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オペラ「蝶々夫人」タイトルロール 安藤赴美子 インタビュー

愛を信じた幸せの絶頂から、3年後、絶望の淵へ。
可憐な15歳は、大人の女となり、誇り高く自らの運命を受け入れ、決意する。

プッチーニが描く悲劇のヒロイン、蝶々夫人役を演じるのは、新国立劇場オペラ研修所出身で、日本を代表するプリマのひとりとして各地で活躍する、安藤赴美子。

名作オペラの中に生きる、蝶々夫人という日本人の役。日本人歌手ならではの表現を期待したい。

<ジ・アトレ9月号より>インタビュアー◎柴辻純子(音楽評論家)


蝶々さんは日本人にとって特別な役
話を引っ張っていく覚悟と気持ちが必要です


©Junichi Ohno

――安藤さんは新国立劇場では久しぶりの、日本人歌手による蝶々夫人役となります。安藤さんにとって、蝶々夫人はどのような役でしょうか。

安藤 蝶々さんは日本人の歌手にとってやはり特別な役ですし、大変な役でもあります。これまで国内で二度歌ったことがありますが、一度舞台に出ると出ずっぱりの役なので、蝶々さんがこのお話を引っ張っていくという覚悟と気持ちが必要だと思っています。他のオペラの役ではあり得ないほどプレッシャーがかかる役ですが、その緊張を乗り越えて楽しみたいといつも考えています。

――蝶々さんは常にこのオペラの中心にいるわけですが、そのなかで好きな場面をあげるとしたら?

安藤 最初の登場の場面がすごく好きです。結局は悲劇になってしまいますが、蝶々夫人が最も美しくきれいで、そして希望に溢れた瞬間だと思います。

 歌唱においては、第1幕最後のピンカートンとの愛の二重唱のあたりが山場です。3年後となる第2幕は、大人になった蝶々さんの気持ち、残された子どもとの現実、そしてそれを支えるスズキとの関係が強くなっていき、そのなかでドラマがふくらんでいきます。第2幕のアリア「ある晴れた日に」も、そうしたドラマの流れの上にあるので、難しいと考えたことはありません。歌唱は感情の流れとともにあるのが理想的ですし、プッチーニの音楽もそういう展開になっていると思います。

――ドラマティックな音楽で人気の高いプッチーニですが、歌手にとってはどのような作曲家でしょうか。

安藤 プッチーニの作品はドラマや言葉が優先されていて、歌唱のテクニックだけでなく、ドラマに寄り添うと声がどんどん出てくるので、歌手としては喜びをもって歌える作曲家です。歌っていて開放的になりますし、役にはまってしまうと無理なく気持ちよく歌えて、なおかつドラマも生まれるように感じます。プッチーニは音楽だけでもストーリーがわかりますし、オーケストレーションも色彩的で、指揮者が煽るというか、盛り上げてくると、相乗効果もあって、さらにドラマがふくらみます。

――蝶々夫人役は、ソプラノでもやや重い表現のできる「リリコ・スピント」の役柄とも言われますね。安藤さんご自身の声についてはいかがでしょうか。

安藤 以前はレッジェーロかもしれないという時期もありましたが、いまはリリコ(ソプラノの王道の叙情的な声)です。自分の声が成長しているのを感じますが、周りから言われることはあっても、自分がスピントだとはあまり意識していません。正しいテクニックで、良い音楽にのって歌うというのが一番の基本ですが、ふとした瞬間に、感情とともに、音楽的にスピントの要素がドラマと一緒に自然に出てくることはありますね。

――今回は、栗山民也さん演出の日本情緒が静かに広がる舞台です。着物での所作や演技は大変ではないですか。

安藤 美しい舞台ですよね。シンプルですけど、動作で心境がいろいろ変化する、演劇の方の舞台だなと感じました。お芝居だけをすることはあまり得意ではないのですが、音楽と一緒に登場人物の心がふと動くなど、音楽に沿った演技をするのはすごく好きです。それと歌い手は、歌うときは身体を楽にしたいものですが、この役はそれに逆行して帯を締め、第1幕では、途中で脱ぐために2着分の着物を着ています。かつらもかぶっているので、とんでもない重さなんですよ(笑)。


オペラ研修所で学んだことは
劇場でしか経験できないことばかりでした

――ところで安藤さんは、新国立劇場オペラ研修所で第3期生(2000〜03年)として学ばれました。入所のきっかけは?

