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「蝶々夫人」指揮 ケリー=リン・ウィルソン インタビュー

1月の「蝶々夫人」は、蝶々さん役だけでなく、指揮台に立つもう1人の女性にも注目!
指揮者ケリー=リン・ウィルソン。新国立劇場初の女性指揮者登場である。
ジュリアード音楽院でフルートと指揮を学び、ザルツブルクでアバドに師事。
現在は世界各地のオペラやコンサートで活躍する彼女が、日本で初めて披露する本格的な公演となる。
プッチーニの名作で、彼女ならではのこだわりの音楽を聴かせてくれるに違いない。



<下記インタビューはジ・アトレ9月号掲載>

 

 音楽家一家に生まれ育ち、フルートから指揮へ転向 

 


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「蝶々夫人」リハーサルより

――日本では一昨年にバルバラ・フリットリさんのリサイタルで指揮をされましたね。以来、約2年の間に大活躍をされているウィルソンさんですが、今回の「蝶々夫人」が日本での本格的なオペラの初仕事でしょうか?


ウィルソン(以下W) そうです。興奮しています。「蝶々夫人」が日本での初の大仕事です。


――マエストロは子供時代、どんな音楽環境で育ったのですか?


W 私の家族には音楽家が多くいて、音楽的にこの上なく豊かな環境で育ちました。祖父母の世代以降、まさに「音楽一家」なのです。祖母は93歳の今も現役のピアニストで、私はまず彼女からピアノを習いました。祖父はテノール歌手で、カナダの国営放送テレビに多数の出演歴を持ち、国内ではその名を知られた存在です。私は父の影響でヴァイオリンも習いましたし、叔父はチェロ奏者で有名な四重奏団を組織した人です。従兄弟たちも揃って楽器奏者で、もう音楽家たちにぐるりと囲まれて生まれ育ちました。私自身はピアノ、ヴァイオリン、フルートを演奏できます。空気のように家中どこにでも音楽があふれていたので、ごく自然に、音楽と共にずっと生きています。


――ジュリアード音楽院ではフルートを専攻されて、そのあと指揮に目覚めたと聞いていますが、そのきっかけは?


W ジュリアード音楽院でのフルートの最終学年のときに、指揮者になろうと考えました。簡単に言うと、ひとつの楽器だけ演奏することに飽きてしまったのです。そこで指揮者コースの入学試験を受けて、さらに4年勉強することにしました。この転向は私にとってはきわめて自然な流れで、フルートの演奏経験は指揮の勉強に役立ちました。自分の選択した道に満足しています。


――大学院修了後、ザルツブルクでクラウディオ・アバドの助手を務めたのですね。当時まだ若かったと思いますが、どんな体験でしたか?


W 紛れもなく貴重な体験でした。当時私がジュリアードで指揮法の指導を受けていたのは、マエストロ・オットー・ベルナー・ミューラー。強烈にジャーマン・スタイルのマエストロです。そこへマエストロ・アバドとの出会いです。イタリア式の表現はそれまで私が規範としていたものとずいぶん違いました! けれどもアバド氏の指揮法もとても尊敬できるスタイルで、影響されました。ウィーン・フィル、ベルリン・フィル時代の彼の業績は偉大ですね。伝統を重んじるオーケストラを相手取り、たくさんの新しい挑戦をした彼の指揮を耳で聞き、目で見て、多くを学びました。


――ドイツ系のマエストロに師事していたあとすぐにイタリア系の音に目覚めたのは、ウィルソンさんのとりわけ鋭い感性が備わっていた証拠ですよね。たとえ先生が偉大でも、スタイルを聴き分け、感覚でつかみ取るセンスが生徒になければ、先生の影響はうけませんから。ウィルソンさんの才能ゆえです。


W 音楽家は確かに異常なほど鋭い感覚を持っています。それはまさに「エモーション」や「フィーリング」で、演奏のうち自然ににじみ出るものです。ドイツ人はベートーヴェンが得意で、ロシア人はチャイコフスキーを得意とするでしょう。でも、その限定した枠の中だけに芸術があるのではありません。その音楽がどんな言葉で語りかけてくるのか、その本質を理解することは可能です。「音」とは抽象的ですが、だからこそ演奏者は自身の解釈を広げることができます。私の家系にはアイスランド人とロシア人の血が流れていて、祖母は実はウクライナ人。ですので私の感性にスラヴ系の音楽を掴みやすい背景があるかもしれませんね。説明のつかない部分ではありますが、音楽家それぞれに「この曲を聞くと自分の中の何かが震える」ことがあります。その楽曲に対する愛情と言い換えてもいい。私たちは広いレパートリーの前に自身を呈して、素直に受け止め、あらゆるものを学びとってゆくべきでしょう。私はヨーロッパ各国で仕事をしながら多くを習得したと思っています。



プッチーニの感情表現の究極のかたちが「蝶々夫人」

 

――ここ数年でオペラの主要なレパートリーをほぼご自分のものにされているウィルソンさんから見て、改めて「蝶々夫人」の魅力をどう思いますか?


