北京(中国)

演劇春秋

 二十世紀初頭、中国社会は資産階級民主革命の前夜にあった。日本に留学中の中国人留学生は、十九世紀末の日本の自由・民権運動のなかで登場したヨーロッパの新しい演劇に出会い、たちまちその民主精神と革新的形式に惹かれていった。

 一九〇六年、李叔同や欧陽予倩ら留学生は、中国初の演劇団体「春柳社」を東京で設立。翌〇七年六月、「春柳社」初の大型レパートリー『アンクル・トムの小屋』を東京で公演した。この春柳社史上もっとも歴史的意義のある出来事は、中国演劇界の有志がヨーロッパ演劇を日本から祖国へ輸入し、外から内へとローカライゼーションを実現する歴史的発展の端緒となった。

 一〇六年の模索と琢磨を経て、今日の中国演劇は世界でも注目される卓越した成果を得て、世界の演劇文化の発展に大きく貢献している。現在、中国本土には八十一の演劇団体があり、国内外の舞台で活躍している。そのなかで、常に中国演劇界をリードし、創作の実力がもっとも優れているのは、北京の中国国家話劇院(国立)と北京人民芸術劇院(北京市運営)という二つの芸術団体だろう。

「大衆的ハイエンド芸術」の創作理念を堅持する中国国家話劇院

 二〇一一年五月、北京・広安門外大街に位置する中国国家話劇院の新劇場が竣工。これは、九〇〇席の大劇場と三〇〇席の小劇場、それに四つのリハーサルルームと、オフィスビルからなる建築総面積が二万平㍍に達する総合施設である。中国国家話劇院はここで新たな歴史的階段を登り始めた。

 一九四一年設立の延安青年芸術劇院を前身とする国家話劇院は、すでに七十二年の歴史をもち、中国ではもっとも古く、規模がもっとも大きい、そしてレパートリーがもっとも豊富な話劇団である(注:話劇とは、中後行くの近代せりふ劇、日本の新劇にあたる)。現在、五〇三人の役者を擁し、毎年二十五~三十の新旧レパートリーを上演し、年間公演数は約一〇〇〇回を数える。充実した芸術創作の資質を備え、先人が築いた演劇文化の伝承を支えている。

 かつて東京で「春柳社」を創設した欧陽予倩、そして中国を代表する著名芸術家の廖承志や呉雪、舒強、金山、孫維世などによって設立された国家話劇院は、彼らの卓越した芸術的創造力をもって築き上げられ、その発展に堅実かつ重厚な基礎が築かれたのである。

 国家話劇院の創立以来、七十二年間で五〇〇以上の題材の異なる演劇作品を世に送り出してきた。歴史的作品である『愛国者』や『二人の主人を一度にもつと』『桃花扇』『文成公主』などから、現在上演中の『恋愛するサイ』や『これが最後の戦いだ』『四世同堂』『大宅門』『青蛇』などの秀逸な作品まで、国家話劇院は中国演劇創作の芸術的発展を牽引し、豊富で多彩な演劇作品のラインナップを形成した。

 近年、国家話劇院は観客の美意識を芸術創作の羅針盤とする態度を堅持し、演劇を「大衆的ハイエンド芸術」と位置付けた。表現・形式においては観客の美意識に十分注意しながら、創作内容においてはハイエンド芸術の品位を追求する姿勢のもとで、作風が互いに異なる数多くの優れた作品を作り出し、中国の観客たちに認められて高い評価を得ている。

 二〇一三年の初め、新作の『大宅門』の北京初演は大々的な成功を収めた。同名のテレビドラマを原作とするこの作品は、演出の郭宝昌や、劉威、朱媛媛、雷恪生、劉佩琦、斯琴高娃など数々の名優を擁し、中国の観客が熟知する題材であることも相まって、たちまちブームを引き起こし、チケットが入手困難な状態になった。中国の伝統文化の特色に富み、また国家話劇院の高い芸術水準を表現したこの大作は、北京の観客たちの熱烈な支持を得た。