安藤 大学院を卒業する頃、同期の友人に誘われて第1期生の研修発表公演を観まして、「ここは私が学ぶところかもしれない」と思いました。それから募集要項を取り寄せて、確かアリアを5曲用意するということで、歌ったことのないものも入れて準備しました。定員5人という狭き門でしたが、無事合格をいただけました。

――研修所ではどのような勉強をされたのでしょうか。

安藤 ちょうど2年目にサンフランシスコの新しい研修システムが入ってきて、それまでの日本のオペラ教育に加えて、アメリカならではの教育カリキュラムにも触れることができたのはとても大きかったです。

 まず午前中に語学の授業があって、お昼にはマスタークラスがあり、ここでは研修生が順番に先生や研修生の前でオーディションの模擬をしたり、演技をつけて歌ったりします。それが終わったら個人レッスンやアンサンブルの授業を受けます。運が良ければ、本公演のリハーサルを観に行くこともできました。私の在籍中はイタリア・オペラの演目が特に印象的で、イタリアから来た歌手たちのリハーサル風景や実際に声を出されてのゲネプロ、舞台稽古をたくさん見せていただきました。朝から晩までオペラ漬けで、劇場というのはこういうものなのかと思いましたし、ここにいないと経験できないことばかりでした。

――修了後は、イタリアでさらに研鑽を積まれます。

安藤 研修所の2年目のとき、リリコの少し重めの声だと判断されました。イタリアではなんと言われるかなと思っていたらやはり同じで、リリコ・レッジェーロではなくドラマの強い役をやる声で、30歳を過ぎたらヴェルディ歌手になると言われました。当時はあまりピンとこなかったのですが、いま振り返るとセルジョ・ベルトッキ先生が判断されたとおりで、すごい!と思います。ただ留学当時はまだそうした役を歌うような声質ではなかったので、それに向けて努力すること、声が育つことを目標に役を選択しなければならないと思うようになり、だんだんと歌手としての自覚が出てきました。

――帰国後、本格的にデビューされ、2012年『タンホイザー』エリーザベト役、翌年の『椿姫』ヴィオレッタ役などで大きく飛躍されました。

安藤 それまでイタリア作品を歌うことが多く、ワーグナーを歌うようになるとは夢にも思っていませんでした。最初は自分のなかでぎこちなさがあって少し時間はかかりましたけど、リハーサルや音楽稽古をしていくなかで新しい発見もあって自信も出てきました。どちらかというとヴェルディの方が好きですが、ワーグナーを歌ったときは、ずっとこの世界に浸っていたい、と思いますね。2015年10月に新国立劇場の『ラインの黄金』にフライア役で出演したときも、ワーグナーの神々しい音楽に包まれていたいと思いました。

 ヴェルディは、テクニック的にはプッチーニよりも難しいですが、歌手にとって本当に大切な作曲家で、声の成長を自分でも感じることができます。素晴らしい指揮者との公演ですと、最終幕を歌い切ってもまだ歌えるくらい、声を自由にしてくれます。

――そして2017年2月、日本を代表するプリマのひとりとして新国立劇場の舞台に戻ってきます。

安藤 新国立劇場は私が育った、よりオペラを好きになった場所です。この大きな舞台で蝶々さん役をやらせていただくことを大変嬉しく思っています。日本人だからこそ感じる蝶々さん像を見つけて、みなさんの心に届くようなヒロインを演じたいと思っています。

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