アメリカ

アメリカに「国立劇場」はない。いや、ホワイトハウスのすぐ近くに「ナショナル・シアター」という劇場があることはある。しかしそれは固有の名称であって、1835年の設立当初から民間経営だ。

営利目的の商業劇場

国立劇場をもたないアメリカでは、大きく分けて2つの劇場運営の手段がある。ひとつは、我々が良く知るブロードウェイの劇場のような、営利を目的とする商業劇場である。作品が儲かる限り……すなわち、チケットの売り上げやグッズの販売による事業収益が初期投資額と人件費や設備費を含むランニング・コストを上回る限り……上演し続ける。毎週、各作品の総売上高、上演週数、客席稼働率など利潤に直結する数字が公表されている。

『オペラ座の怪人』『ライオン・キング』『マンマ・ミーア!』といった人気作品が10年以上もロングランを続ける一方で、利益が見込めない舞台にはさっと見切りをつける。よって、しばしば、芸術的な評判が高かったり重要な社会問題を追及したりする作品であっても上演が打ち切られるのに、観光客や子連れを当て込んだディズニー物がもて囃されるといった現象が起きてしまう。ブロードウェイでは、制作費の高騰にともない、失敗するリスクが少しでも少ないリバイバルや人気映画の舞台化、既存のヒット曲を使ったジュークボックス・ミュージカルに頼る消極的な姿勢が続いている。また、チケットを買ってくれるお客の意向に迎合せざるを得ない、おのぼりさん相手の印象が強いブロードウェイであるが、その実、地元に暮らす高学歴高収入の中産階級がリピーターとなって影響力をもっており、舞台はどうしても保守的になる。いずれも営利第一主義の弱点である。と同時に、金にまつわるシビアな切磋琢磨がアメリカにおける商業劇場の世界一高い質を保たせているとも言えるだろう。

NPOによるリージョナル・シアター

もうひとつの運営形態は、NPO(非営利組織)が経営と企画を手がける、より小規模なリージョナル・シアター(地域の劇場)である。ブロードウェイの作品と人材はリージョナル・シアターが下支えしている。まずこれらの舞台で上演され審美眼と人気のふるいに掛けられてから、勝ち残った作品が中央へ進出してくる傾向があるからだ。

アメリカでは建国以来、個人の投資家や篤志家、私立の財団からの寄付金に基づいて劇場が経営されていた。そのため、商業主義に毒されて上質な舞台が損なわれたり、一部の都市圏に住む人びとしか演劇文化を享受できなかったりする状況に陥った。そこで1965年、連邦政府は一般大衆に対する啓蒙と文化の普及を目標とする全米芸術基金(NEA)を設立し、民間の演劇活動に支援を開始した。1960年代から70年代にかけては、演劇活動のブロードウェイ一極集中に対して反発が起こり、地方都市でリージョナル・シアターの設立・活動が盛り上がった。今では全米で二千近くのNPOが劇場経営や演劇活動に携わっている。リンカーン・センターもメトロポリタン・オペラも、冒頭のワシントンD.C.にあるナショナル・シアターもこの部類に入る。劇場建物は公共施設でも、その運営や興行はNPOが担っているケースも多々ある。

現在、連邦政府、州政府、地方政府の各レベルで公的支援が行われており、助成を継続的に受けるためにはシーズン毎に厳しい審査を通過しなければならない。こうしたお上による助成先の選別はNPOの劇場経営にお墨付きを与えることでもあり、その意味で、「国立劇場」の概念に近い運営方法だろう。ただし、決して「国立」ではない。と言うのも、現在、リージョナル・シアターの運営資金のうち各種公的支援はごく一部にとどまり、その大半はチケットやグッズの売り上げによる興行収入と個人・企業による寄付金が占めるからだ。リージョナル・シアターの名にたがわず、チケットを買って劇場に足を運ぶのは主にその地域の住民であり、寄付金も地元民と地元に基盤をおく企業・財団から多くを得ている。「国立」の金看板がなくともNPOによる劇場運営が成功を収めている秘訣は、このような地域密着型の方針にあるだろう。我々は良質の舞台が寄付によって賄われていると聞くとアメリカ人の芸術に対する懐の深さに感激してしまうが、寄付には大幅な税の優遇措置がもうけられている点は見逃せない。税金で取られてしまうよりは寄付する方がましという裏の事情もあるのだ。また、ブロードウェイにたがわず、金も出せば口も出すというのは常套で、NPOによる劇場運営も寄付者やチケットを買う地域住民の要望に応えていかなければならない。

「国」の概念薄いアメリカ

なぜ、アメリカには「国立劇場」がないのだろうか。まず、個人と私立の財団による寄付で、なんとかうまく劇場が運営できてきた点が挙げられよう。独立建国期から19世紀の開拓時代を通じて、アメリカはヨーロッパの封建制度に反発し、どんな人でも勤勉と才覚によって立身出世は達成きるのだというセルフ・メイド(独立独歩)とアメリカン・ドリームの理想を打ち立てた。そうして成功を収めたのちには、手にした利益を社会に還元すべしだと考えられた。鉄鋼王カーネギーや石油王ロックフェラーといった当時の億万長者たちの名を冠する施設が今でもそこかしこに残っているのは、こうしたアメリカン・スピリットの具現なのである。

そして、なによりも、アメリカではそもそも「国(ネイション)」の概念が薄い。1776年、13の植民地が集まって宗主国イギリスに対して突きつけた独立宣言にでさえ「アメリカ合衆国」という国名は見あたらず、一国家としての自覚は全くなかった。以来、アメリカは長い年月をかけて、西へ西へと領土を拡大し、世界各地から移民を受け入れて人口増加を図ってきた。国境も、国民の数も人種もつねに流動的で、「アメリカとは何か」「アメリカ人とは誰か」と自問しながら国家国民を形成してきた。このような過程で、ホワイトハウスが主導権を握って国立劇場を運営するという概念は育ちようもなかっただろう。異なる文化背景を有する多様な人びとからなる連邦国家では、個人の価値観に関わる芸術領域に対しては、中央政府の関わりはなるべく少なく抑さえるべきと考えられている。アメリカの劇場運営方法には、独立建国以来の独自の精神と歴史が刻み込まれているのだった。

常山菜穂子[慶應義塾大学教授・アメリカ演劇]

<2010.11.9発行『焼けたトタン屋根の上の猫』公演プログラムより>