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音楽ライター・翻訳家

後藤菜穂子

ここに注目!バロック・オペラ ヘンデルの最高傑作
『ジュリオ・チェーザレ』の楽しみ

パリ・オペラ座公演より ©Agathe Poupeney

戦い・恋愛・復讐ありのオペラ・セリア

新国立劇場の主催公演でヘンデルのオペラが取り上げられるのは、2006年の小劇場オペラの『セルセ』以来、なんと13年ぶりのこととなる。今回、オペラパレスの大舞台で上演されるのは、生涯に40作以上のオペラを作曲したバロックの大家ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデル(1685~1759)の作品の中でも最高傑作との呼び声が高い『ジュリオ・チェーザレ』(正式なタイトルは『エジプトのジュリオ・チェーザレ』Giulio Cesare in Egitto』)。作曲家40歳目前のきわめて脂の乗った時期に書かれ、当時のスター歌手であったセネジーノとクッツォーニという最強の布陣によって、1724年2月にロンドンのキングス劇場で初演された作品である。 バロック時代の作曲家が古代史にオペラの題材を求めるのはごく一般的なことであった。当時の観客は教養としてそうした古代史に親しんでいたからである。ヘンデルは『アグリッピーナ』や『アレッサンドロ』など古代ギリシャ・ローマの人物に焦点を当てたオペラを他にも作曲しているが、そうしたなかでも『ジュリオ・チェーザレ』は、古代ローマの武将ユリウス・カエサルとエジプトの女王クレオパトラの世紀の出会いという史実(紀元前48年)を核にした、戦いあり恋愛あり復讐ありのドラマ満載のオペラ・セリアとして際立っている。カエサルとクレオパトラというこれだけ有名なカップルなら、もっとオペラの題材になっていてもおかしくないようにも思うが―実際、17~18世紀には多くの作曲家がこの題材を扱っている――音楽史に残ったのはヘンデルのこの名作のみというのも興味深い。

アリアの宝庫 歌手たちの見せ場満載

 ヘンデルは、のちのオラトリオにおいては新たに編まれた台本を用いたが、オペラにおいては既存の台本を改作することが多かった。『ジュリオ・チェーザレ』の台本は、イタリアの台本作家ジャコモ・フランチェスコ・ブッサネッリが1677年に作曲家アントニオ・サルトリオのために書き下ろしたもので、それをロンドン時代のヘンデルの台本作家ニコラ・フランチェスコ・ハイムが翻案した。史実はプルタルコスの『英雄伝』に基づいているが、かなり大胆に脚色されている。
 物語は、チェーザレが宿敵ポンペイウスを追ってエジプトに到着するところから始まる。エジプトではクレオパトラとその弟のトロメーオが共同で王座に就いている。残忍なトロメーオはポンペイウスを殺害、その貞節な妻コルネーリアは自害しようとするが止められ、息子のセストは父の復讐を決意する。一方、弟を排除したいクレオパトラはチェーザレに取り入ろうと誘惑するが、やがて二人は恋に落ちる。しかし幸せは長続きせず、このあとチェーザレは陰謀者に追われて海に飛び込み、一方、クレオパトラも弟に囚われるなど、典型的なバロック・オペラらしくドタバタと展開するが、九死に一生を得たチェーザレはクレオパトラを救出し、セストは父の復讐を果たしてトロメーオを殺害する。ようやく結ばれたチェーザレとクレオパトラは二人でエジプトを統治する。
 こうした入り組んだストーリーにもかかわらず、『ジュリオ・チェーザレ』はアリアの宝庫であり、ヘンデルはそれぞれの歌手にたっぷり見せ場を与える。英雄チェーザレの聴きどころは第1幕後半、トロメーオの前に姿を現す際のホルン・ソロを伴ったアリア「抜け目のない狩人は」。彼の武勇を誇示するリズミックで勇壮な曲想だ。対するクレオパトラのアリアも名曲ぞろい。第2幕冒頭のあだっぽい誘惑の歌「優しい眼差しよ」の一方で、2曲の嘆きのアリア「もし私を哀れと思われないのでしたら」と「つらい運命に涙はあふれ」では張り裂けんばかりの胸の内を歌い上げる。トロメーオは絵に描いたような悪役で、いずれのアリアも腹黒さがにじみでており、部下のアキッラも粗野で乱暴な将軍として描かれる。夫を失ったコルネーリアは終始悲しみに沈み(「哀しみの眼よ、お泣き」他)、その息子は復讐心に燃えるが、二人が慰め合う第1幕終曲のシチリアーノ風の二重唱は、オペラの中でも数少ない重唱であり、心に沁みる。

