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【インタビュー】『街の灯』奥村康祐&米沢 唯
チャールズ・チャップリンが監督・脚本・製作・主演し、1931年に公開されたサイレント映画『街の灯』。笑い、悲哀、無償の愛が交差する名作が、アラスター・マリオットの振付によって世界で初めてバレエになる。新国立劇場バレエ団2026/2027シーズンの幕開けを飾る本作で、チャップリンその人が演じた放浪者(トランプ)を踊る奥村康祐と、盲目の花売り娘を演じる米沢唯に話を聞いた。
インタビュー・文●阿部さや子
「ジ・アトレ」2026年8月号より
いくつもの深い問いが重奏的にひろがる唯一無二の傑作
―お二人は『街の灯』をご覧になったことはありますか?
米沢 幼い頃に見たことがあります。チャップリンが大好きだった父がビデオテープをたくさん持っていて、私は『街の灯』が大のお気に入りだったんです。また先日、都内の映画館で『街の灯』が二回ほど上映されたのですが、そのうちの一日だけ奇跡的にリハーサルがなく、映画館でも見ることができました。だから今回は、勝手に不思議な縁を感じています。
奥村 僕も『街の灯』はずいぶん昔に見たことがあったのですが、もうほとんど記憶に残っていなかったので、今回のバレエ化が決まってからあらためて見てみました。強い印象を受けたのは、人間模様の描き方や演技の素晴らしさはもちろん、コメディとしての面白さと、物語の本質の深さです。笑いの部分は、現代のお笑い芸人が見せているようなことをすでにあの時代にやっていて、声を上げて笑ってしまうほど面白い。それでいて物語の中心には、社会の格差や不条理、目の見えない娘だけにトランプの本当の姿が見えていることや、彼の彼女に対する無償の愛など、いくつもの深い問いがあります。こんなにも完成された映画の監督・脚本・音楽など全てを手がけ、主演までしているチャールズ・チャップリンの天才性に、僕は畏怖の念を抱きました。
米沢 私は、チャップリンの目が素敵だなとも思いました。恐ろしいほど知的で、思わず惹きつけられてしまう目。花売り娘の"見えない目"もとても輝いていて、そんな二人の目を見ているだけでも感じることがたくさんあります。もうひとつ考えたのは、なぜタイトルが『街の灯(CityLights)』なのかということです。『浮浪者の恋』でも『花売り娘の瞳』でもなく、『街の灯』。花売り娘の存在が光なのか、トランプの愛が光なのか、それとも二人の関係が光なのか。答えはわからないけれど、そんなことも考えながら見ていました。
―本作のキーヴィジュアルは奥村さんと米沢さんがモデルを務めていますね。
奥村 撮影には、衣裳デザインのディック・バードさんも立ち会ってくださいました。衣裳は撮影用でまだ完成形ではなかったのですが、映画の場面写真と見比べながら「ここが違う」「もう少しここに皺をつけて」等と、細かいところまでこだわってくださったんですよ。
米沢 康祐さんがもう、チャップリンに似合いすぎていました! メイク中もずっとチャップリンの映像を見ていて、カメラの前に立った時にはもはやチャップリンが憑依したんじゃないかと思うほどでした。
奥村 チャップリンのように個性的で、姿形から動きまで完全にイメージが確立されている人物を、別の人間しかもバレエダンサーが演じた時にどう見えるのか。そこが難しいだろうなと思いながら、いまも映像を見ては研究しています。でも撮影の時は、唯さんもすでに役に入っていると思いました。花売り娘がすごく似合っていた。
米沢 私はまだこれから役を探っていく段階ですが、気になっているのは「目線」です。盲目の役を演じるのは初めてなので、目が見えないことを表現するために、目線をどう使うのか、あるいはどう使わないのか。また、まだリハーサルが始まっていないので何とも言えませんが、もしチャップリンとパ・ド・ドゥを踊るシーンがあったとしたら......踊る時は相手とのアイコンタクトでタイミングを合わせることが多いのに、今回はそれができないだろうな、とも。目が見えない状態でリフトされたりする感覚を、本当に目隠しをするわけでもなく感じながら踊るのも難しそうです。
言葉だけではつたえられないもの チャップリンが目指した世界をバレエで表現する
―まだリハーサル開始前とのことですが、ご自身の役について現時点で感じていることや考えていることがあれば聞かせてください。
奥村 トランプは純粋で子どもみたいな人。ただ、一般的な物語の主人公とは少し違うところがある気がします。例えば『白鳥の湖』なら王子の気持ちになってストーリーを追っていけるけれど、トランプについてはそれができません。映画を見ている時に、トランプの目線で物語を体験するのではなくて、彼のことをずっと俯瞰で見ているような感覚がある。そして彼の滑稽な行動を笑いながら、どこか申し訳ない気持ちにもなるし、「あなたはどう思う?」と問いかけられている気もしてきます。歩き方も行動も変だけど、人間として大切なものはこの人が持っているというような......うまく言えませんが、トランプを見ているといろいろな感情が渦巻きます。
米沢 すごくわかります。トランプって、どこか「登場人物」という感じがしないんです。もちろん物語のいち登場人物なのだけど。人の格好をした、人ではない人、という感じ(笑)。もしくは人間の原型。
奥村 確かにトランプだけ歩き方が独特だし、顔も白塗りで、ちょび髭をつけていますよね。現実の浮浪者ならあんな格好はしないわけで、その時点で他の登場人物とは違う次元の存在だということを見せているのかもしれません。
―花売り娘についてはどうでしょう?
