ウィーン・ブルク劇場

今年の欧州は何十年ぶりに遅い春で、3月の半ばを過ぎても、ベルリンはマイナス8度に雪の降りしきる厳冬期の風情。春を告げる復活祭直前でも雪混じりの空はウィーンも同じで、吹きすさぶ寒風が強く身にしみる。春はまだかとジリジリして、零下の寒さにもかかわらず、羽毛服に身を包みながら、カフェの外テラスに座っている人も珍しくない。演劇=劇場もまた、カフェと同様に人の「集まる」場所であるから、ヨーロッパの寒く、暗く、長い孤独な冬を耐えるための社会的な装置という側面もあるだろう。

ハプスブルクの文化伝統を必須の観光資源とするオーストリアの古都ウィーンは、「リング」と呼ばれる環状道路の内側の一区が観光客の「集まる」場所である。その一区の中心にはステファン寺院がある。ここから外側のリング通りに向かって、放射状にクネクネと道路が伸びる。北へ向かうとドナウ運河に、南へ向かうとオペラ座に、南西が王宮に至る。ステファン寺院の真西の位置にあるブルク劇場はドイツ語圏全体の「国立/国民劇場」の意識をプライドとして強くもち、ハプスブルク帝国以来、270年を超える伝統をもつ。

伝統だけではないブルク劇場

リング通りの市庁舎が尖塔を空に伸ばすのに対して、向かい合うブルク劇場は、半円のファサードの左右に140メートルも翼廊を横に広げて、これはハプスブルク家の紋章である鷲が翼を広げたイメージである。ファサードの上ではアポロン神が、右に喜劇の女神タレイア、左に悲劇の女神メルポメネを従えて片手を上げ、演劇の聖地パルナッソス山を指し示している。アポロン神の下には金文字で、K.K HOFBURGTHEATER(カー・カー・ホーフブルク劇場)と書いてあり、ブルク劇場がウィーン宮廷(ホーフブルク)の劇場であったこと、そして最初のK(カー)は、「皇帝および国王の(kaiserlich und königlich)」の略称で、ハプスブルク帝国がオーストリア皇帝とハンガリー国王との二重帝国であった事実を今に示している。建物の周囲には様々な演劇関連の浮き彫りや彫像も多く飾られ、1683年にウィーンがトルコ軍に包囲された記録盤なども見つけられる。

ブルク劇場の歴史は、宮廷における「スペクタクル」を求めたマリア・テレジア女帝が、1741年に出した「舞踏会ホール」の使用許可に始まる。そして1774年、息子の啓蒙的絶対君主ヨーゼフ二世によって、ドイツ語圏の近代化(=国民統合)の意志を表明するべく、「ドイツ語」による演劇振興の趣旨で、常設の民間劇場建築の許可(いわゆる「演劇自由令」)と、ブルク劇場の「国立/国民劇場」化宣言が発せられた。

以後、ウィーンは急速に演劇都市としての実質を獲得し、例えばモーツァルトの活躍なども、「ドイツ化」による演劇=劇場改革の一環である。ヨーゼフ二世の求める「正しい言葉遣いで、良き社会道徳を目的」とする演劇の質の維持は、近代化のための文化政策上の最重要課題のひとつであった。

国民統合の課題と一体化したブルク劇場は、宮廷との近さによって、社会教育の場としての権威を維持し、その伝統がウィーンのみならず、ドイツ語圏における「ブルク劇場」の一種独特の光芒を産みだしている。

ただしヨーロッパ演劇史という点で見れば、例えば1584年のテアトロ・オリンピコや、1680年のコメディ・フランセーズなどと比べて、ブルク劇場が特別に古いとは言えない。「ブルク劇場」の重みは、いわゆる「伝統」のみならず、演劇の「現在」における上演の質と量の圧倒的な迫力に由来する。「近代化」の過去の様々な試みはともかく、ブルク劇場を「現代化」したきっかけは、1984年に劇場総監督に就任したドイツの演出家クラウス・パイマンである。

反発する保守層とのスキャンダルをまじえて進められた、パイマンによる演目の現代化は、1970年代以降のドイツの「演出家演劇」の興隆と対応して、ウィーン演劇のみならず、ドイツ現代演劇活性化のための非常に強い推進力となった。その象徴が2004年にノーベル文学賞を受賞したオーストリアの作家エルフリーデ・イェリネクの活躍で、彼女の挑発的な作品は、現在でもなお次々とブルク劇場の舞台で上演され続けている。

新たな演劇の可能性を提示し続ける

具体的なイメージをもっていただくために、例えば今年の3月後半、20日から30日までのブルク劇場の演目を以下に挙げる。

ライムント『アルプス王と人間嫌い』、トーマス・ベルンハルト『痴人と狂人』、チェーホフ『ワーニャ伯父』、シュニッツラー『ベルンハルト教授』、ウッディ・アレン『真夏の夜のセックス喜劇』、シェイクスピア『十二夜』、テネシー・ウィリアムズ『欲望という名の電車』、クライスト『ホンブルク公子』。

古典から現代までの名作を日替わりでそろえて、いずれの舞台も、俳優や演出の質はもちろん、手間と金のかかった装置や照明の「スペクタクル」も顕著である。たとえドイツ語が理解できなくとも、チェーホフやシェイクスピアなどの古典作品はオススメで、特にシェイクスピアの喜劇は、ライムントやネストロイのウィーン民衆劇で鍛えられた独特の軽味が加わって、身体と台詞の緊張した絡み合いが鮮やかにして絶妙である。俳優のそれぞれが、それぞれの異なったおかしみを伴って語り、動き回るので、シェイクスピアの喜劇のすさまじさがクッキリと立ち上がって目が離せない。

1300席あまりのブルク劇場は、さらに500席弱のアカデミー劇場ももっている。こちらの演目は古典よりも現代作品に重心がかかる。上記と同じ時期の演目を見ると、ネストロイやイプセンと並んで、日本に未紹介の新作「初演」が並ぶ。今年の注目はペーター・ハントケの『アランフェスの美しき日々』(昨年5月初演)、そしてイェリネク『冬の旅』(昨年4月初演)と『影』(今年1月初演)等々で、精力的に新作を舞台化していることが理解できるだろう。自分たちの「今、ここ」を強く意識するドイツの現代演劇は、ウィーンのブルク劇場において、ベルリンとは異なった新たな演劇の可能性をわれわれに提示し続けている。

寺尾格[専修大学経済学部教授 ドイツ現代演劇]

参考:山之内克子『ハプスブルクの文化革命』(講談社選書メチエ)、寺尾格『ウィーン演劇あるいはブルク劇場』(論創社)

<2013.5.10発行『アジア温泉』公演プログラムより>