『蝶々夫人』ピンカートン役 スティーヴン・コステロ インタビュー


明治時代の長崎を舞台に、蝶々さんの一途で悲しい愛の物語を描くプッチーニ『蝶々夫人』

アメリカ海軍士官ピンカートンを歌うのは、アメリカ人テノール、スティーヴン・コステロだ。

2007年、26歳でメトロポリタン歌劇場にデビューして以来、世界から注目を集めているコステロの今シーズンは、

『カルメン』ドン・ホセのロールデビュー、彼が最も得意とする『椿姫』アルフレードをメトロポリタン歌劇場とハンブルク州立歌劇場で歌うなど、重要な公演が目白押し。

そのなかでもハイライトのひとつとなるのが、日本での初舞台、新国立劇場『蝶々夫人』でのピンカートン役デビューだ。

名門歌劇場・音楽祭を席巻中のコステロに、これまでのキャリアについて、そして日本デビューについてうかがった。




好奇心を持ち続け
自分の芸術を追求したい


スティーヴン・コステロ

――コステロさんは10代の半ばまでトランペットを勉強していたそうですね。なぜ声楽に転向されたのですか。

コステロ(以下C) トランペットの先生から、耳を鍛えるために歌を学ぶといいと言われて合唱団に入ったのがきっかけでした。周りの人たちの歌う声を聞き分けることが、耳を鍛えることにつながるというものでした。ところが私の隣の人がやたら大きな声で歌うものですから、他の人の声が聞こえないばかりか、それに対抗してさらに私が大きい声で歌うこととなり、耳のトレーニングとしては疑問が残る事態となってしまったのです(笑)。



――でもその結果、あなたは自身の美しい声に気がつかれたわけですね。

C それはちょっと違いますね。自分自身の声は、他者が聴くものとは違うように聴こえるということはよく知られたことです。私は自分自身の声が良いとは思っていませんでした。でも合唱の指導者や周りの人から声楽を本格的にやるべきだとすすめられたのです。音楽をする人間は自分に対して厳しい評価を下す傾向がありますから、楽器にしても声楽にしても、自分の演奏や声がいいと思うことはありませんでした。でも、結果的に大学では初めにトランペットを、そしてその後、声楽を専攻することになりました。



――その後、生まれ故郷フィラデルフィアのアカデミー・オブ・ヴォーカル・アーツ(AVA)で学ばれたのですね。

C ええ、でもその前にフィラデルフィアで行われたミュージカル『南太平洋』の舞台に立ちました。お客様を前に舞台で歌い、演技をし、本当に楽しかったのです。舞台の魅力に気付かされたといってもいいでしょう。でも同時に、奥の深い、さらなる勉強と様々なテクニックの習得、そして時間を必要とするクラシック音楽の魅力も、より一層強く感じるようになりました。クラシック音楽においては、自分の声が果たしてどのような楽曲に向いているのか、どのような性格のものなのか、すぐに分かるわけではありません。声楽科の声は研鑽を重ねていけば、成長し、変化をしていくものなのです。実はそれこそがまた魅力であると感じたのです。結局、アリアや声のトレーニングに専念し、最終的にAVAに進みました。AVAでは月謝を一切取らず、オペラに関する全てを学ぶことができる素晴らしい教育システムが確立されています。



――AVAは素晴らしい声楽家を次々に輩出し、あなたも2009年に受賞されたリチャード・タッカー賞の受賞者の多くはこのアカデミーの出身ですね。

C そうです。私の場合、一日4時間以上歌っていましたが、レッスンはマンツーマンで行われました。そしてヴォイス・トレーナーだけでなく、指揮者からも指導を受けますし、フランス語、イタリア語をはじめとする発音指導もあります。なによりも在学中から舞台に立つ機会を多く与えられ、大学ではせいぜい年に1演目でしょうが、AVAでは5演目以上のオペラの舞台、それもオーケストラと共に歌うことが可能でした。また、ニューヨークに近いので、コンクールに参加したり、急なオーディションを受けることも可能でした。若い歌手にとってはとても恵まれた環境だったのです。



