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2011年8月8日

オペラ「サロメ」タイトルロール エリカ・ズンネガルド インタビュー!

リヒャルト・シュトラウス「サロメ」の注目のタイトルロールを歌うのはスウェーデン出身のソプラノ歌手エリカ・ズンネガルドだ。
遅咲きの彼女は、機が熟した2004年、センセーショナルにオペラ・デビューし、世界の聴衆を魅了し続けている。観客とのコミュニケーションを大事にし、役について研究熱心なズンネガルドに、サロメ役の魅力をうかがった。


The Atre5月号より

 
2010年 ボローニャ歌劇場「サロメ」より ⓒBepi Caroli
「普通」の感覚があるからこそ聴衆と心が通じ合える

――この秋「サロメ」を歌ってくださいますね。

とってもワクワクしているんです。東京では前にメトロポリタン歌劇場の引っ越し公演で歌いましたが、新国立劇場は初めてです。前回の日本訪問は素晴らしい思い出で、ぜひまた行きたいと思っていました。

――オペラ・デビューは難役トゥーランドットだったそうで。

ええ。その頃の私は、一般的な女性オペラ歌手のデビュー年齢をとうに過ぎていたんですよ。

――オペラ・デビュー以前はどんなお仕事を?

教会や室内楽の演奏会といった小さな会場で歌っていました。私の声はまだ成長過程にあったんです。オペラを歌うには、時間をかけて声の自然な成熟を待つと同時に、もっと勉強する必要がありました。まあ一筋縄ではいかない声だったんです。大変でしたよ(笑)。主にニューヨークで活動していましたが、生活のために銀行で働いたり、通訳もしましたし、いろいろなレストランでも働きました。

――そんな時期を経ての開花だったんですね。

私は「普通の生活」が長いんですよ。今ふり返ると、人間としてとてもいいプロセスを踏んだと思いますね。また、こういう地元の小さなコンサートに足を運んでくださる聴衆と触れ合った経験は非常に大きいです。「この人たちのために歌う」という感覚を、体が自然に覚えるんです。この経験の大切さを、大舞台に立つようになってから実感しています。

――才能があっても、人間性はやはり重要ですか。

ええ。私はそう思います。音楽のプロとして生きることは、とても極端な人生を歩むこと。若い頃からその世界しか知らないでいると「普通」が分からなくなってしまう。それは人間としては辛いし、聴衆の心が分かりづらくなるでしょうね。通じ合う心を欠いたコミュニケーションの薄い音楽は寂しいと思います。

――そしてトゥーランドットでオペラ・デビューですね。

不思議な成り行きでした。その頃の私の声はほぼ成熟していて、クリスマスでスウェーデンへ帰省したときにいくつかオーディションを受けようとしていました。両親の親しい友人が音楽家のエージェントをしていたので、その方の勧めもあって。そうしたらいきなりスウェーデン南部のマルメ劇場でトゥーランドット役を探しているからトライしてみては、と言われたんです。「トゥーランドット」はスウェーデンではあまり上演されない演目で、歌手が見つからず劇場は困っていたんですね。私はすぐに劇場に行ってステージで歌いました。私にとって本当に初めてのオーディションだったのですが、審査員の方々が興奮しているのが分かりましたよ。そして私がまだステージにいるうちに仕事が決まったのです。来るべき時期が来た、というかんじですね。それまでぐっとこらえていたものが吹きだすような体験でした。その後、次々に仕事が決まり、あっという間にカレンダーが埋まっていきました。

 
2010年 ボローニャ歌劇場「サロメ」より ⓒBepi Caroli
「サロメ」は心痛むヒューマン・ストーリー

――さて、サロメについてうかがいます。ずばり、どんな役なのでしょうか?

一言で言えば「複雑」です。心理的にもそうですし、演じるときの所作も難しい。まず15歳の少女に見えるように演技しなければならないので。その少女は心にとても深い傷を受け、もはや壊れてしまっています。 家庭・家族がない、恐ろしい家なのです。本当にゾッとするような……。

――そこでは父親のヘロデが彼女を誘惑しようとします。

ヘロデは義理の父親ですよね。オペラに登場するのは義父だけですけれども、原作の戯曲では、サロメの本当の父親は彼女の幼少時からずっと囚人として捕われていた、とあります。サロメが捕われ人のヨハナーンに強く惹かれ、執拗なまでに彼を求めるのは、そこに本当の父親の面影を見るからです。彼女が唯一信じられる人、それは本当の父親です。しかも父親は、サロメの母へロディアスによって殺されてしまう。サロメがヨハナーンに寄せる思いは「救済」への願いにほかならないのです。彼女が背負った運命は、身も凍るようです。小さな子供がただひとり地球上に取り残されたようなものです。私は、サロメが生まれながらに心に悪を持っていたとは思いません。恐ろしい出来事が重なり、恐ろしい人間になってしまったのです。

――首を切り落とすことは何を意味するとお考えですか。

究極の象徴ですね。聖なるもの、高貴なものへのいけにえのような意味ではないでしょうか。アフリカにもそういう風習がありますが、私が勉強したところでは、さらに時代を遡ったインドで女神への捧げ物として、人間の、それも男性の肉体を捧げる儀式があったそうです。女性の力への絶対的な服従という意味ならば、何かつながるものを感じますね。ただヨハナーンはそもそも幽閉の身ですから、遅かれ早かれ殺されてしまう可能性が十分にあったわけです。それをサロメは自分のためにあえて歯車を早回ししてしまった。そんなサロメの狂気的な執念が生まれたのは、彼女の心がヘロデの悪に染まってしまったからに違いありません。病的なシチュエーションの結果です。

――サロメは好きな役ですか?

初めてサロメを歌ったとき、とてもインスパイアされました。彼女の運命を思うと悲しみを覚えます。彼女はとても賢い人物です。活力と喜び、願望をもち、ヨハナーンに接近します。確かに極端な方向性を持っていますが、その心理構造は興味深いものです。感情表現はむしろ単純で、人の言うことを聞かない子供のようです。「それはだめだよ、できないよ」という他人の言葉にだだをこねて反抗します。母親からはまったく愛情を得られずに、両親の私利私欲のえじきになっているのです。これは心痛むヒューマン・ストーリーなのです。

――音楽的にはいかがでしょうか?

完璧です。テキストと音楽の調和において最高のオペラだと思います。歌手も大変ですが、指揮者はもっと苦労しますね。歌とオーケストラの間で、最初から最後までどう規律を保って指揮するか。「サロメ」は規律のゲームのような作品です。

――今回の公演では尾高忠明オペラ芸術監督がみずから指揮台に立ちます。

なんと光栄なことでしょうか! この舞台で最高の歌唱ができるよう全力であたります。皆様にお会いできる日を楽しみにしています!