 また二〇一三年三月、国家話劇院が創作した演劇『青蛇』は、第四十一回香港アート・フェスティバルに登場し、観客たちにセンセーションを巻き起こした。その後も北京や広東、マカオなどで上演し、広範な注目と称賛を得た。この劇は国家話劇院でも名高い演出家の田沁鑫が李碧華の同名の原作に基づいて脚色・演出し、劇団所属の人気俳優・秦海璐や袁泉、辛柏青、董暢が主演。東洋の禅学思想をさまざまな知識や論理によって全体的に理解することを重視し、初めて「慈悲で度量広く、大きな愛に境界なし」という禅の神髄を、中国で六〇〇年以上伝承している『白蛇伝』という、みんなが知っている物語に融合し、人々を深く感動させる唯美的な禅の境涯を描き出した。

 観客の需要をもとに創作する姿勢は、現在国家話劇院のもっとも重要な創作の原則になっており、各界および観客たちの熱烈な支持を得ている。近年、国家話劇院の興行収入が高い水準を維持していることや、新作を発表するたびに大きな社会的反響を得ることからも、演劇が大衆に属し、演劇の復興は演劇と大衆が密接に繋がり合う調和のなかにあるといっていい。

「京の味」という文化的特色を伝承する北京人民芸術劇院

 北京人民芸術劇院は一九五二年六月十二日に設立された。中国で誰もが知っている、この有名な劇場は、北京でもっとも賑やかな王府井大街に位置し、一〇〇〇席の大劇場と三〇〇席の小劇場、建設計画中の中規模の劇場を擁する。

 北京人民芸術劇院は創立以来、古今東西のスタイル・作風の異なる三〇〇以上の作品を上演してきた。一九五〇年代、劇院は郭沫若や老舍、曹禺、田漢ら文豪の劇作を上演することで名をあげた。代表的なレパートリーは『茶館』や『龍須溝』『駱駝の祥子』『雷雨』『日出』『北京人』などであるが、『茶館』をはじめとした「京の味」(京味児:北京の文化的特色)に富む作品群がこの劇院の鮮明な北京地域文化の特徴を形成している。これらの作品は先祖代々皇城の中で暮らす北京人、そして彼らのもつユニークな文化的感情や人間関係、世界観などを表現している。演劇界の大御所・焦菊隠は劇院のトップ演出家を務めていた時に、千是之を代表とする多くの名優を育て、中国演劇界の「国宝」と言われている。

 一九八〇年代以来、劇院は多くの優秀な若い役者を輩出し、『王昭君』や『小井胡同』などのオリジナル・レパートリーや『貴婦人故郷に帰る』『セールスマンの死』『ケイン号の叛乱』などの外国のレパートリーを得意とする。多くの劇は一〇〇回以上上演している。

 二〇一三年に入って、北京人民芸術劇院の古典的なレパートリーが続々と上演されている。年始には『駱駝の祥子』と『茶館』、七月には『天下第一楼』の公演が行われ、「京の味」を表現する古典的レパートリーが依然重要な位置を占めている。また、観劇ブームを引き起こした近年の新作『甲子園』や『窩頭会館』、『喜劇の憂鬱』などの再演も、今年後半に続々登場する予定だ。

 すべて北京人民芸術劇院の「国宝」級芸術家が担当する大作『甲子園』は二〇一二年に華やかに公演された。この作品は、劇院の過去と未来を繋ぐものとして、極めて重大な意義をもつ。上演回数は少ないが、観客の熱烈な反響を受け、社会的にも大きな影響力を発揮した。

 二〇一三年秋、北京人民芸術劇院はまた「オリジナル、現代、北京」をテーマとする新作を世に問うらしい。タイトルはまだ決まっていないが、『甲子園』と同じように北京人民芸術劇院の伝統を継承し、「京の味」に富む演劇文化を堅持する作品として、観客たちの熱い期待のなかで鮮やかに登場して人々に新たな驚きをもたらすだろうと確信している。

周 志強 Zhou Zhiqiang[アジア演劇人連盟理事長、中国日本友好協会理事、中国話劇芸術研究会副会長、元中国国家話劇院院長]

<2013.9.10発行『OPUS/作品』公演プログラムより>