カストラートのための3役をメゾとカウンターテナーで

 バロック・オペラに親しんでいる方々はご存じのように、18世紀のイタリアのオペラ・セリアでは男性の主役は「カストラート」と呼ばれる男性高音歌手によって歌われるのが常であった。カストラートとは子どものころに去勢手術を受け、高度な歌唱訓練を受けた男性歌手のことで、声変わりしないため力強い高音を誇り、その独特の声で聴衆を魅了した。『ジュリオ・チェーザレ』の初演ではチェーザレ、トロメーオ、従者ニレーノの3役がカストラートによって歌われた(一方、セスト役はソプラノ歌手が男性に扮した)。なかでも、チェーザレ役を歌ったセネジーノは18世紀前半に一世を風靡した名カストラートの一人であった。
 これらの役は音域的にはアルトなので、今日では女性のメゾソプラノまたは男性のカウンターテナーによって歌われる。今回の新国立劇場での上演ではチェーザレ役にアゼルバイジャン出身の期待の新人メゾ、アイタージュ・シュカリザーダが抜擢されている。他方、トロメーオ役には進境著しい藤木大地、ニレーノ役は若手の村松稔之という2人の日本人カウンターテナーが配されている。新国立劇場の大舞台でカウンターテナーが活躍する機会はこれまであまりなかったので、大いに注目したい。

話題の演出と古楽の名指揮者
見逃せないプロダクション

 ロラン・ペリーの演出は2011年、パリ・オペラ座(ガルニエ宮)において新制作されたもので、ナタリー・デセイとカウンターテナーのローレンス・ザッゾがカップルを歌って人気を博したプロダクション。
 ペリーは特に喜劇を得意とする演出家で、代表作としてオッフェンバックの『地獄のオルフェ』やドニゼッティの『連隊の娘』などが挙げられる。この『ジュリオ・チェーザレ』も原曲以上にユーモアを強調した舞台となっている。
 彼はオペラを、現代のエジプトにある博物館の収蔵庫に設定(窓の外にはピラミッドも見える)。そこにはチェーザレの像やクレオパトラの像など古代の遺物が保管されており、それが現代によみがえってストーリーを繰り広げる、といった仕掛けだ。全体を通じて単一のセットだが、収蔵品や展示キャビネット、絵画などを博物館スタッフ(助演)が忙しく出し入れすることで場面がスピーディーに転換していき飽きさせない。バロック・オペラは初めてという方からバロック通の方まで、いろいろなレベルで楽しめる機知に富んだ舞台となっている。
 そしてピットからこの舞台を統括するのは、新国立劇場初登場となるイタリアの古楽スペシャリストのリナルド・アレッサンドリーニ。最近ヨーロッパでのバロック・オペラ上演ではピリオド楽器オーケストラがピットに入ることも少なくないが、本公演では東京フィルハーモニー交響楽団によるモダン楽器での演奏だ。しかし、ヨーロッパ各地の歌劇場でモダン・オーケストラとの経験も豊富なアレッサンドリーニはきっとスタイリッシュで極上のヘンデル演奏を聴かせてくれることだろう。わずか3公演しかないのでこの貴重な機会をお見逃しなきよう!

音楽ライター・翻訳家

後藤菜穂子(ごとう なほこ)

桐朋学園大学卒業、東京藝術大学大学院修士課程修了。音楽学専攻。英国ロンドン大学留学を経て、現在ロンドンを拠点に音楽ジャーナリスト、翻訳家。「音楽の友」「モーストリー・クラシック」などに執筆。訳書に「オックスフォード・オペラ事典」(共訳、平凡社)、H.サックス「〈第九〉誕生」(春秋社)他。日本ヘンデル協会会員。