるからで、作ろうと思えばミュージカルっぽくも作れるし、例えば二人の出会いのシーンの「何だかわからない甘美な......」というところは遊園地のような、ちょっと映画『ラ・ラ・ランド』みたいな世界ですし。ロッシーニはやはりバロック・オペラの時代の、何でもありの表現を分かっていたと思うんです。舞台の無限な表現空間で、時間が止まったり、また動き出したり、全然違う世界に行ったりできるのがロッシーニかなと。だからそれを形にしていかなければいけないのが正直、難しいですね。『セビリアの理髪師』もそうですが、元は何だっけ? になってもいけないですし。でも歌い手にとってもいい意味で遊べる部分があるのがロッシーニだと思います。



辛いことを経てハッピーエンド そして次の人生へ、そんな演出に

― アンジェリーナのキャラクターをうかがっていると、今回この役を歌う脇園彩さんはピッタリなのではという気がします。粟國さんは脇園さんとの仕事は今回が初めてですか

粟國 脇園さんがプロになってからは初めてです。彼女が東京藝術大学の学生だったときに『ドン・ジョヴァンニ』のドンナ・エルヴィーラを歌ったんですが、僕はその演出をしました。あの学年は面白い学生がたくさんいたのですが、やっぱり脇園さんはちょっと変わっている人でしたね。いい意味でですよ(笑)。本当にいいドンナ・エルヴィーラを演じていましたし。もちろん、そのときの脇園さんと今の彼女はもう全然違うわけですが。また一緒に、今度は仕事ができるのはとても楽しみです。運良く彼女がローマに行く機会があり、チャンマルーギさんと衣裳合わせも済んでいます。コンセプトも話し合って彼女もとても張り切っています。



― 他の出演者の方たちはいかがでしょう?ドン・マニフィコ役のアレッサンドロ・コルベッリさんは超ベテランというか、こういう役はきっと素晴らしいのでは?

粟國 そうだと思います。僕は初めてご一緒しますが、今回のコンセプトも理解してくださるのでは、と思います。外国人の歌手はみなさん初めての方ばかり。上江隼人さんはもちろんよく知っていて『セビリアの理髪師』も一緒にやっています。クロリンダの高橋薫子さんは僕が演出家デビューをした『愛の妙薬』でアディーナを歌った方で、新国立劇場でも『セビリアの理髪師』でご一緒しています。今回また新制作を一緒にできるのは自分にとってとても嬉しいことです。ティーズベの齊藤純子さんは、2年前の『フィレンツェの悲劇』では暗いキャラクターのヒロインでしたが、稽古場でお話ししたりするとすごく気さくな方で、実は楽しいことも好きなんだろうなと(笑)。2人とも違うカラーを持っているので、クロリンダとティーズべの性格もはっきり出せるでしょう。



― シーズン開幕が、楽しいロッシーニの新制作ということで期待が高まります。最後に抱負をお願いいたします。

粟國 新国立劇場のシーズン・オープニングを飾れるということは、演出家にとっても、チーム全員にとっても光栄なことですし、大きな責任も感じます。『チェネレントラ』の企画を最初にいただいたときにはまだコロナの問題はありませんでしたが、昨年は多くの舞台人にとって大変な年になってしまい、僕自身も仕事がなくなってしまった。でも『チェネレントラ』で、いろいろ辛いことがあったけれども最後がハッピーエンド、そして次の人生に向かっていくことができる、そういう演出にできたらと思います。無事に、最高の舞台の幕が開くことを願っています。






◆『チェネレントラ』公演情報はこちら
◆ チケットのお求めはこちら