ロシア

常に「公的」援助を受けてきた劇場

ロシアは、この百数十年の間にロシア帝国、ソヴィエト社会主義共和国連邦(ソ連)、ロシア連邦と名を変えてきた。もちろん、これは単なる名称の変化だけでなく、国家制度の変化であり、当然文化生活にもそれに応じた変化が生じている。演劇の存立基盤も例外ではない。
ただ、それにもかかわらず、帝政時代であれ、ソ連時代であれ、そして現在であれ、演劇=劇場は常に健在で、相変わらずよく客が入っている。それだけでもロシアという国が「演劇大国」であることを物語っているが、そこには、やはり劇場が常に「公的」援助を受けていたという歴史がある。そこで、一つの老舗劇場を例に、ロシアの劇場の歴史を少しだけ覗いてみようと思う。

2006年に創立250年を盛大に祝ったモスクワのマールイ劇場を例にとろう。日本でも2000年代に三度来日し、チェーホフの『三人姉妹』や『かもめ』などを上演した現代ロシアの人気劇場でもある。創立は1756年。モスクワ大学のアマチュア劇団がその出発点。しかし、それから50年演劇を続けているうちに大きくなり、1806年にロシア帝国の国立劇場として認められ、モスクワ市の中央部クレムリンのそばに、「大きな(ボリショイ)劇場」と並んで「小さな(マールイ)劇場」を建ててもらった。それがこの劇場の名前の由来でもある。横のボリショイ劇場はバレエとオペラの殿堂。その横のマールイ劇場はドラマの劇場として、その後1917年の社会主義革命まで帝政劇場として国からの援助を受け、ロシアのシェイクスピアと呼ばれるオストロフスキーの芝居などを上演してきた。一方、首都サンクトペテルブルクには同様に、バレエ・オペラの殿堂としてマリンスキー劇場が、そしてドラマ劇場としてアレクサンドリンスキー劇場が帝政劇場として存在していたが、ここではモスクワのマールイ劇場を例に話を続けよう。

1917年のロシア社会主義革命は、国家システムを百八十度転換させた。帝政は崩壊し、貴族社会は労働者、農民を主人公とする大衆社会へと変貌した。しかし、新政権は帝政劇場をすぐに国家管理の下に置き、国立劇場として認知し、存続させたのである。マールイ劇場も革命を支持する演劇を上演するなどして、1919年に国立劇場となり、その後レパートリー上では、スターリン時代から戦後を経て変化はあったものの、経済的基盤としては国の援助を受けながら、演劇好きの国民性にも助けられて、ソ連崩壊まで着実にその歴史を刻んできた。

私的劇場から国営化されたモスクワ芸術座

ここでマールイ劇場の話から少しだけ離れよう。ソ連になってから、一部共同農場などを除いて企業はほとんどが国営化され、劇場も例外ではなかった。たとえば、マールイ劇場以上に日本では(世界でも)よく知られたモスクワ芸術座について言うなら、この劇場は1898年帝政時代に、スタニスラフスキーとダンチェンコが作家のチェーホフの作品を上演することで世界に名を知られるようになったが、もともとはロシア最大の繊維工場を営むスタニスラフスキー家の私的劇場として出発し、帝政時代では例外的に貴族体制に繰りこまれなかった劇場だった。最初の名前は長いのだが「モスクワ大衆に開かれた芸術劇場」というもの。1917年ロシア革命の指導者は、当然この劇場の大衆性を評価し、上記したモスクワの二劇場(ボリショイとマールイ)、ペテルブルクの二劇場に次いで、すぐにモスクワ芸術座も国営化して、ソ連の文化政策のもっとも中心的な劇場として作家チェーホフの名前とともに、世界へ知らしめたのである。

ソ連になってから、1920年代にモスクワにはさらにワフタンゴフ劇場、マヤコフスキー劇場、モスソヴェート劇場などが創設され、その後戦後には「反体制演劇」を上演し世界を驚かせたタガンカ劇場やモスクワ風刺劇場、現代人劇場、プーシキン劇場、レンコム劇場、青少年劇場、日本にも数回来たユーゴザーパド劇場などなどモスクワだけで国立のドラマ劇場が一五から二〇ほど生まれている(バレエやオペラ、軽演劇を除く)。

どこもみな「国立」と銘打ってあるが、実質的には革命前からの劇場(マールイなど五劇場)と革命政権が1920年代に創立したいくつかの劇場には「アカデミック(「権威のある」といった意味)」という名称が与えられ、国家の直接経営とし、残りのモスクワの劇場は名前こそ「国立」だが、すべて経営はモスクワ市にゆだねられた形になっている。

劇場も時代の波への対応が迫られる

マールイ劇場に話を戻そう。革命後マールイ劇場は国の全面的な援助のもと、老舗劇場らしく古典を中心に上演活動を続け、さらに劇場付属のシェープキン演劇大学も有して順風満帆の歩みを続けてきた。しかし、1991年ソ連崩壊。国家の体制は「社会主義」から「資本主義」へと転換された。公表はされていないが、マールイ劇場のソローミン芸術監督(エリツィン政権の文化大臣)に聞くと、現在国からの援助は、劇場経営の25%分だそうで、おそらく他の国立劇場や市立劇場も同じようなものだろう。残りの75%は、独立採算である。しかし、ロシアは「演劇の国」である。モスクワでは、ソ連崩壊後小劇場などが雨後のタケノコのように出現したが、各劇場平均4、500あまりの客席は、連日ほぼ満員である。レパートリー・システムなので、毎日日替わりで芝居が上演されているが、それでも、客は入っている。しかし、昔はどの劇場でも一週間ほとんど休みなしになんらかの芝居が上演されていたが、最近では月曜など芝居を打ってない劇場が増えてきた。若い層をゲームやテレビに取られ、働き盛りはかつてのように5時にはさっと仕事を切り上げ、芝居を観にいくといった余裕のある生活が出来なくなっているのだろう。その意味では、今後どうなっていくのか、今新たな時代の波にロシアの劇場も対応が迫られそうだ。

堀江新二[大阪大学大学院教授・ロシア演劇]

<2013.3.7発行『長い墓標の列』公演プログラムより>