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オペラから暴く日常の闇 演出家リディア・シュタイアーの視点


文◎森岡実穂

ジ・アトレ6月号より


 藤倉大の新作『アルマゲドンの夢』の演出がリディア・シュタイアーだと知った時、よくぞいま彼女を押さえていたな、と驚いた。ここ数年のヨーロッパでもっとも進境著しい演出家のひとりだからだ。2018年には『魔笛』でザルツブルク音楽祭にデビュー、その他ここ数年ドイツ・スイスを中心に各地の劇場から引っ張りだこの演出家である。本稿では私の観たここ数年の彼女の演出作品を数本振り返りつつ、その魅力を紹介してみたい。

「日常」に見出す政治性

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リディア・シュタイアー

マインツ歌劇場での『カーチャ・カバノヴァー』(2018年)では、カーチャの婚家カバノフ家は人形工場の経営者として設定されていた。ここではロシアの華やかなヘッドドレス「ココシニク」を付けた民族衣装の人形をつくっており、その「美しさ」は、「伝統的な家族観、女性観」とセットになっている。つまり、きちんと型にはまった、従順な女性、「人形」として生きるという価値観がこの玩具には込められており、人形遊びはそのためのロールプレイだ。姑カバニハが工場の管理人であることは、彼女がそういう女性を作るための監視員ということも示しているのだろう。

 「家」に押し込められて息もできないカーチャはボリスとの不倫に踏み出すのだが、この時せめてものお洒落として手に取るのが、工場にあった「昔ながら」の世界観を支える伝統的人形の衣装になってしまうというのはなんとも皮肉である。

 そして生真面目な彼女は、自分自身の内なる因習的倫理観に押しつぶされて死に至る。本演出でのカーチャは、自殺を考えボルガ川のほとりをさまようかわりに、自分の部屋で、同じ民族衣装姿の女たちに囲まれている。これは彼女と同じように「因習」に囚われ身動きできなくなった女たちの幻影か、彼女の分身か。家父長制下のこわれかけた人形たち。カーチャは、川の濁流ではなく、この人形たちのつくる渦にのみこまれて死ぬ。「民族衣装を着た人形」という日常の小さなパーツを通して、社会が女性に求める「美しさ」「女らしさ」が内包する政治性を抉り出す、シャープな演出だった。

 ザルツブルクでの『魔笛』も、一見、祖父の語る童話と、子ども部屋のおもちゃやポスターをもとにした少年たちの夢、人形やサーカスの活躍するダーク・ファンタジー的世界にはなっていたが、その本質はかなり厳しいものだ。タミーノに子ども部屋の兵隊人形の姿を与えることで、『魔笛』の奥にある社会の求める「男らしい」一兵卒となるための訓練物語という側面が残酷に浮き彫りにされた。「火と水の試練」では彼は大人の軍服に着替えさせられ、戦場の映像に耐えうるか試されるのである。子どものためのおもちゃの中に、ひいては童話や『魔笛』の物語の中に埋め込まれたジェンダーをめぐる「隠れたカリキュラム」の存在を、この演出は突き付けてくる。オペラ作品と、「日常」の中にあるのに普段は見えない我々の世界の課題を共鳴させて見せてくれるのだ。




スケールの大きい舞台美術

『アルマゲドンの夢』稽古場風景より

 大舞台いっぱいにスケールの大きな美術を展開するのもシュタイアー演出の得意技であり、そこには深い洞察も同居する。特に私が観た『カーチャ・カバノヴァ―』として次に紹介するフランクフルト歌劇場の『イオランタ』(2018年)では、『アルマゲドンの夢』でも舞台美術を担当するバルバラ・エーネスが担当、大いに貢献していた。

 盲目の娘イオランタに対して、「盲目ということ自体を隠して育てる」異様な過保護ぶりを発揮するルネ王。シュタイアーはここに精神的ドメスティック・バイオレンス、そして近親相姦的な要素を読み込んだ。回り舞台の上に二階建ての扇形のフロアが設置され、その舞台二階中央の大きなベッドは、天井まで続く高い壁に囲まれ、その棚にはイオランタと同じ姿の人形がぎっしり並べられている。この棚の高さ自体が圧巻だが、王の娘への愛を語るアリアが終わると共に、そこに並ぶ人形たちが、娘を睡眠薬で眠らせ一晩添い寝するごとに一体ずつ置かれてきたものだとわかった瞬間、巨大な棚は心理的により高く、閉塞感をもたらすものに変貌した。この瞬間の衝撃は忘れられない。

 女官たちがイオランタを美しい花でなぐさめる場面では、下働きの全員が民族衣装でレビューに参加させられる。王が正面で見守る中、床から花が噴き出すように咲き、緑の大枝が上から降りてきて、天井からつるされた二つの籠から男たちが花びらを撒く。まさにチャイコフスキーの華やかな音楽と共鳴し劇場的な楽しみをもたらす名場面になっているが、同時にすべてがルネ王のエゴに奉仕するこの閉じた「世界」の歪みを巧みに伝える場面ともなっていた。


「新しいオペラ」への熱意

『アルマゲドンの夢』稽古場風景より

 シュタイアーに関しもうひとつ特筆すべきは、1980年代以降の「同時代オペラ」の初演・上演への積極的かかわりである。その質の高さは、パスカル・デュサパン『ペレラ、煙の男』(マインツ歌劇場)が2015年のファウスト賞にノミネートされ、カールハインツ・シュトックハウゼン『光―木曜日』(バーゼル歌劇場)が独批評誌「オペルンヴェルト」の2016年の作品賞を獲得していることにも明らかだ。

 アメリカの同時代音楽グループ、インターナショナル・コンテンポラリー・アンサンブルとの関係は深く、ここでドゥ・ユン『ツォレ』(2005年)初演を演出。デニス・デサンティスの室内オペラ『[消去の芸術]』(2010年、シュトゥットガルト)では演出とともに脚本も担当している。ミヒャエル・ヴェルトミュラー『ディオダティ荘。果てしなく』(2019年、バーゼル)では、現代ドイツの重要な劇作家デーア・ローアーによる複雑なテキストを見事に整理し、視覚的にも魅力ある舞台としてまとめあげた。

 そんなシュタイアーと藤倉は、長年一緒に創作したいと希望していたのだそうで、それがついに実現する『アルマゲドンの夢』は世界的にも注目を集める新作初演となるだろう。ぜひ劇場に足を運んで、歴史的初演を体験してほしい。



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