クライオーヴァ国際シェイクスピア・フェスティバル
INTERNATIONAL SHAKESPEARE FESTIVAL, CRAIOVA

国際シェイクスピア・フェスティバル プログラム

「国際シェイクスピア・フェスティバルに行こう!」そう思い立ち、インターネットで検索をかける。すると、異なる団体が主催する「シェイクスピア・フェスティバル」が多数開催されていることがわかる。イギリスはもちろんのこと、アメリカ、カナダ、ドイツ、ハンガリー、チェコ、デンマーク、スペイン、アルメニア、ポーランド、スイスなど。いまこの瞬間も多彩なシェイクスピア劇がどこかで上演されているのだ。
井上ひさし『天保十二年のシェイクスピア』に、こんな一節がある。「シェイクスピアは飯の種 あの方がいるかぎり飢えはしない……もしも シェイクスピアがいなかったら文学博士になりそこねた英文学者も出ただろう もしも シェイクスピアがいなかったら全集を出せずに儲けそこなって 出版会社はつくづく困ったろう……」。続けて歌うことが許されるのならば、こう続けたい。
「もしもシェイクスピアがいなかったら、数知れないフェスティバルは世界で開催されていなかっただろう。もしもシェイクスピアがいなかったら、わたしもルーマニアに行くことはなかっただろう」。

世界中の偉大な演出家による最高の舞台

今回ご紹介するのは、ルーマニアのクライオーヴァで開催される国際シェイクスピア・フェスティバルだ。クライオーヴァは、ブカレストからバスで4時間ほど西方に移動した場所に位置する商業都市。1994年、当時国立劇場の芸術監督で、現在もフェスティバル総監督をつとめるエミル・ボロギナの提唱によって始まった。EUに加盟する前年の2006年からは、ブカレストも提携し、3年に1回だったのが2年に1回の4月になり、今年で10回目を迎える。シェイクスピア愛に熱いボロギナは、フェスティバルについて問うと「世界中の偉大な演出家たちによる最高の舞台」と話す。その言葉通り、これまで招聘された演出家にピーター・ブルック、デクラン・ドネラン、ロバート・ウィルソン、レフ・ドージン、エイムンタス・ネクロシウス、イ・ユンテクなどがずらりと並ぶ。日本からは2006年にりゅーとぴあ『冬物語』(栗田芳宏演出)が招聘されている。
今年はシェイクスピア没後400年ということもあり、フェスティバルの熱気が高まる中、演出家・蜷川幸雄率いる平均年齢27歳の若者が所属するさいたまネクスト・シアターと平均年齢77歳の高齢者集団さいたまゴールド・シアターの役者総勢59人による『リチャード二世』がオープニングを飾った。そして、ピーター・シュナイダー演出『ジュリアス・シーザー』、ベン・ハンフリー演出『間違いの喜劇』、マルガリータ・ムラデノーヴァ演出『冬物語』、アンドリュー・ヒルトン演出『ハムレット』、ルーク・パーセヴァル演出『マクベス』、ケリー・ハンター演出『ハムレット』、ロメオ・カステリッチ演出『ジュリアス・シーザー』などの上演が続く。演劇の他に、シェイクスピア作品をモチーフにしたリサイタルやダンス、演劇評論家によるシンポジウムなどを実施。衣裳の展示や劇場前で行なわれる路上パフォーマンスなども含めると実に50件を超える催しで、まさにシェイクスピアづくしの10日間。
最後はドイツのトーマス・オスターマイヤー演出『リチャード三世』で幕を降ろした。ラース・アイディンガー演じるリチャード三世は、首にはコルセット、頭はヘッドギアに黒い王冠。同舞台は昨年アヴィニョン・フェスティバルでも好評を得た演出だが、クライオーヴァの観客にも衝撃を与えた。

マリン・ソレスク国立劇場

拠点となる会場はルーマニアを代表する劇作家であり詩人の名前を冠した創立165年のマリン・ソレスク国立劇場。ソレスクはパロディを好むユーモア溢れる劇作家として知られるが、ルーマニアの自然を彷彿とさせる詩も多くある。「草や山々や 水や空が ぼくの血のなかに 入りこみ ぼくはいま 待っている その ききめを」(『毒』木島始訳)。この街は劇場周辺を始め、至るところでチューリップやマリーゴールドなどの花々が咲く花壇が整備されている。しかし現地で暮らす劇場スタッフによると、それはここ数年のことで、長らく廃墟同然の建物が放置されていたという。チャウシェスクの独裁政権崩壊以降、国家再建の道筋が決して平坦ではなかったことを物語っている。
劇場前にはマリン・ソレスクの顔をデフォルメしたモニュメントが、劇場ロビーにはシェイクスピアの彫像が立つ。壁にはルーマニアを代表する演出家、シルヴィウ・プルカレーテ演出の『マクベスの場面によるユビュ王』などの舞台写真の数々が観客を出迎える。1991年にエディンバラ・フェスティバルで最優秀批評家賞を受賞し、プルカレーテの名を世界に知らしめることになったこの作品も、劇場のレパートリーだった。

日本の作品はどのように受け入れられたか

フェスティバル総監督のエミル・ボロギナは「シェイクスピア没後400年という記念すべき年、念願のニナガワ・カンパニーがやっと来てくれた」と喜ぶ。2007年から蜷川にラブコールを送り続け、今回の『リチャード二世』の上演がようやく実現。自身もかつて役者経験があるボロギナは同作をリーディングで演じたこともあり、感激もひとしおといった様子だ。
『リチャード二世』は14世紀イギリスの王位交代劇で、フェスティバルでもなじみのない作品だが、蜷川の視覚的効果の高い演出は、現地でも受け入れられた。車椅子に乗った黒留め袖と紋付袴の老若男女の群衆が舞台奥から笑い声とともに現れ突如タンゴを踊る。王冠は宙を舞い、波幕に役者が漂う。役者2人が前足と後足になった張り子の馬が興奮する場面など、随所で笑いが起き、終演後は「ブラボー!」の掛け声に始まりスタンディングオベーションが16分続いた。ボロギナは「これまでにない盛り上がり。蜷川シェイクスピアは忘れられないものを届けてくれた。日本が生んだ最高の舞台を招聘できて嬉しい」と喜んだ。
シェイクスピア研究者のイギリス、バーミンガム大学教授のマイケル・ドブソンは「あらゆる『リチャード二世』を観てきたが、明解で新鮮な今回が一番。ボリングブルックはリチャード二世のお気に入りという解釈をした蜷川の手腕が光る」と評価。「若者が年配者の車椅子を押し、若さと老いの隔たりを強調。人生の老年期を思うと胸が痛い。さらに車椅子を押す姿は一見、調和がとれた美しさを感じるが、実はその美しさは見せかけで、支配者と被支配者の関係を意味したヒエラルキーの典型。ボリングブルックが自ら車椅子に座る瞬間に明らかになった」と分析。「愛と死をタンゴで表現し、西洋と東洋、現代と古典がうまく融合した。美しく知的かつモダンで情熱的」と批評。さらに「このカンパニーのことは決して忘れない」と付け加えた。終演後も、劇場前の広場に観客が大勢残り、さまざまな言語が飛び交う芝居談義でにぎわっていたのも印象的だった。
その 1ヵ月後、5月12日13時25分、蜷川幸雄さんは多臓器不全のため80歳にて逝去された。生前、上演された蜷川演出の最後が、今回のルーマニア公演になってしまった。蜷川さんが意図した『リチャード二世』が、世界的なフェスティバルで大輪を咲かせた。ご冥福を心からお祈りいたします。

[今村麻子]