国際チェーホフ演劇祭
Chekhov International Theater Festival

アイスキュロス作・ペーター・シュタイン演出『オレステイア』

ソビエト時代、ロシアには国際演劇祭がまったく存在しなかった。ロシアの観客は有名な外国の劇団の公演を通じて外国の舞台芸術について少し知ることができるのみだった。当時は国外との接触は国家によって厳しく規制され、文化政策にはイデオロギー上の統制や検閲がつきものだった。しかし1980年代の半ば、ペレストロイカ政策により民主的な変化が始まり、イデオロギーから自由な国際演劇祭の開催を求める声が聞かれるようになった。しかしそれが実現したのは、ソ連邦崩壊後1992年のことであった。国際演劇祭を主催したのは、ソ連演劇人同盟が改編されて誕生した国際演劇同盟会議だった。同会議の会長に選出されたのは有名な人気俳優キリール・ラヴロフで、経験豊かな演劇人ワレリー・シャドリンが事務局長に就任し、チェーホフ演劇祭開催の立役者となった。今日ではシャドリンが国際演劇同盟会議と国際チェーホフ演劇祭の会長を務める。


この演劇祭は2年に1度開催されることになった。第1回目の演劇祭は新生ロシアが経済破綻の危機に瀕した時期に開催された。国が困難な状態にあるときに高額の費用がかかる文化活動を行なうのは許し難い贅沢だと反対する者も多かったが、幸い、演劇祭は開催され、芸術という精神の糧は最も困難な時期にこそ必要なものだということが証明された。


モスクワでの第1回目の演劇祭では世界9ヵ国の劇団によって10本の芝居が上演されたが、そのなかにはテオドロス・テルゾプロスが脚色・演出したアイスキュロスの『ペルシャ人』(ATTIS劇場、ギリシャ、アテネ)、ペーター・シュタイン演出・チェーホフ作『桜の園』(シャウビュネ劇場、ドイツ、ベルリン)、オトマル・クレイチ演出の『桜の園』(ディヴァドロ・ザ・ブラノウ劇場、チェコ、プラハ)といった、センセーションを巻き起こした芝居もあった。演劇祭の枠内で「桜の園、戯曲、演劇、生活」、「新しい経済・文化状況下の東欧諸国における演劇存続の可能性」といった国際セミナーが催され、展覧会やビデオ上映も企画された。3週間続いた演劇祭は、新生ロシアにおいて自由な芸術がいかに必要であるかを示した。


時が過ぎ、国際チェーホフ演劇祭はアヴィニョン演劇祭やエディンバラ演劇祭に並ぶ大きな国際演劇祭となった。2001年にはチェーホフ演劇祭と演劇オリンピック国際委員会が共同で、世界演劇オリンピックをモスクワの地で開催した。委員会の代表を務めたのは、ギリシャのテオドロス・テルゾプロス、ドイツのハイナー・ミュラー、ロシアのユーリー・リュビーモフ、アメリカのロバート・ウィルソン、日本の鈴木忠志など世界の選りすぐりの演出家たちで、「人々のための演劇」というモットーを掲げたオリンピックは2ヵ月以上続き、その成果は主催者たちの予想を遥かに上回るものだった。観客およびオリンピック参加者たちは、世紀と世紀の狭間、千年紀と千年紀の狭間において世界の演劇界で起こっている最も興味深いものを目にした。

オリンピックは4つの部門から成っていた。それはロシアおよび外国のプログラム(45作品)、実験演劇プログラム(12作品)、街頭演劇プログラム(世界15ヵ国、40の街頭劇団)であった。実験演劇プログラムには世界のさまざまな国々ですでに頭角を現している若手演出家の作品も参加した。チェーホフ演劇祭の枠内で開催された演劇オリンピックは、世界演劇に統合させることによってロシア演劇を多くの面で変化させ、創造的な想像力の地平を広げ、世界演劇の成果に触れる機会を提供した。


チェーホフ演劇祭の枠内で、幾度となく日本演劇の作品が披露された。最初に紹介された日本の作品は鈴木忠志演出の『デュオニソス』(SCOT)で、1998年にモスクワで大成功を収めた。その後も、鈴木氏が演出した『リア王の夢』(シェイクスピアの『リア王』を基にした作品)、ソポクレスの『オイディプス王』、ロスタンの『シラノ・ド・ベルジュラック』、チェーホフの『イワーノフ』、コンポジション『行く者と去る者――伝統の復活』が上演され、話題を呼んだ。また演劇祭のおかげでモスクワの観客は豊かで多様な日本の伝統芸能にも触れることができた。歌舞伎(近松座『曽根崎心中』中村鴈治郎〈現坂田藤十郎〉)、能、狂言(能楽座『蚊とすもう』、『清経』、『瓜盗人』『葵上』)、文楽が上演された。日本の現代の舞台芸術としては、カンパニーBATIK(黒田育世振付)、能藤玲子創作舞踊団の『葦の行方』、ダンスカンパニーNoism(金森穣振付)、兵庫県立ピッコロ劇団の『場所と想い出』(別役実作、松本修演出)が上演された。2015年に開催された最新のチェーホフ演劇祭にも日本の劇団が参加した。古代インドの大叙事詩をモチーフにした『マハーバーラタ――ナラ王の冒険』(宮城聰演出、SPAC静岡県舞台芸術センター)は好評を博した。

世界の大きな演劇祭にならって、チェーホフ演劇祭においても他の国際演劇祭や様々な国々の劇団との共同制作が見られる。その代表的なものとして、ペーター・シュタインがロシアの俳優たちと共に演出したアイスキュロスの『オレステイア』やシェイクスピアの『ハムレット』をあげることができる。ロシアの演出家で美術家でもあるドミトリー・クルイモフが演劇祭と共同して創った、シェイクスピアを基にした『お気に召すまま』はとめどない大笑いを引き起こし、ひっきりなしに観客の知性と感性に刺激を与えた。


2015年の第12回チェーホフ演劇祭には12ヵ国から18の作品が参加した。参加国はイギリス、フランス、ドイツ、イタリア、スペイン、日本、中国、台湾、南アフリカ共和国などである。ロシアの劇場において外国の演出家が演出したり、チェ-ホフ演劇祭とエディンバラ演劇祭が共同で作品を制作したりして、国際的な演劇交流が緊密に行われた。チャップリンの孫ジェイムス・ティエレによる『赤いタバコ』が大成功を博し、リュック・ボンディ演出の『偽りの告白』(マリヴォー作、イザベル・ユッペル主演)が15年のチェーホフ演劇祭の最後を見事に飾った。

マイヤ・コバヒゼ[演劇評論家] 翻訳:安達紀子

<2015.11.11発行『桜の園』公演プログラムより>