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オペラ『ホフマン物語』タイトルロール ディミトリー・コルチャック インタビュー

"シャンゼリゼのモーツァルト"オッフェンバックの『ホフマン物語』は、ドイツ・ロマン派の作家E・T・A・ホフマン自身を主人公にした小説にもとづくオペラ。

3人の女性との悲恋を振り返る詩人ホフマンを演じるのは、ディミトリー・コルチャックだ。2016年4月『ウェルテル』のタイトルロールに代役として登場し、甘く力強い声で客席に熱狂の渦を巻き起こした彼が、新国立劇場に帰ってくる!

<ジ・アトレ2017年10月号より>


愛すること、自分に正直であることを恐れるな
『ホフマン物語』はそれを教えてくれる


――今やヨーロッパの歌劇場や指揮者からの依頼が絶えないディミトリー・コルチャックさんですが、日本で出演した初めてのオペラ公演が、新国立劇場で2016年4月に上演した新制作『ウェルテル』でした。急な代役としてご出演いただきましたが、素晴らしかったです。

コルチャック(以下K) ありがとうございます。確かにぎりぎりのタイミングでのお話で、予定をすべて動かして日本に飛んだのを覚えています。大好きな日本ではそれまで、コンサート形式のオペラやリサイタルでしか皆様の前で歌う機会がなかったのと、ウェルテルは私にとって大切な役でしたので、ぜひ歌いたいと思ったんです。

――実は日本には何度もいらしていますよね。

K ええ、初めての来日は10歳のときで、少年合唱団の一員として日本の主要都市を周りました。あのときは近代的な都市と最新技術の数々に心を奪われましたが、今は日本の文化、詩歌、そして美的感性の素晴らしさに心惹かれます。言うまでもなく和食も大好きです!

――そして今度は『ホフマン物語』のホフマン役で再登場いただきます。今回もまた詩人の役となりますね。

K 楽しみにしています。オペラの主人公は皆なんらかの才能に恵まれていますよね。人を深く愛することも才能ですし。でも芸術的な才能に恵まれた主人公を演じるのは、他の役を演じるのと全く違うところがあります。彼らは音色、あるいは言葉で自らの感情を表現する術を持ち、才能によって見出された幻想の世界に安住の地を見出すことができます。ホフマンの場合がそうです。

――でもウェルテルは死を選び、そしてホフマンもまた......。

K そうです。でも、トーマス・マンは次のように書いています。「不幸な愛ゆえにウェルテルは死を選んだ。でもゲーテは(死を選ぶのではなく)この愛の詩を書いたのだ」。つまり真の詩人はゲーテであって、ウェルテルではありません。ウェルテルは詩よりも愛の才能にたけた人物だったのです。ウェルテルは、オペラの中でオシアンの詩を読むことはあっても、自分の詩は一度も読みませんから、そこからもわかります。そして『ホフマン物語』は、『ウェルテル』同様、主人公にあたる実際の詩人が存在します。ここにオッフェンバックの意図を読み取ることができると私は考えます。

――実在の詩人をモデルとしている役にアプローチするときには、どのような点に気をつけていますか。

K その人物、あるいはその歴史的な背景を知ることは役作りの上で大切ですし、興味を惹かれるところではあります。しかし、実在の人物と物語の人物は決して同一人物ではありません。さらに私たちには芸術的な空想をする力があります。それこそが役柄の解釈を可能、かつ面白いものにしてくれると思っています。

――では、芸術的な空想から生まれたコルチャックさんのホフマン像とは?

