演出家 ジョナサン・ミラー氏逝去の報を受けて


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ジョナサン・ミラー(新国立劇場リハーサル室にて)

2019年11月27日、英国の演出家ジョナサン・ミラー氏が逝去されました。85歳でした。

ミラー氏はロンドンに生まれ、ケンブリッジ大学在学中にコメディ劇団「ケンブリッジ・フットライツ」のメンバーとして活躍、その後伝説的なレビュー『ビヨンド・ザ・フリンジ』の共同執筆・出演を機に、医師から演劇の世界へ転身しました。医学博士、作家、テレビプロデューサー、演劇とオペラの演出と幅広い分野で活躍され、英国においてはパブリック・インテリジェンス=誰もが知る知識人として尊敬され、愛された存在でした。演出家としてはロイヤル・シェイクスピア・カンパニーやオールドヴィック劇場などのシェイクスピア作品で特に名声を博しており、BBCの大プロジェクト「シェイクスピアシリーズ」では全38作中6本の演出を手がけています。この「シェイクスピアシリーズ」は日本でもNHKで放送され、世界唯一の映像によるシェイクスピア全集として、現在はDVD化されて世界中で親しまれています。オペラではイングリッシュ・ナショナル・オペラ、英国ロイヤルオペラはもちろん、ミラノ・スカラ座、メトロポリタン歌劇場、バイエルン州立歌劇場、ウィーン国立歌劇場、ザルツブルク音楽祭など世界各地で演出を手がけました。

新国立劇場では、トーマス・ノヴォラツスキー芸術監督第1シーズンの2003/2004シーズン(テーマ:男たちの運命)の最後の新制作として『ファルスタッフ』を演出、ノヴォラツスキー監督最終シーズンの2006/2007シーズン(テーマ:運命・希望ある別れ)を締めくくる新制作として『ばらの騎士』を演出しました。

シェイクスピア原作の『ファルスタッフ』では、温かく徹底した人間観察によって活き活きと登場人物を動かし、舞台ならではの楽しさが溢れ出す極上の喜劇を創り上げました。『ばらの騎士』では、作品の背景にある時代の転換の気配に着目し、「時の移ろい」をテーマに、豪奢な舞台上で、諦念と未来への希望を成熟したタッチで見事に浮き彫りにしました。いずれの作品も、美しい視覚効果と演劇としての完成度、そして滲み出る人間愛によって観客の心を掴み、新国立劇場の重要なレパートリーとして再演を繰り返しています。

ここに謹んでジョナサン・ミラー氏のご功績に敬意を表すとともに、心よりご冥福をお祈り申し上げます。



新国立劇場


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『ファルスタッフ』初演の舞台より
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『ばらの騎士』初演の舞台より


『ファルスタッフ』初演(2004年6月)の際のインタビューより

私は真の人間の行動にこそ興味があります。人間同士のやり取りにこそ真実があるのです。ファルスタッフとは一体どんな人物か? サンタクロースを思わせる愉快な面があるとともに、落ちぶれた貴族という哀れな面もある。そうした複雑な人物を、ありのままに描き出すのが演出家の役割です。

私は演出家になる前に自然科学を学び、医学博士号を取得しました。そこで学んだのは、人を観察することの重要さです。新宿中央公園に寝泊まりする人、劇場の食堂で昼食をとる人、そうしたさまざまな人の行動を常に観察し、そこから人間の行動の興味深いところを学び取り、演出に反映させるのです。

観客が漠然と理解していることを再認識させる、それが演出家の役割です。



『ばらの騎士』初演(2007年6月)の際のインタビューより

(『ばらの騎士』が初演された)当時も今も、人間は、押し寄せる時代の変動をはっきりと見通せないままでいます。先のことは誰にもわからないのです。20世紀初頭の社会でも、周囲で「何か」が変化しつつあり、その「何か」によって、自分たちの優雅な生活が完全に過去のものになってしまうと感じていた人はいたようですが、しかし彼らはそれを回避することはできませんでした。その「何か」とは、1914年に勃発した第一次世界大戦とそれに続く第二次世界大戦であり、人類史上もっとも恐ろしい100年となった20世紀そのものである、私はそう思っています。

オペラの演出家とは、物語を具現化するためにあらゆる種類のクリシェ、陳腐な慣習を排するための存在です。人物群を、観客の皆さまが身近に感じられるような存在として動かすのです。新国立劇場の今シーズンのテーマは「運命・希望ある別れ」とのことですが、『ばらの騎士』の人々は、別れに希望を託しはしても、そのすぐ先に自分たちの運命に大変化が起きることまでは予見せずにいます。今回はそうした暗雲立ち込める時代の前夜に、人々の真実味溢れる生き方を描くことで、この作品の本質に迫りたいと思っています。


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『ファルスタッフ』リハーサル室にて(2004年) 
ダン・エッティガー、ベルント・ヴァイクルと
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『ばらの騎士』オペラトーク(2008年) 
ペーター・シュナイダー、トーマス・ノヴォラツスキー芸術監督(当時)と


『ファルスタッフ』オペラトークの模様はこちら

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