フィレンツェを舞台とする2つの物語 ―――豊麗な『フィレンツェの悲劇』/軽妙洒脱な『ジャンニ・スキッキ』


山田治生

ジ・アトレ10月号より


同時期に誕生した2つのオペラ

 アレクサンダー・ツェムリンスキーの『フィレンツェの悲劇』(1917年初演)とジャコモ・プッチーニの『ジャンニ・スキッキ』(1918年初演)とは、フィレンツェを舞台とすることで共通しているだけでなく、作曲された時期もほぼ同じなのである。それどころか、オスカー・ワイルドの戯曲『フィレンツェの悲劇』のオペラ化を先に考えたのは、プッチーニであった。しかし、楽譜出版業者のジューリオ・リコルディの反対などによってそれは実現されなかった。

 ウィーン出身のツェムリンスキーが1915年から16年にかけて『フィレンツェの悲劇』の作曲に取り組んでいたとき、プッチーニはウィーンの劇場からの依頼で『つばめ』を作曲していた(第一次世界大戦の影響で『つばめ』の初演は1917年にモンテカルロで行われる)。そして引き続き、プッチーニは、『外套』、『修道女アンジェリカ』、『ジャンニ・スキッキ』の三作からなる「三部作」の創作に取り掛かる。「三部作」は今から100年前の1918年にニューヨークのメトロポリタン歌劇場で初演された。その後、オペラ指揮者としても活躍していたツェムリンスキーは、プラハの新ドイツ劇場やベルリンのクロル・オペラで「三部作」を指揮したのであった。また、『フィレンツェの悲劇』の次作である『こびと(王女様の誕生日)』(一幕物)のウィーン初演においては、『ジャンニ・スキッキ』を並べて上演したりもした。つまり、ツェムリンスキーにとって『ジャンニ・スキッキ』は近い存在であった。



後期ロマン派の爛熟『フィレンツェの悲劇』

アレクサンダー・ツェムリンスキー

 1871年生まれのツェムリンスキーは、ウィーン宮廷歌劇場の音楽監督であったマーラーに認められ、1900年にオペラ『昔むかし』が同歌劇場でマーラーの指揮によって上演されるだけでなく、1907年からは同歌劇場のカペルマイスターを務めた。同時に、ツェムリンスキーは、アルマ・マーラーやシェーンベルクの作曲の師でもあった。つまり、彼は、マーラーと新ウィーン楽派をつなぐポジションにいた。ツェムリンスキーは1942年に逃れた先のアメリカで亡くなったが、ユダヤ人の血をひくゆえにナチスによって作品が抹消され、一時期、忘れ去られた作曲家となっていた。しかし、近年、交響詩「人魚姫」や「抒情交響曲」がオーケストラのレパートリーとして定着し、この『フィレンツェの悲劇』も時折上演されるようになっている。

 『フィレンツェの悲劇』の舞台は、16世紀のフィレンツェ。商人であるシモーネが旅から自宅に戻ると、妻ビアンカが見知らぬ男といる。その男は、フィレンツェ大公の息子グイード・バルディであった。シモーネは、貴公子に最初は友好的に接していたが、妻の不倫を悟り、グイードへの復讐を考え始める。遂にシモーネはグイードに決闘を申し出、ビアンカの夫を殺してしまえば話が早いと思ったグイードはそれを受ける。決闘が行われ、シモーネがグイードを殺す。シモーネは次に不貞の妻を殺そうとするが、ビアンカは夫を見つめ、「どうしてそんなに強い男だと話してくださらなかったの?」と問う。シモーネもそれに応えて「なぜこんなに美しい女だと言ってくれなかったのだ?」と言う。そして2人は口づけを交わすのであった。

 この物語は奇妙なハッピーエンドに見えるが、オスカー・ワイルド(執筆当時、彼は同性愛の罪により告発されていた)は、力強く粗野な「男らしさ」だけが女性を魅了するという「悲劇」を描いたのであった。

