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【レポート】『街の灯』公開リハーサル

決して交わらない視線、それでも柔らかく通じる心と心。なんと切なく胸に染みるパ・ド・ドゥだろう。主演の二人が口をそろえた「素敵な作品になるという確信」を、観る者も共有させられるひと時だった――。

新国立劇場バレエ団のシーズン開幕を飾る新作『街の灯』のリハーサルが、このほど報道陣に公開され、囲み取材も行われた。出席者は、「喜劇王」チャップリンの同名映画を世界で初めてバレエ化する振付家アラスター・マリオットと、補佐のジョナサン・ハウエルズ。カンパニーからは主演の4組を代表して、放浪者(リトル・トランプ)役の奥村康祐と、盲目の花売り娘役・米沢唯。本稿では披露された二つの場面に、質疑応答での各自のコメントを交えながらレポートしたい。

取材・文 齊藤希史子(バレエライター)



一輪の花と一枚の硬貨

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撮影:奥田祥智

まず踊られたのは、リトル・トランプと娘が出会うシーンだ。花売り娘のテーマ「ラ・ヴィオレテラ」(「スミレを売る娘」の意。ホセ・パディーヤ作曲)が流れる中、街角で二人が鉢合わせる。手探りで花を売りつつ、通りすがりのトランプに微笑みかける娘。悪意をぶつけられることも多いだろうに、その笑顔に卑屈さはみじんもない。米沢自身のすがすがしい存在感と相まって、娘の伸びやかな心根が伝わってくる。彼女の事情を即座に察し、そっと手を差し伸べるリトル・トランプ。「お花はいかが?」「どうも、お嬢さん」。二人のやり取りが聴こえてきそうな自然体の演技は、無声映画さながらだ。

米沢唯「少女は目が見えませんが、守られている人、不幸な人ではなく、自分の足で立ち、自分の力で生活している。そんな前向きさを大切に演じたいと感じました。目線を外したままクラシックの正確なラインや動きを保つのが難しいところなのですが、それ以上に私がやらなくてはいけないのは、彼女の揺れ動く感情をお客様に伝えること。トランプは彼女からもらった花をずっと胸に挿し、大事に大事にしているのですが、私自身は舞台上でこの一輪の花のような、花をそっと差し出すような存在であれたらと思っています」

リトル・トランプのいでたちは映画同様、山高帽にステッキ。チャップリン独特のペンギン歩きも、バレエの優雅さと絶妙に溶け合わされている。一挙手一投足ににじむ、誠実な人柄。はにかむように肩をすくめて首を傾げ、脚をそろえてちょこんと腰掛ける姿は、奥村の代表作『ペトルーシュカ』のタイトルロールをほうふつさせた。道化のような外見に純粋すぎる心を抱えた彼らは、報われぬ恋に身を焦がす運命なのだろう。

奥村康祐「チャップリンの映画をたくさん見ました。コメディーという印象が強いのですが、哀愁や寂しさ、人間の弱さがある。そういう繊細な面を際立たせるためのコメディーなのだと思いました。表情のクローズアップができないフラットな舞台でチャップリンの演技をどう表現するか、研究中です。リトル・トランプの造形としては、あくまでも紳士であり、汚い格好をしていても心はすごくきれいな人物。ジェントリーな感じを常に心掛けています」

なけなしの硬貨を娘に握らせ、高級車で立ち去ったと勘違いされながら、その場にとどまるリトル・トランプ。至近距離からこっそり見守るも、彼女が捨てたバケツの水を盛大に浴びてしまうという、映画そのままのオチが展開された。おもしろくて、やがて切ない名場面になりそうだ。

「見えない」パ・ド・ドゥ

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撮影:奥田祥智

続いて披露されたのは、大富豪と意気投合してナイトクラブへ同行したリトル・トランプが、その様子を娘に語り聞かせる場面。紳士淑女が繰り広げる優美なダンスが再現される。彼女を腕に抱き、心の扉を徐々に開いて外界を「見せていく」シークエンスが、しみじみと美しい。

通常はパ・ド・ドゥに不可欠なアイコンタクトが、本作では封印される。マリオットによると、ダンス番組で盲目の出場者の踊りを見て圧倒された経験から、「制約の中で最大限のロマンチックさ」を追求したと言う。派手な回転技や思い切った跳躍は組み込めない分、秘めた哀しみや渇望、あふれ出る愛おしさが丁寧に紡がれていく。響き合う二つの魂そのものを見るかのようだ。

中でも、ためらいなく相手役に背中を預ける米沢に瞠目させられた。常に進行方向へ顔を向ける晴眼者と異なり、視覚をもたない人は前後左右を同等に捉える。その空間認識を、たゆたうような足運びと、後方への恐れを知らないオフバランス(倒れ込み)で、問わず語りに見せているのである。