米沢 花売り娘というと、私は『マイ・フェア・レディ』を思い浮かべます。あちらの花売り娘は階級が低くて言葉遣いもがさつですけれど、『街の灯』の娘は佇まいも仕草もとても上品。彼女はお祖母さんと二人暮らしですが、もしかしたら上流階級の生まれだったのに両親が亡くなって没落し、病気になって視力を失ったのかもしれない......と想像してみたりしています。
それから映画ですごく印象的だったのは、最後に目が見えるようになった彼女が、ボロボロの身なりをしたトランプを見て笑うところです。彼女は目が見えるようになったことで、得たものも失ったものもある。だけどそのすぐ後に、彼女が気の毒な浮浪者に小銭を渡そうと彼の手を握り、「あなたでしたのね?」と気づいた瞬間、二人の関係性が再びガラリと変わるんです。あのラストシーンをバレエではどのように表現するのか、私はすごく楽しみにしています。
奥村 花売り娘、唯さんはもうそのままでいけると思います。なぜかというと、唯さん自身がすごく純粋で、清潔感があって、嫌味な感じが全くないから。トランプは、街の喧騒の中でひとり清らかな光を放っていた花売り娘に一目惚れします。その菩薩みたいな輝きを、僕は唯さんにも感じます。そして最後に目が見えるようになった時、それまで見えていた大切なものが見えなくなるという繊細な部分も、唯さんはきっと見事に表現できると思う。
米沢 菩薩......(笑)。ありがとうございます。私も、いまの康祐さんが演じるチャップリンがすごく楽しみです。康祐さんはいつも明るくて、お茶目で、どこかピーターパンみたいな永遠の少年性を感じさせるところが大きな魅力。でもその一方で、私は最近の康祐さんの表現の中に、悲しみや孤独のようなものを感じるんです。それはチャップリンを演じる上で、絶対に必要な要素ではないでしょうか。単に可笑しくて切ないというだけではなく「聖なる悲しみ」、「聖なる愛」がないと、「チャップリン」は成立しないと思う。
―チャップリンは、言葉を使えばこぼれ落ちてしまうものがあると考えて、すでにトーキー(発声映画)の時代が来ていたにもかかわらず、無声映画にこだわったと言われます。バレエダンサーであるお二人も、「言葉よりも踊りのほうが伝わるな」と実感することがありますか?
奥村 それはよくあります。
米沢 私の中には、言えば言うほど自分の言いたいことから離れていくような感覚があります。また、相手の目を見ただけで感じ取れるのに、何を感じたのか言葉にしようとすると、どうしても不正確になってしまう。私にとっては言葉のほうがずっと難しいかもしれません。
奥村 本当にその通りだと思います。例えば『白鳥の湖』第二幕のグラン・アダージオは8分間くらいありますが、そこで交わされる感情を二人がずっと言葉で語り合ったとしたら、見ているほうは相当しんどいかも。踊りだから心にずしんと伝わってくるものがある。
米沢 言葉には力があるけれど、言葉だけでは伝わらないことがたくさんある。いくら言葉を尽くしても伝えられない何かが自分の中にあるから、人は演劇やダンスや音楽などを作るのかもしれません。
―これから始まるリハーサルや本番の舞台に向けて、楽しみにしていることは?
奥村 『街の灯』という名作がバレエになり、新国立劇場バレエ団で世界初演される。そのこと自体が本当に楽しみです。振付のアラスター・マリオットさんが見せてくださる演技のお手本も絶対に素晴らしいので、自分自身がちゃんと「チャップリン」になれるように頑張ります。
米沢 いま、衣裳合わせなどをするたびに物語の風がちょっとずつ吹いてくるけれど、実態はまだ見えません。でもチャップリンが作曲した映画音楽がそのままオーケストラ編曲されて使われるというのも嬉しいし、あの花売り娘がトウシューズを履いたらどうなるのかも楽しみ。とてもワクワクしています!
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