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2010年2月16日

サンクトペテルブルグより
3月公演バレエ「アンナ・カレーニナ」通信B

■作品理解のために
振付ボリス・エイフマンの演出ノートより


バレエは心理劇を具現し、潜在意識に入り込むことを可能にする特異な分野である。新しい作品に挑むたびに未知なるものを模索する。
長編小説『アンナ・カレーニナ』は常に私の心を捉えてきた。トルストイを読む時、その主人公たちの心理世界を微細に解き明かし、ロシアの生活を驚くほど鋭く、正確に活写する著者の筆致をまざまざと感じるはずである。長編小説『アンナ・カレーニナ』では主人公アンナの心理世界の深みが垣間見えるだけでなく、官能と情動に彩られた個性が見事に描出されている。現代文学にもこれほどの激情、変容、幻想的情景を見出すことはできない。これらは全て私が舞踊化する際の核となったものである。
カレーニン家の生活の計ったように流れるリズム−公僕たる家長の職務、上流社会の慣習の墨守−それが調和と安寧の幻想を醸し出す。ヴロンスキーへのアンナの激情は慣れ親しんできたものを跡形もなく破壊してしまった。愛し合う二人の偽りのない感情は受け容れられず、その赤裸々な感情の吐露は人々を驚愕させた。カレーニンの偽善は誰もが受け容れたが、ただ一人アンナはそれに耐えられない。アンナは息子に対する母の義務よりも愛する人への滾るような感情を選んだ。脱落者として生きざるを得なくなった。旅に出ても、上流社会のいつもの華やいだ雰囲気にも決して和むことはない。女には男との感情的な繋がりを断ちがたい悲劇的なまでの不自由な感覚があった。それは病や苦痛にも似た隷属感である。アンナは自由になるために、おぞましく耐えがたい生活を断ち切るために自ら命を絶った。
私にとってアンナは魔物の化身であった。なぜなら、アンナには二人の人間が棲んでいたからである。傍目にはカレーニンや息子や周囲の人々が知っている貴婦人であり、もう一人は情欲の世界に耽溺する女性である。
何がより大切なのだろうか? 義務と感情の調和というありふれた幻想を守ることだろうか、それとも、嘘偽りのない激情に身を委ねることだろうか? 果たして私たちには情欲のおもむくままに家庭を破壊し、子供から母親の思いやりを奪う権利があるのだろうか?
この問題は過去にトルストイを悩ませた。そして、現在にいたってもなおその問いかけは続く。そして、それに対する答えはない。あるのは人生においても、死してもなお、理解してほしいという抑えがたい渇望である。

ボリス・エイフマン

▲振付・演出ボリス・エイフマン

 

▲夫カレーニンとアンナのパ・ド・ドゥ

▲若い恋人ヴロンスキーとアンナのパ・ド・ドゥ

 

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