W 「蝶々夫人」はなにより観客の熱い支持を受けている作品ですよね。音の語ることが感情の琴線に触れるんです。プッチーニの音楽には、情熱があり、親愛があり、また、感情の爆発する瞬間がいくつか現れますが、「蝶々夫人」はその究極の表現によるオペラだと思います。また、"他国の文化"を題材として取り上げる巧みさを、プッチーニは余すところなく発揮しています。「西部の娘」「トゥーランドット」もそうですが、彼の作品には文化的信憑性がありながら、異国趣味の不思議な魅力にも満ちています。そんな音色の作り方は見事で、描きたい音を表現するのにぴったりな楽器を選んでいますよね。「蝶々夫人」ではインパクトのある場面での打楽器の使い方も特徴的です。プッチーニの音楽の力によって、未知の、何万キロも離れた場所の文化が瞬時に私たちの心に伝わり、ファンタジーが生まれれるのです。


――「トゥーランドット」を聴けばそこに中国の風景があらわれ、「蝶々夫人」を聴けば私たち日本人はその"日本の空気"に驚かされます。作曲家は、自分が見たことのない光景まで音楽にしてしまいますね。


W プッチーニは日本の楽器について、本や文献でわかることはつぶさに調べたでしょう。東洋文化に対する分析もしたと思います。当時入手可能な音源はすべて聴いたに違いありません。まさに、異国の音楽に「取り憑かれたように」作曲をしたのだと思います。ヨーロッパで花開いた「日本ブーム」の流れに乗って、情報はいろいろあったでしょう。音楽家たちの間で情報交換がなされ、プッチーニは発想豊かにいろいろな実験的試みをしたと思います。自分の耳で聞き、そして、自分の発想で新しく音を組み立て直し......プッチーニの異国趣味のオペラ群は、まさに多方面からの勉強の成果です。

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       オーケストラリハーサルより(オーケストラは東京交響楽団)


――「蝶々夫人」を指揮するとき、ウィルソンさんが特に歌手やオーケストラに要求する、あるいは期待することは?


W プッチーニのオペラを上演するとき、オーケストラと歌手に私のアプローチを説明することがあります。そのアプローチとは、演奏のあいだずっと、厳密な緊張感を保ちながら、音の流動感を決して失わないことです。プッチーニを演奏する際、多くの人は、ドラマ性を強調したいためにルバートを多用し、音を長く伸ばしたがります。しかしそれでは全体の構成感も凝縮感も崩れてしまいます。私の考えは、ドラマを意識するならむしろペースを保つべき、ということ。音の必要のない引き伸ばしなど、プッチーニは望んでいなかったと思います。また、同様の理由で蝶々さん役のソプラノに望むことは、確かにどの場面も全力で歌わなければならない難役だけれども、ただ大きく引き伸ばした声だけが観客に訴えるわけではないことをわかってほしいです。心をぎりぎりまで相手に近づけて歌いたいのならば、ピアノやピアニッシモの指示がある箇所をもっと大切に考えること。抑えた声で歌われる部分こそ、観客の心に強く触れるものなのです。指揮する私にとっても、これは大きな挑戦です。「蝶々夫人」は言うまでもなく、プッチーニのオペラを理想的な音で実現しようとするとき、越えなければならない難問ですね。


――「蝶々夫人」には第一幕最後の蝶々さんとピンカートンの二重唱や、第二幕「ある晴れた日に」など有名な歌がありますが、歌手ではなくオーケストラの聴かせどころがあったら、ぜひ教えていただけませんか。


W 歌手の声が入っていない、純粋に楽器だけの箇所ということですね? そうですね......第二幕第二場の始まりでしょうか。演奏会でもよく取り上げられる部分です。あとは、やはり第一幕最後の二重唱の部分だと思います。歌手の声が入りますが、それに合わせてプッチーニが仕上げたオーケストラの譜面は素晴らしいですから。人間の声と楽器の生み出す音の全体の響き合いが心を揺さぶりますので、オーケストラの豊かさにも注意して聴いてください。


―― では最後に、ウィルソンさんの登場を楽しみに待っている読者にメッセージを。


W 東京で「蝶々夫人」を指揮する機会をいただいてとても幸せです。皆さんの熱心さは一昨年のリサイタルの仕事で経験しています、皆さんの音楽に対する熱意と愛に触れられる日を、とても楽しみにしています。



 

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