米沢「奥村さんとは長年組んでいて信頼関係があり、安心して身を任せられます。目線を合わせられない分、感覚がどんどん研ぎ澄まされていて。彼が今どんな状態でどんな息遣いをしているかが、肌でひしひしと感じられるんです」

予測できない方向へ動く娘を優しく包み込み、文字通りその背を押してやるリトル・トランプ。奥村は視線の合わないパ・ド・ドゥを、文楽の人形遣いにたとえた。

奥村 「まだ振りが体に入っていない頃は、動きたい方向と唯ちゃんの顔の向きが違うので、サポートを間違えて『ごめんなさい』となることも多かった。女性の動きに静かについていったり、彼女が踊った後に動きを捕まえに行ったり。文楽では一体の人形を三人で遣うのですが、主遣いの方に合わせて左遣い、足遣いの人が動く。その感覚に近いものがあるのかもしれません」

物語を描く力

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撮影:奥田祥智

ちなみにこの名作映画は偶然にも今夏、『まちの灯』として文楽になったばかりだ。マリオットは日本人の表現力について、こう述べている。

アラスター・マリオット「私は二〇二二年、『ジゼル』の新演出のために新国立劇場バレエ団に来たのですが、ダンサーやスタッフの仕事ぶりにほれ込みました。文楽や歌舞伎などの伝統を持つ日本人は、物語を繊細かつ正確に語る力がある。こうした特性は、身体的なユーモアとペーソスで描かれる無声映画という形式と、とても相性がいいように思います」

では、なぜ今、『街の灯』なのか。

マリオット「この物語の素晴らしさを真剣に考え始めたのは、新型コロナ禍の最中でした。映画が封切られた百年前と現代に、共通点を感じたのです。当時はスペイン風邪が流行し、戦争もあって、人々は刹那的な乱痴気騒ぎに明け暮れていた。そこへ世界恐慌が起き、富裕層でさえ財産を失いました。そんな激動の中のささやかな営みを拾い上げ、オペラのようなスケールで表現できたら素敵だと考えたのです。他者の人生を、トランプのような『持たざる者』が変えてしまう。それは億万長者が成し遂げるより、はるかに大きな奇跡です。コロナ下でも、市井の人々が感動的な活躍をしましたよね。そんな人間味あふれるドラマを、ぜひご覧いただきたい」

音楽の「拡張」

音楽は、無声映画の編曲を数多く手掛けてきたティモシー・ブロックが担当。チャップリンオフィスの許可の下チャップリンが作曲した『街の灯』の音楽を中心に変奏したり、引き伸ばしたりして、「短編映画を全幕バレエに拡張」した。振付家とアシスタントの二人がiPadを通して実際に演技をして見せ、必要な尺を要求。(娘のために賞金を稼ごうとリトル・トランプが挑む)ボクシングのシーンでは、ベルを用意して「ここでゴングを鳴らしたい」と伝えもしたと振り返る。

ジョナサン・ハウエルズ
「譜面作りには相当の苦労がありました。でも我々はやり遂げたのです。娘にもリトル・トランプにもそれぞれの美しいモチーフができた。そして各場面が、流れるようにつながっていきます」

「狂乱の一九二〇年代」にふさわしく、映画スターなど華々しい人物も登場し、「楽しくてにぎやかなシーンもいっぱい」(米沢)という。

かごいっぱいの花と札束

さて、リトル・トランプと花売り娘のストーリーに戻ろう。大富豪から預かった札束を「視力を取り戻すために使って」と娘に手渡すリトル・トランプ。心願成就の場面だが、表情には悲壮感も漂っている。それもそのはず、直後に彼は強盗容疑を掛けられ、投獄されてしまうのだ。

 一方、手術を受けて視力を得た娘は、花屋を営みながら恩人である「裕福な紳士」を待ち続けるが......。一輪の花と一枚の硬貨から始まり、かごいっぱいの花と大金でクライマックスを迎えた恋と誤解は、どう決着するのだろう。


大阪の人情噺ふうの文楽『まちの灯』に感動したという大阪出身の奥村によると、それとは異なり、全編に「ヨーロッパの香り」が漂う作りらしい。「アラスターさんオリジナルの終わり方」を、ぜひ劇場で見届けたい。

チャップリンと同い年で、『ペトルーシュカ』の初演者だったニジンスキーは、撮影所を見学に来て、こう言ったという。「あなたの喜劇はまるでバレエだ。あなたは立派な舞踊家ですよ」(中野好夫訳『チャップリン自伝』新潮社)。それから一世紀。天才の〝予言〟が今秋、この日本で実現しようとしている。

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撮影:奥田祥智

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2026/2027シーズン 新国立劇場バレエ団『街の灯』<新国立劇場バレエ団委嘱作品・世界初演>

2026年10月23日(金)~11月1 日(日) 全10回公演
新国立劇場 オペラパレス


公演情報