 壮麗な前奏曲は、劇が始まる前の不倫行為を暗示するという意味でもR.シュトラウスの『ばらの騎士』を想起させる。シモーネがグイードにリュート演奏をすすめるワルツのような音楽が魅惑的。そして、このオペラの最大の聴きどころは後半のグイードとビアンカの官能的な二重唱に違いない。もちろん、後期ロマン派の爛熟を思わせるオーケストラの響きもたいへんに魅力的である。



簡潔で演劇的な『ジャンニ・スキッキ』

ジャコモ・プッチーニ

 プッチーニは、1858年、ルッカの音楽一家に生まれた。ルッカはトスカーナ地方にあり、フィレンツェとも近い。『ジャンニ・スキッキ』は、一晩に3つの一幕物のオペラを上演する「三部作」の最後の作品として作曲された。ダンテの『神曲』地獄篇第30歌を題材とするアイデアは、台本を担ったジョヴァッキーノ・フォルツァーノによるものであった。ジャンニ・スキッキは『神曲』に出てくるフィレンツェの成り上がり者であり、ダンテと同時代に実在したといわれている。『神曲』では他人の遺言状を偽装して地獄に落とされた人物として登場するのみで、オペラのストーリーは、過去の註釈をもとに、フォルツァーノとプッチーニが考え出したものである。

 『ジャンニ・スキッキ』の舞台は、1299年のフィレンツェ。大金持ちのブオーゾ・ドナーティが亡くなり、ドナーティ家の親戚の人々が悲しんでいるが、彼らの本当の関心は遺産の行方にほかならない。そこで一同は遺言状捜し躍起になるが、遺言状を開けてみると、遺産のすべては修道院に寄付するように書かれていた。何とかこの遺言状を変えることができないか、という話になり、リヌッチョは恋人ラウレッタの父であり、機転のきくジャンニ・スキッキを推薦する。そして、スキッキ自身がブオーゾになりすまし、遺言状を作り替えることになる。口々にスキッキに自分の希望を言う親戚たち。やがて公証人が呼ばれ、遺書の作成が始まる。偽ブオーゾは、家などその中で最も価値のあるものを「親友のジャンニ・スキッキに贈る」という。公証人が帰ったあと、親戚たちは家から追い出され、結婚できるようになったリヌッチョとラウレッタが幸せに酔いしれる。

 演劇的なオペラであり、セリフのような歌唱や会話のようなアンサンブルが特徴的。歌手たちには演技力も求められる(ジャンニ・スキッキは最後に口上までする)。旋律的な音楽は、若いラウレッタとリヌッチョのカップルによって担われる。ラウレッタが父ジャンニに頼みごとをする「私の大好きなお父さん」では、まさにプッチーニ節ともいうべき甘美なメロディが聴ける。しばしば単独でも歌われる人気のアリアである。オーケストラの扱いが豊麗な『フィレンツェの悲劇』とは対照的に簡潔で室内楽的である。




どんなフィレンツェを描き出すか
指揮と演出への期待

沼尻竜典/粟國淳

 今回指揮を執る沼尻竜典は、日本にツェムリンスキー作品を積極的に紹介してきた一人である。『フィレンツェの悲劇』は既に2004年の日本フィルハーモニー交響楽団定期演奏会で取り上げた。そのほか、オペラ『こびと(王女様の誕生日)』は、2001年の東京フィルハーモニー交響楽団のオペラコンチェルタンテ・シリーズ、および、2007年のびわ湖ホールでの上演で、指揮している。交響詩「人魚姫」は、2001年に東京フィルと、2007年にNHK交響楽団と共演。「抒情交響曲」は、2005年に日本フィルと演奏している。豊潤な管弦楽を使ったロマンティックな作品は沼尻の最も得意とするところといえるだろう。もちろん、リューベック歌劇場の音楽総監督を務めるなどオペラ経験の豊富な沼尻は、プッチーニにも抜かりはない。また、演出を手掛ける粟國淳は、イタリアで育っただけに、このフィレンツェを舞台とする2つのオペラをどう描くのだろうか。興味は尽きない。




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