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つう・与ひょうが語る『夕鶴』の魅力(澤畑恵美・小原啓楼)


誰もが知る物語、日本オペラの名作『夕鶴』を歌い演じるために、どんな役作りをするのか。そして『夕鶴』の魅力とは。

つう役、与ひょう役を演じる日本を代表する歌手たち、それぞれが感じる『夕鶴』を語る。

インタビュアー◎ 柴辻純子 (音楽評論家)

<ジ・アトレ4月号より>


澤畑恵美


与ひょうへの恩返しとたっぷりの愛情を
鶴として冷静に表現したい

24年ほど前になりますが、日生劇場の公演で團伊玖磨先生の指揮でつう役を演じました。團先生はとてもジェントルマンで、「作曲家の手を離れたら作品はひとりで歩いていくからもう私は知りませんよ」とおっしゃるのですが、最後の「さようなら」の「ら」を伸ばすところで先生は長い手をふわっとあげたままで......。私もデビューしたばかりで若かったので、先生が指揮棒を下ろされるまでと頑張りました。『夕鶴』は語尾を長く、2小節、3小節と長く伸ばす音符がいくつもあって、その通りに歌うのは難しいんです。その後も、團先生が企画されたコンサートでつうのアリアを歌う機会がたびたびあり、あとで先生から「楽譜通りに歌ってくれてありがとう」とお褒めの言葉をいただいて嬉しかったことを覚えています。

 つうを演じるときは、女性という人間的な側面を与えすぎると、愛憎の「憎」の部分とか、ただ単に与ひょうを自分のものにしたいという「欲」の部分が出てきてしまうので、どちらかというと鶴寄りでと考えています(笑)。つうという女性の姿を借りているので、与ひょうにしてもらったことへの恩返しと、たっぷりの愛情が表現できたら、と。ただ難しいのは、あまり情緒的になると、表現は外向けになってしまうので、情緒は必要ですが、自分のなかで冷静なものをもって表現したいです。

 歌の勉強を始めたとき、声を出すテクニックも大事ですが、どんな声を出したいのか、どんな心を乗せた声を出すのかということも一緒に教わりました。自分の心が動いているときしか、何かを伝える声は生まれないんですよ。日本語は、畑中良輔先生からご指導いただく、貴重な時代を過ごしました。團先生や畑中先生から学んだ経験が、今回の舞台で活かせたらと思っています。



小原啓楼


人間の欲望と理性を表すキャラクターとして
与ひょうを自分なりに掘り下げていきたい

『夕鶴』は、日本を代表する傑作であり、与ひょうは、木下保さんをはじめ、素晴らしい方々が演じられてきたハードルの高い役のひとつだと思います。私としては、与ひょうを愚者として演じるのではなく、つうが鶴の化身、自然の化身としての存在とすれば、もう一方に物を知らない純粋な若者の与ひょうがいるというように、両者の関係性や対比のなかで捉えていきたいと思います。この物語もオペラでは単なる民話であることは許されないと思うので、与ひょうも、郷愁を誘う懐古主義的なキャラクターとしてではなく、人間の欲望とか理性などを自分なりに掘り下げていきたいと考えています。

 演出の栗山民也さんとは、他の作品でもご一緒したことがありますが、作品の理解と洞察力が深く、稽古も非常に勉強になります。『夕鶴』は、シンプルで無駄なものを削ぎ落とした、透明感のある舞台で、動作や演技でも洗練されたものが要求されます。この作品は、オペラとは言っても、戯曲『夕鶴』の存在が色濃く、つうとの二重唱でもイタリア・オペラのように歌い上げるよりは、歌いながらアイコンタクトを取ったり、芝居としての2人の気持ちの交流の割合が大きくなっています。

 日本語のオペラには、母国語でしか表現できない、伝わらないニュアンスもあるので、逆に日本人ということで自分自身に対する要求も、お客様の期待も高まります。私は、オペラは音楽の延長上に演技がついてくると考えるのではなくて、常にドラマが中心で、その流れから音楽や言葉を捉えていきます。『夕鶴』でも、ドラマから想定して、「先生、だからこう書いたのですね」と、團先生と譜面を通してコミュニケーションをとりながら演じていきたいと思います。




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