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2008年9月18日

「山の巨人たち」稽古が始まりました

フランスより演出のジョルジュ・ラヴォーダン氏が来日し、「山の巨人たち」の稽古が始まりました。

新国立劇場地下の稽古場には巨大な<橋>の装置が組まれ、稽古初日の9月17日は、この稽古場でスタッフ、キャストが一同に会して顔合わせを行った後、本読みを開始しました。
本読みでは冒頭から、<「不運」と呼ばれる屋敷の住人>の魔術師コトローネ役の平幹二朗さん、<劇団イルセ>の看板女優イルセ役の麻実れいさんをはじめ、日本の現代演劇界を代表する俳優たちの個性がぶつかりあい、緊張感に満ちた白熱の掛け合いが展開しました。稽古ではラヴォーダン氏の解釈や作品の背景の説明を交えながら、出演者からも多くの質問が相次ぎ、謎いっぱいの戯曲と向き合う、濃密な時間を過ごしています。

稽古開始にあたっての、ラヴォーダン氏のあいさつをご紹介します。


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私は「山の巨人たち」を、約20年前にパリ、10年ほど前にバルセロナで演出しています。今回も共通ですが、毎回、美術はこの、解釈過剰気味な装置を使ってきました。台本に書かれているのは、屋敷と橋があるということだけですから、この巨大な橋の装置は、台本を拡大解釈しているということになります。

「山の巨人たち」は奇妙な戯曲です。この物語では、夢と現実、公的生活と私的生活が混じりあっています。しかもこの本は中断されている。本来4幕あるはずの戯曲が3幕までしか書かれなかったために、大きな謎を抱えることになったのです。タイトルにある「山の巨人」が登場しないままに終わってしまったからです。
ピランデルロの息子が死の床にある父親に聞いたところでは、「巨人」とは何か不確かな、大きな存在を象徴しているのです。ピランデルロが「山の巨人たち」を書いた1936年は、イタリアはムッソリーニが権力を掌握するファシズムの時代でした。おそらくピランデルロは、ファシズムの野蛮な力が人間の持っているポエジー(詩情)に圧力を加えていると感じていたのでしょう。
幸運にも、私たちはファシズムを脱することができましたが、今こそ私たちは、新たな質問を自らに問うことができます。

私たちにとっての「巨人」とは、何なのか? 

私たちは、この大きな謎を毎日少しずつ考えながら解いていくことができます。演劇にとって最も大切なこと何か。それはクリシエ(紋切り型)を避けるということです。どうやって新しいことができるか、私たちは常に考えなければなりません。
「山の巨人たち」の魔術師コトローネの台詞には、ところどころ、レッスン(教訓)のような言い回しがあります。それをすべて理解できなくてもよいのです。子供のようにそれを信じれば。
みなさんと力をあわせ、魔法の道を通って、初日にたどりつきたいと思っています。

ジョルジュ・ラヴォーダン