オペラ『松風』作曲家・細川俊夫 インタビュー

欧米の主要な歌劇場、音楽祭、オーケストラから次々と委嘱を受け、
その新作が常に大きな話題を呼ぶ、作曲家・細川俊夫。彼のオペラを、ついに新国立劇場で初上演する。

能にもとづくオペラ『松風』。この作品への想い、そしての姿勢について語っていただいた。

インタビュアー◎北川千香子(慶應義塾大学準教授)

ジ・アトレ2017年9月号より


作曲家としてのルーツ
それは、自分の中に埋め込まれている自然の響き

細川俊夫

――オペラ『松風』は、すでにヨーロッパ、アジアの各国やアメリカで上演されています。そしてやっと日本で初演が実現されることになりました。

細川 この作品の世界初演は2011年にブリュッセルで行われました。7年後にようやく日本で上演されることを、とても嬉しく思います。能をテーマとしたこの作品が故郷に帰ってくるわけで、それを日本の観客にどのように感じてもらえるか、とても楽しみです。

――この作品への特別な思い入れはありますか。

細川 僕の作品ではいつも、自然のもっている恵みがテーマになっており、自然の響きが根底にあります。オペラ『松風』でも、松風という女性に自然が憑依して、松の風のような響きになり、最後のクライマックスで魂が浄化されます。しかし、自然には暴力や怖さといった側面もあります。『松風』の世界初演の練習が始まって一週間後くらい、2011年3月11日に津波と福島の原発事故が起こりました。皆が動揺し、稽古の場は混乱しました。この作品は海のそばが舞台となっており、最初に波の音がずっと聞こえてきます。ベルリンの稽古場では、その音を聞くたびに誰もが津波のことを思い出し、練習を中断することもありました。演出のプランを全部変えなければならないのではないかという話も出ましたが、結局変えないことになりました。その時のことは、とても忘れることはできません。

こうした誕生のヒストリーがあって、音と人間の声が美しく混じり合う作品ができたと思いますし、日本でどのように受け止められるだろうかと思っています。

――細川さんの作品では、自然の響きとともに沈黙や静寂が非常に重要な要素となっています。これにはご自身の生い立ちも関わっているのでしょうか。

細川 ヨーロッパの仲間たちは、ヨーロッパ音楽の深い源泉につながって音楽をやっています。彼らは、例えばベートーヴェンやシューマンへの深い基盤をもっています。僕は後からヨーロッパ音楽を聴く能力を鍛え、そのハーモニーや形式を勉強し、訓練して身につけましたが、それらはヨーロッパの仲間たちの体のなかに、すでに深く根ざしているのです。僕はそのことをとても羨ましく思いました。では僕には何ができるのか、と考えました。そうして、海の音や蝉の音といった自然の音が自分のなかにあって自分のなかに埋め込まれていることに気がつきました。そういう響きを自分の音楽の根源に置くということが、僕の作曲家としてのルーツになるのではないかと思ったのです。そして、自然の響きや伝統音楽を自分の音楽の根に据えて作っていくようになりました。

――『松風』の冒頭に出てくる合唱も、能の地謡という伝統音楽からインスピレーションを得ているのでしょうか。

細川 全くその通りです。人数も地謡と同じ8人です。それはギリシア悲劇でいうコロスで、主人公の無意識の声や背景を表現します。『松風』の冒頭の合唱は、ギリシア悲劇のようでもあり能のようでもあるわけです。日本初演では、新国立劇場合唱団の方々が出てくださいます。とても上手なコーラスですので、今からすごく楽しみです。



魂の浄化、癒し、救いとしての音楽

モネ劇場公演より ©Bernd Uhlig

――松風と村雨という名前にもすでに自然が含まれていますね。この姉妹が行平という一人の男を愛するということに、どういった意味があるのですか。

細川 二人は陰と陽の関係にあります。姉の松風は狂乱し、行平の幻影を見ます。妹の村雨は冷静で理性的で、「あれは松であって行平ではない」と言います。姉妹は二人の女性によって演じられますが、それは一人の女性の二つの側面であり、二つで全体像をなしています。だから、二人が一人の男を愛しても、ヨーロッパのオペラのように嫉妬したり三角関係になったりといったどろどろしたドラマが繰り広げられることになりません。原作の能ですでにこのように設定されているわけですが、これはとてもユニークな発想だと思います。

――終盤には、二人の姉妹によるエクスタシーの舞ともいうべき場面がありますね。これは行平と一体になる姿をイメージしたものでしょうか?

