W.A.モーツァルト フィガロの結婚
  アルマヴィーヴァ伯爵 伯爵夫人 ケルビーノ
初演(2003.10) C.ロバートソン J.ワトソン E.ツィトコーワ
再演(2005.4) W.ブレンデル E.マギー M.ブリート
再々演(2007.10) D.ロート M.コヴァレヴスカ 林美智子

シーン2(第1幕)

この『フィガロの結婚』は2003年、2005年、2007年と3回上演して、歌手はスザンナ、伯爵、伯爵夫人、ケルビーノと主役級の全てが3回とも違っていた。その中で一つ皆さんに見ていただきたいシーンがある。それがその「恋とはどんなものかしら」のアリアのところだが、このアリアは普通だったら伯爵夫人に向かって歌ってみなさいと、じゃあ、聞かせてくださいと言って、「Voi che sapete, che cosa è amor」とケルビーノが憧れの伯爵夫人に歌うのだが、ホモキ氏が設定したのは、ケルビーノはこの歌を伯爵夫人に聞かせたいと思って来たのだが、伯爵夫人やスザンナはどうも自分のことを大人の男としては全然見てくれてない、からかっているだけだと。自分はこんなに一生懸命、本当の気持ちを伯爵夫人に伝えたいと思っているのに、みんなからかっている。「僕はそんな態度に出るなら歌いたくないよ」といやいや歌っているシーンにした。だから、実は歌い始める時も逃げようとしてブロックされて、伯爵夫人とスザンナに取り囲まれてしまい、もうどうしようもないからわかったよ歌うよと言って、「Voi che sapete」と歌い始める演出になっている。先ほどのバジリオが見ていたカンニングペーパーのような紙の歌詞なのだが、その歌詞を見ながら歌っているとスザンナが覗き込んだりするので、「なんだ! 見ないでよ。僕の気持ちなんだから!」といやがりながら歌うアリアである。これは非常に有名なアリアで、音楽的にコントロールが難しいのだが、ホモキ氏はその後半部分の歌の所で、スザンナと伯爵夫人が向こうにいて自分はこの小唄の紙を見ながらだが、彼女たちにからかわれないようにして歌っているシーンがある。ここに洋服ダンスがあって、その陰で歌っている、近寄らないでよ、私はここで歌っているんだからねって言って、歌っているうちにぱっと見ると伯爵夫人とスザンナがいなくなっているわけである。あれ、どこにいたのだろうと思って振り返ると、既に洋服ダンスの後ろを回り込んでいた。そこで驚く、で、そのまま彼女たちが攻め寄ってくるのを、たじたじ後ろ向きに下がっていくというシーンがある。これはアリアを歌っている最中であり、歌手によってはこのような動きをいやがる歌手もいる。

初演時も大変苦労したのだが、その中で後ろ歩きに下がっていくだけでも大変なのに、さらにここに段ボールがあって、その中にバーンと落ちなきゃいけない。具体的に言えば、「piace,(ここで落ちて!) languir così」と歌うところがある。ホモキ氏が求めたのは、「piace」の直後に落ちた、しかも「languir così」の後の音楽でゆっくり段ボール箱を横に倒れていく。そして、ピアノで二番の「Voi che sapete」と歌ってくださいと指示したわけである。歌手は当初「誰でも知っているアリアのこの大切な箇所で、少しでも音が外れたりぶれたりして恥をかきたくない」と言っていたが、結局「piace」と段ボール箱に落ちるところまでやり、その後、「languir così」と言いながらゆっくり倒れるという演出は、さすがにしなかった。

そして再演の時は、私がホモキ氏に代わって稽古をつけたのだが、ホモキ氏ならば説得できたかもしれないが、私は歌手にこの動きをすることを説得することはできなかった。そこで私は、ここに落ちるための段ボール箱が1個あるが、その後ろに実はもっと段ボール箱が積んであることに目をつけ、ホモキ氏が「ピアーチェ、バン!」というタイミングで何か彼女がどっきりするようなインパクトを欲していたことを知っていたので、落ちるかわりに「ピアーチェ、バーン」と壁に当たってそこの1段目の段ボールの上に座って欲しいと提案した。彼女は、「それならやる」と稽古場では承諾したが、実際はそれもほとんどやらず、ただ普通に歌われてしまった。

2007年の2度目の再演のケルビーノ役は日本人で、私はホモキ氏の舞台のアイデアを説明し、ホモキ氏のアイデア通りに上演することがこのプロダクションで初めてできた。

その3種類の演出を見比べて分析する機会はなかなかないと思うのでおもしろいと思う。よく、私は再演の演出は初演のときと違うねと言われるが、それは当たり前だ。歌手が違ったら音楽のテンポも全然違う、表現の気持ちも違う、もちろん気持ちに関しては演出家の解釈により方向性が示されているのだから、私たちがなるべく個人の差がどうであれ、初演の演出家の考えたコンセプトに合わせて作っていくのだが、やはりどうしても音楽づくりっていうのはまた違ってくる。その音楽作りも含めてこの3種類を比べていただきたい。

初演のエレナ・ツィトコーワさんは、すねて洋服ダンスの角に行ってしまう。客席から見て左後ろにいると思ったら、知らぬ間に回り込んでいた、いない、どうしたんだと思うとここにいた。で、後ずさりしていく。そして、段ボール箱に落ちる所はやってくれたのだが、もともと横に倒れるべき箇所で抜けてしまった。

2003年公演より

2005年の再演はフランス人のミッシェル・ブリートさん。どこにいるんだって言ってぱっと見ている。本当はスザンナたちの攻撃に驚くべきところでくっついてしまい、段ボール箱にぶつかってほしいところでぶつからないで座ってしまう。でもとてもいい声を聞かせてくれた方である。演技のテンポも違うし、表現も違う。

 
2007年公演より(左右とも)

2007年の公演のケルビーノ役は、日本人の林美智子さんで、段ボール箱への尻もちの演技をしてくれた。

今、紹介したシーンには、実はもう1つ違いがある。そのケルビーノのことをからかっているのは大体スザンナで、スザンナがケルビーノを追いかけていって箱に落ちる。しかし実は、最後の2007年の公演では、伯爵夫人の方がケルビーノに積極的に寄っていっている。伯爵夫人を演じたマイヤ・コヴァレヴスカさんは本当にその役柄通りのキャラクターの人で、ある演出家から「あなたには笑顔以外の演出をするのは難しい」と言われたと本人が笑って言っていたが、それくらい笑顔がチャーミングで、ものすごく体から明るい香りを発散している方である。まだ29歳ぐらいと思われるが、去年ザルツブルグ音楽祭で大役を歌ってブレイクし、今(2008年1月)、メトロポリタン歌劇場で「カルメン」のミカエラを歌っている。