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2009年3月30日

『タトゥー』出演 吹越満インタビュー

「シリーズ・同時代【海外編】」の最後を飾るのは、ドイツの女性劇作家デーア・ローアーの『タトゥー』
父親による娘への性的虐待が行われている家族を通して、
父権とそれに囚われて生きる人々の悲しい姿を、乾いた文体で描き出す。

演出は、身体と言葉の関係に独自の視点を持ち、国内外で活躍する岡田利規。
父親を演じる吹越満に、新境地とも言える役への挑戦について聞いた。

インタビュアー:徳永京子(演劇ライター)
会報誌The Atre 3月号掲載

 

自分のイメージと遠いから
やってみようと思った


――まず、この作品のオファーを受けた理由からお聞きしたいのですが。

 僕がオファーをいただく舞台で考えると、この「タトゥー」はかなり珍しいジャンルじゃないかと思ったんです。僕は「フキコシ・ソロアクト・ライブ」というパフォーマンスを定期的に続けているんですが、それを中心にスケジュールを立てると年に何本も舞台はできなくて、これまでそれほどたくさんはやっていないんですね。去年出演した「悪夢のエレベーター」が、ソロライブ以外では三年ぶりぐらい。一時は、自分は舞台に出るのが好きじゃないのかもしれないとも思っていました(笑)。それがこのところ少しずつ気分が変わって、ソロライブと遠い世界観の作品に興味が湧いてきました。「悪夢のエレベーター」とこの「タトゥー」も、とても遠かったんです。

――役のことを考えると、まさに吹越さんと遠い気がした、というのが正直な感想です。台本を読んでいる段階では、もう少し年上のマッチョな男性をイメージしました。
 
 その通りだと思います。ドイツ人作家が書いた近親相姦の話に出てくるお父さんって、確かに僕とすごく距離がある。だからやってみよう、と思ったんですよ、僕もきっと。台本のたたずまいとか作品全体の雰囲気も、これまで僕が演ったことのないものだし、そしてまたどういう稽古をするのかわからない岡田さんと初めてご一緒する。いろんなことがまったく想像がつかないですけど、決め手がないことを理由に舞台を決めるのもいいですよね(笑)。

――ヘヴィーな台本ですが、お読みになっていかがでしたか。

 最初に読んだときと二回目の印象がとても違って、今は「意外とこれ、わかりやすいかもしれない」と思っています。さっきの、舞台に出るのが好きじゃないのかもと考えていた、という話にもつながるんですが、僕はどこかある種、舞台に偏見があるんです。「どうせ小難しいんだろう」みたいな(笑)。でも最近また舞台にたくさん出てみたいと思うようになった、ひょっとしたら好きかもしれない(笑)と思い始めたのは、じっくり台本を読んでみるとおもしろい発見があるんですよね。今回、声を出して笑っちゃったんですけど、僕が演じる父親が食事の時間、妻に「マスクを取って食べなさい」と言うシーンがあるんです。妻にですよ(笑)。それを言わざるをえない家族のかたちがすでにおもしろいですよね。


 

あのラストまで行きたくて
この話は書かれたのでしょう


――その家の常識が傍から見れば非常識、というのはどの家にもありますし、それを突き詰めていくと、この家の近親相姦にもつながってきますね。

 ええ。この家のことはわからないことだらけですよね。僕も娘がいますけど、この父親の気持ち、まったくわかりませんから。この家でそういうことが行われるようになったきっかけや時期も、いろいろと想像するしかありません。感情移入なんてできないし、わからないままやることになるかもしれないと思っています。考えてもわからないことだからお芝居の台本になったんでしょうし、いいとか悪いとかの話ではないですよね。横断歩道を渡るのを怖がってるお婆さんを助けて、信号が変わるまでの間にあっち側へ連れていく間のお芝居があるとして、世の中に実際にあることという意味では同じことですよね。

――善悪の判断を導くような情報が、台本から排除されていますよね。

 台本にシーンのタイトルはあるけど、ト書きがほとんどないんですよね。僕はそこもいいと思っています。岡田さんの作品にもそんなところ、あるじゃないですか。だからきっと稽古場でつくってくんだろうな。演出家がひとりで「こうしてください、ああしてください」と言う稽古場にはならないんじゃないかって気がします。戯曲を書いた人が稽古場にいないから「この会話はどこで交わされてるんだ?」とか「家の構造はどうなってる?」という話になっていくわけですよね。それはすごく楽しい作業でしょうね。

――そしてラストがとても衝撃的ですが。

 あそこまで行きたくて、このお話はあるわけでしょう、きっと。そこをどう演出されるかはわかりませんが、勝手なイメージで言わせてもらうと、岡田さんの演出と、あまりにも合っている。表面上の家族のあり方とは別に、裏があるってことですよね、この話は。岡田さんの演出って、言葉と体との訳のわからないつながり、つながってるのか、つながってないのかわからない関係を考えているように僕は思うので、いくつもの面がある人間関係の話といい組み合わせだと思います。ただ、それが合い過ぎてもどうなんだろうという心配もある。もしかしたらそこで、僕が(違和感をもたらす存在として)キャスティングされたのかなって、ちょっと勝手に思ったりしてます(笑)。