パリ・フェスティバル・ドートンヌ
Festival d'Automne à Paris

パリ市立劇場

パリ・フェスティバル・ドートンヌ(Festival d'Automne à Paris、直訳すれば「パリの秋のフェスティバル」)は1972年の創設以来、舞台芸術を中心として毎年秋に開催されており、フランスにおいてはアヴィニョン演劇祭と双璧をなす舞台芸術祭である。

フェスティバル・ドートンヌの特徴

フェスティバル・ドートンヌはその規模と知名度に反して、個性のなさが個性であるといえるような不思議なフェスティバルである。拠点となる劇場を持たず、国立劇場やパリ市立劇場をはじめとするパリ市内外の多くの公共劇場との協力の上に、フェスティバルは成り立っている。そのため、ドートンヌにプログラムされた作品は、同時に劇場のシーズン・プログラムの一部も構成することになる。会場が広域に点在するだけでなく、開催期間も9月から12月の4か月の長期間にわたるため、アヴィニョンに感じられるような祝祭感はなく、よくも悪くもパリの日常の中に完全にとけ込んでいる。上演作品も演劇・舞踊・音楽のパフォーミング・アーツの領域全般(さらにパフォーマンス的、脱領域的なものも含む)にわたり、さらには映画や美術の企画も含まれる。そのプログラムは必然的に総花的なものとなるのだが、毎年、複数の国・地域から招聘した複数作品、さらに2012年からは特定の数名のアーティストの複数作品を特集上演することで、若干のテーマ性が加わっている。 そんなドートンヌの特徴といえばひとえに質の高さであり、若手から巨匠まで、世界最高水準と目される芸術家が顔を揃えていることである。観客にしてみると、パリの秋を彩る数ある舞台作品の中で、ドートンヌの参加作品であることはその質の高さが保証されていることを意味する(実際、パリ圏の劇場のシーズン・プログラムの目玉作品の多くは、ドートンヌとタイアップして秋にプログラムされる)。ドートンヌの参加作品を見れば、舞台芸術創造の最尖端を一通り知ることができるといっても過言ではない。その名は一つのブランドであり、パリの芸術の秋を体現するとともに象徴するフェスティバルなのである。

歴史と組織

フェスティバル・ドートンヌは、当時のジョルジュ・ポンピドゥー大統領の強い支持を受けて、1972年にミシェル・ギー(同大統領の下、74年から76年には文化大臣も務めた)によって創設された。同時期に構想されたポンピドゥー・センターが美術館と図書館が中心であったため、ドートンヌは舞台芸術が中心となったといわれている。また、それ以前のパリには、57年にUNESCOとその傘下のI T Iの協力を得て創設された諸国民演劇祭が存在して、ブレヒトが率いるベルリーナー・アンサンブルをフランスに知らしめるなど大きな役割を果たしていたのだが、60年代半ばに失速し、刷新を図ったものの、71年を最後に消滅した。ドートンヌにはその役割を代替することも期待されていたのである。 創設者ミシェル・ギーが90年までディレクターを務めた後、アラン・クロンベックが92年から2009年まで同職を引き継いだ(ギーが文化大臣を務めていた間もディレクターを務め、85年から92年の間はアヴィニョン演劇祭の指揮を執った人物である)。彼の死去に伴って、2009年から空席となっていた同職に11年5月、就任したエマニュエル・ドゥマルシー=モタは、08年から市立劇場のディレクターも務めている演出家である。 今日、フェスティバル事務局はパリの中心部1区のリヴォリ通り沿いに置かれている。予算の詳細は非公表だが個人的に調べたところ、国(文化省)から150万€前後(10年の『ル・モンド』紙の記事によるやや古い数字)、パリ市から75万9200€(14年)、イル=ドゥ=フランス地域圏から17万5000€(13年)の助成を受け、事業予算の総額は250万€(13年)にのぼる。アヴィニョン演劇祭に対する公的助成が700万€、全体予算が1330万€に達することを考えるときわめて控えめな数字であるが、参加劇場も応分の負担をしているためだと理解できる。

プログラムと日本との関係

2015年には開催期間中の11月13日にパリで同時多発テロ事件が起こり、非常事態宣言が出されたことに伴って数日間にわたって劇場が閉鎖されたり、直後は来場者が急減したりと、フェスティバルも多大な影響を受けた。それでも、ロベール・ルパージュの『887』によって開幕した15年のフェスティバルでは、アメリカのスティーヴ・パクストン、ルシンダ・チャイルズ、トリシャ・ブラウンらポストモダン・ダンス世代の特集、仏韓友好年に合わせた韓国特集、前年に引き続いてロメオ・カステルッチの3作品がフィーチャーされた。さらにtg STAN、アンジェリカ・リデル、ジゼル・ヴィエンヌ、ジェローム・ベルらの67作品が、40の劇場(うち26施設がパリ市内)で上演され、来場者はのべ14万6333人、客席稼働率は90%に上った(映画と美術展を除く)。比較のためにいえば、同じ15年のアヴィニョン演劇祭では7月4日から25日までの22日間に、58作品(280公演)が上演され、観客数はのべ11万2500人(無料催事来場者を除く)、客席稼働率は93.05%に達した。 日本特集も定期的に組まれおり、フランスではアヴィニョン以上に日本との縁が深いフェスティバルである。1978年の日本特集に始まって、98年のフランスにおける日本年、2008年の日仏友好150周年に合わせて日本特集が組まれた(1858年に日仏修好通商条約が結ばれたためだろうが、8のつく年が多い)。岡田利規や平田オリザはフェスティバル・ドートンヌの常連となっている。 第45回となる16年にはポーランドの巨匠演出家クリスティアン・ルパ、アメリカの振付家ルシンダ・チャイルズの特集に加えて、クロード・レジ、ザ・ウースター・グループ、アミール・レザ・コヘスタニ、岡田利規らの作品が上演されることがすでに発表されている。 16年1月1日、パリと周辺の130自治体を統合する広域行政体メトロポール・デュ・グラン・パリ(人口700万人)が発足した。これから本格化する21世紀のパリ大改造計画に合わせて、フェスティバル・ドートンヌはいかに表情を変えていくのか、注目される。

藤井慎太郎[早稲田大学文学学術院教授]

<2016.3.7発行『焼肉ドラゴン』公演プログラムより>