――AVA在学中に『ラ・ボエーム』のロドルフォ役でオペラ・デビューを飾り、さらには2007年、26歳の時にメトロポリタン歌劇場へのデビューを果たされましたね。

C ええ、メトロポリタン歌劇場の前にダラス・オペラ、そしてカーネギーホールでのデビューも果たすことができました。メトロポリタン歌劇場のデビューでは、シーズン初日の『ランメルモールのルチア』のアルトゥーロ役でした。録音も行われると聞いて、心臓が破裂するかと思いました。



――そして今ではグラインドボーン、ザルツブルクなどの音楽祭のみならず、ヨーロッパの主要オペラハウスでも引っ張りだこですね。やはりヨーロッパで歌うのとアメリカで歌うのは違いますか?

C ええ、時差がね!(笑)ヨーロッパで最初にオペラを歌ったのは、フランス、ボルドーの歌劇場でしたが、本当の意味でのヨーロッパ・デビューはロンドンでのリサイタルでした。その後は気がついたら、英国ロイヤルオペラ、ウィーン国立歌劇場といった具合に、歌えたらいいな、と思うようなところから次々とオファーが来て、その舞台に立っていました。2年前には韓国でも歌い、そして今度は初めての東京で、初めての『蝶々夫人』で新国立劇場の舞台に立つのです。実はかなり前に日本に行く話があったのですが、その時はかないませんでした





初めての日本で
初めてピンカートンに挑みます

『蝶々夫人』リハーサル風景

――ピンカートン役は新国立劇場がロールデビューなのですね。

C そうなんです。リサイタルでアリアだけを歌ったことはありますが、舞台は初めてになります。待望の日本を訪れ、初めての役に挑むのですから、やりがいを感じています。特にオペラは数週間その地に滞在して舞台を作り上げていかなくてはなりません。その時間を確保することは容易ではありません。でも今回、マネージャーから新国立劇場からの話を聞いた時には2つ返事で受けたい旨を伝えました。



――ピンカートンについてはどう思われますか。蝶々さんへの仕打ちはひどいものなのに、アリアを聞いているとどこか憎めなくなってしまいますよね。

C そうなんです。それがまた難しい。確かにピンカートンは誠実な人物とは言い難いです。彼は若く、第1幕を通して彼女を説得し、結婚をします。でもそれがどういうことを意味するのか理解していません。彼女との関係をただ一時のものとしか考えていなかったのです。蝶々さんとの第1幕の二重唱はとても美しいのですが、それは彼の刹那的な考えが後ろにあるからかもしれません。最後にきても、彼の心中が明確に示されているとは考えにくいところがあります。そこがまたこの役を難しいものにしています。



――先日、ベルカントのアリアを集めたソロ・アルバム『A Te, o Cara』をリリースされましたね。

C ええ、キャリアを歩み始めたときから歌ってきたドニゼッティ、ヴェルディといった作曲家によるベルカントのアリアを収めた初めてのソロ・アルバムです。今はコンテンポラリー・オペラの機会にも恵まれ、レパートリーも広がっています。でも今日の私があるのは、ベルカントを歌い始めたころから多くの人たちに支えてもらったおかげです。ですからその人たちへの感謝の気持ちを込めて、このアルバムを作りました。今後はフランス語の歌も歌っていきたいですね。実際のところ、フランス語と私の声の相性も悪くないことがわかってきて、フランス語のレパートリーも増えてきているのです。でもフランス語のアルバムを作る前に、日本での公演の後になりますが、『蝶々夫人』のレコーディングが行われる可能性の方が高そうです。



――日本で楽しみにしていることはありますか?また、日本のオペラ・ファンにひとことお願いします。

C 日本のオペラ・ファンがとても熱心な方々であることは歌手仲間から聞いています。そして今まで日本にはうかがえずにいたので、その皆様の前で歌うことが実現し、本当に嬉しいです。ただ、みんなから、あそこに行った方が良い、こっちの方に行くべき、とか言われていて、日本で何をすべきか決まらずに困っています(笑)。でも、まずは『蝶々夫人』です。皆様とお目にかかるのを楽しみにしています!




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