細川 二人は歌になり音になるのです。人間の肉体が混じるのは大変だけれども、音は混じりやすい。そうして一つになりエクスタシーに至るのです。私は芸術にはシャーマニズム的なものがあり、演奏家というのは巫女のようなものだと思っています。松風と村雨もまた巫女のような存在であり、普通の人が見えないものと交信し、この世とあの世を結ぶ役割を果たしていますが、まさにその見えないものを二人の姉妹はもっているのです。

 能とはこういうものではないでしょうか。シテは、あの世からの橋掛りから出てきて、語り、舞い、エクスタシーに至って浄化され、橋掛りからあの世へと帰っていきます。それを音楽的かつドラマティックにしたものが僕の『松風』だと思っています。これは、魂の浄化、癒し、救いとしての音楽です。音楽を書くこと、自分の作曲という仕事はそういうことだと思います。

――自然、深い静寂、能の幽玄なる世界...。せわしない社会に生きる現代人には遠いものになってしまったのではないでしょうか。

細川 そういうものに興味がない人には何も響かないでしょう。私の音楽は、無意識の世界や見えない世界に結びついています。知的な音楽ではありません。むしろ感覚的で不思議な世界を描いています。現代人も、夢幻能のような、つまり夢と現実が結びついた世界をどこかで求めていると思います。音楽というドラマはそれを提供するものなのかもしれませんし、オペラというものは夢や希望や絶望と結びついて、そういうものを求めて人々は劇場に集まってくるのかもしれません。そういう意味では、現代人にとって遠いものだと思いません。村上春樹の小説が人気があるのも、それに通じていると思います。井戸のなかに入ったり、壁を通り抜けたりする世界が出てきます。『騎士団長殺し』もトンネルを通っていくという、「夢のトンネル」の話ですね。ああいう世界に人々は惹かれるのではないでしょうか。僕の作品では、亡霊があの世からこの世に帰ってきて、「夢のトンネル」を聴覚的に体験しながら違う世界に出て行く。そういう音楽を現代人は求めていると思うのです。

――細川さんにとって、ここが聞きどころ、というのがあれば。

細川 全部です(笑)。観客が特に喜ぶのは、松風と村雨が天から降ってくる場面です。ここでは、完全五度の音が響くなか、水の滴る音が聞こえます。これは汐汲みの水の音です。録音された音と、実際に桶に入った水を滴らせる実演の音の両方を使っています。



数々の『松風』演出が作られましたが
サシャの演出を超えるものはありません

モネ劇場公演より ©Bernd Uhlig

――演出に関しては、サシャ・ヴァルツさんとの共同作業があったのでしょうか。

細川 サシャとは一緒に京都に行きましたし、能も一緒に観に行きました。ある時からは別々に創作を行い、演出は彼女が自分の好きなようにやり、僕は初演までノータッチです。これまで数々の『松風』演出が作られてきましたが、サシャの演出を超えるものはありません。

――舞台美術を担当された塩田千春さん、台本作家のデュブゲンさんとの出会いは。

細川 サシャと相談したところ、彼女がベルリン在住の塩田さんを推薦してくれました。塩田さんとは最初の打ち合わせをして、後はお任せしました。デュブゲンさんとは、僕がベルリン高等研究所に住んでいる時に、所長のマイヤー=カルクス氏の紹介で出会いました。彼女はオペラに精通しているだけでなく、日本にとても興味があります。日本に来た際には一緒に奈良や京都に行って勉強しましたし、能も一緒に観ました。

――将来、日本語でのオペラ創作の予定はありますか。

細川 上演される場所がヨーロッパなので、歌手のことを考えると台本は英語かドイツ語になります。また、実際問題として、現代の日本語をどうオペラにしたらいいのか僕には分かりません。現代の日本語を音楽化するのは難しいです。日本語は相手を慮って使う言葉ですから、台本にしてしまうと、言わなくてもいいことまで言ってしまいます。歌になりづらく、今のところ挑戦できません。能の台本だったらできるかもしれません。能の台本にはフォームがあり、一つの言葉が多義的で、簡潔にできているからです。

――細川さんは日本とヨーロッパの間で活動され、日本の伝統とヨーロッパの作曲美学を融合させることで独自の作品世界を作ってこられました。そうした立場で活動することの醍醐味と難しさがあれば教えてください。

細川 作曲家として、私は新しい音楽の価値を作っていかなければならないと考えています。ヨーロッパ人の作曲家と同じようにすれば、自分の本質が殺されるし、かつての日本の作曲を続けるだけでは世界に通用しません。どういう哲学や美学に則れば、世界に通用する作品が作れるかを追求しています。僕の委嘱作品はほとんどヨーロッパからであり、作品の90パーセントはヨーロッパで初演されています。日本的なものを求めてというよりも、違うもの、異文化的なもの、ヨーロッパにはないものを僕が作っていると思ってくれているから頼んでくれるのでしょう。それに僕は応えなければならなりません。日本人の僕だけではなく、現在のヨーロッパでは、非ヨーロッパ圏から来ている作曲家は目覚ましい活躍をしています。ヨーロッパの音楽が行き詰まっているという側面もあるのでしょう。そこに僕が何かを与えることができるかどうか、常に考えながら創作をしています。



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