K ホフマンは、ファンタジーの世界に住む空想家です。だから彼を犠牲者と単純にとらえてはいけないと思います。私からすれば、本当の犠牲者とは、ファンタジーや感情、音楽、文学、芸術、自然、そして神と自分を信じる心、それらを一切持たずに日常の現実の中だけに生きる人ではないでしょうか。

――それは『ホフマン物語』のテーマとも言えるのでしょうか。

K 愛すること、自分に正直であることを恐れるな、ということが大切だと『ホフマン物語』は伝えています。これは人生の教訓でもあり、誰にとっても自分の代わりになり得る人はいないということです。実はこれと同じような考えが貫かれているのが『ファウスト』です。このオペラもいつか日本の皆様の前で歌いたいですね。



これからは指揮者としての活動も増える予定です

2016年4月『ウェルテル』より

――それにしても大変広いレパートリーをお持ちですが、今後挑戦したい役はありますか。

K おっしゃる通りこれまで50以上の役を歌ってきました。これは多くの歌手が生涯で歌う役柄数よりも多いかもしれませんが、まだまだ挑戦したい役はあります。『ファウスト』『ロメオとジュリエット』といったレパートリーです。

――大学で指揮法も学ばれていたと聞きましたが。

K もともとは歌手ではなく、指揮者になるべく音楽の道に進んだのですよ。しかし私の恩師であり、音楽の世界における父ともいえるヴィクトル・ポポフ教授が「指揮者の血はすでに君の中に脈々と流れている。だからいつでも指揮に戻ってくることができる。しかし人の声ほど完璧で崇高なものはない」と背中を押してくださり、声楽を始めました。その後、ロサンゼルスで開かれたプラシド・ドミンゴ・オペラリア(国際オペラコンクール)とバルセロナでのフランチェスコ・ヴィナス国際声楽コンクールで賞を受け、ビゼーの『真珠採り』とベッリーニの『夢遊病の娘』でデビューを果たし、今日に至っています。

――歌手になってからも、指揮者としての経験が生きているのではありませんか。

K もちろんです。音楽を聴くとき、声楽家として歌うべき音をひとつひとつ追いかけるのではなく、指揮者として音楽全体を聴いている部分が常にあります。作品を解釈する上で大きな助けになっていると言っていいでしょう。また、指揮者を見れば、大体どのようなことを求めてくるかが判断できます。歌の練習は、自分でピアノを弾きながらやりますよ。ピアノもヴァイオリンも弾けまして、これはソヴィエト連邦の素晴らしい音楽教育のおかげですね。



――これまでの歌手生活の中で思い出深い作品、あるいは音楽家との出会いはありましたか。

K ほとんどの公演が私に素晴らしい出会いと思い出をもたらしてくれました。でも、やはりリッカルド・ムーティとの出会いは特別でした。ムーティと初めて共演したのは、日本でのロッシーニの「スターバト・マーテル」です。その後、彼と多くの共演を重ね、この先も共演が決まっています。そして同じ「スターバト・マーテル」をミラノ・スカラ座で歌ったときのことが生涯忘れることができません。というのは、まさに息子がこの世に生を受けた瞬間だったのです。

――素敵な思い出ですね。でも今後はご自身が指揮者としての公演の思い出も増えていくのではありませんか。

K 指揮者としての機会も確実に増えてきています。実はマエストロ・ゲルギエフが私に指揮者としての最初の可能性を与えてくれました。私が以前から指揮したいと思っていたラフマニノフの「晩祷」を、彼が音楽監督を務めるモスクワ復活祭音楽祭において、クレムリンの教会で振らせてくれたのです。今後もロシアやヨーロッパで指揮をする予定で、2017/18年シーズンからはノヴォシビルスクのバレエ・オペラ劇場の首席客演指揮者に就任します。今からとても楽しみで、すでにいくつかプログラムを考えています。ただし、歌手としての仕事も詰まっているので、時間のやりくりが課題ですね。

――最後に、新国立劇場への再登場を心待ちにしている日本のオペラ・ファンへメッセージを。

K 日本の皆様、また新国立劇場でお目にかかるのを、心から楽しみにしています。素晴らしいスタッフ、そしてキャスト一丸となって、素晴らしい体験を皆様にしていただけると確信しています。



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