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2007年4月20日

演劇「CLEANSKINS/きれいな肌」
作家シャン・カーン インタビュー

演劇「CLEANSKINS/きれいな肌」の初日に立ち会うため、作家のシャン・カーンがイギリスより来日しました。「CLEANSKINS/きれいな肌」は、新国立劇場の委嘱により書き下ろされた作品で、これが世界初演となります。初日を観劇した翌日、感想を語ってもらいました。

              ■インタビューの様子はこちら(動画)

 

――「CLEANSKINS」はとても深刻な家族のテーマなのに、随所に笑いがたくさんあって、とても楽しめました。

人生ってそういうものだと思うんです。深刻な状況なんだけどそこからダークなユーモアのようなものが自然と生まれてくる。「CLEANSKINS」の上演を観て、観客の方が笑ってくださった、理解してくださったということが、私もとてもうれしいです。
深刻な題材をただ深刻にとりあげたら、観客にメッセージは伝わらない、きちんと耳を傾けてくれないと思うんですよ。でもユーモアをもって扱うようにすれば、誰もが受け取ってくれると思う。
私の父は、飛行機のコンコルドのエンジニアとしてロンドンに来たんです。1960年代初頭です。それからスコットランドでお店をやることになったんだけど、行ってみたら、家や店の窓がどんどん割られちゃった。それは何もスコットランドだけが移民に対して反感をもっていたのではなくて、そういう時代だったっていうことだけど――英国自体が移民に慣れていない時代だったんですよね。私はそういう状況の中で育ちました。6人兄弟だったけど外で遊べる状態じゃなかったから、外で友達と交わらないで、自分達でダークなユーモアのセンスを培うしかなかったということです。それが唯一の方法だった。

――「CLEANSKINS」は新国立劇場の委嘱で、日本のスタッフ・キャストで世界初演となったわけですが、初日をご覧になっていかがでしたか。

とても楽しみましたよ。私は作家として脚本を書いたけど、脚本はあくまでも活字です。舞台の上で、初めて演劇として上演される。そのときはいつもちょっと、奇妙な感じを覚えるんです。舞台では、作家はこう書いたんだろう、言っているんだろうと解釈をして上演してくれるんだけど――それがいいとも悪いとも言わないけど――それはやっぱり、「おおー、なるほど」、と感じるところもあります。素晴らしい解釈だったり、それに自分が実は意図してないところで素晴らしい表現をしてくれたりする。今回は日本語で上演されていて、もちろん私は日本語はわからないんだけれど、自分で書いたから中味は分かっています。スタッフのチームも出演者の皆さんも、素晴らしい仕事をしてくださったと思っています。
私はこう、弧を描いて出てくるというイメージで、キャラクターのアーチと言っているんですが、銀粉蝶さんのドッティーの役は、面白い面がある中に、実は子供たちに大きな秘密を隠している、そういうダークな面がある。中嶋朋子さんはヘザーに必要とされる、威厳を保つということ、それに帰ってきた動機を抱えていることを理解してくれていた。北村有起哉さんのサニーは人種差別主義者だし言葉は汚いし、でもみんなの共感を呼ぶ…なぜかというと彼は信念を、それに信念に対して行動するパッションを持っているからなんですけど。そういう側面をよく理解して演じてくれていたと思います。
そして3人の役者さんがうまく一緒になっていい演技をして、本当の家族みたいな空気をかもし出してくださったのが、本当によかったです。演出の栗山さんの力が非常に大きいと思います。栗山さん、俳優さん、スタッフの方々、みんなの方法論にのっとって稽古をして、イリュージョンに向かって仕上げてくださったんだと思います。

 

――2005年、ちょうど「Prayer Room」を上演しているときに、栗山芸術監督がエジンバラで舞台を観て、そして初めてカーンさんと会いましたよね。執筆を依頼されたときの感想をお聞かせください。

そのとき思ったことは2つあります。まず、非常に光栄だということ。そして2番めは、地球の反対側にいるはるか遠い国の方が私に興味を、私がとりあげているテーマにも興味を持ってくれたということがうれしくて、勇気づけられた。驚きましたし。それに私に脚本を書いて欲しいというなんて、なんてパイオニア精神のある人々だろうと思って。私はパイオニア精神というのが大好きなんです。だから私は、こういう人たちは好きだな、と思いました。(笑)
ただあのときはエジンバラ演劇祭の最中で、みなさんご存じのように、あの巨大なフェスティバルには沢山の人が集まる。私もいろいろな人に会って、沢山のオファーを受けたんです。そうすると、どれがどこまで実際に実現する話なのか、わからなくなっちゃう。そういうクレイジーな状況の中だったんです。ところが、そこにも偶然の一致があった。栗山監督と中島チーフプロデューサーから依頼があったとき、特別な条件というのが提示されたんですよ。登場人物を3人にしてくれないか、と。それですごく面白いなと思いました。というのも、それまで自分が書いた作品は登場人物が10人とか12人とか出てくるもので、もう少し登場人物の少ないものを書きたいなと思っていたところだったから、タイミングがちょうどぴったり重なったんです。ラッキーだなって思いました。
処女作の「Office」も大勢のキャストが必要なんですよ。キングスクロス・ストリートの2人の麻薬ディーラーの話なんだけど、実はエキストラが多いんです。ディーラーのところに買いに来る人がどんどん出てこないと成り立たないから。みんなセリフはないんだけど。次々登場してはドラッグを買って去って行く。いつも誰かの出入りがあるんです。セリフもないから一人で着替えてまた出てくれば、というのもばかげているでしょ、それで結局15人くらい必要になっちゃった。
「Prayer Room」も同じような感じです。大学の祈祷室が舞台なので、セリフがなくても、大勢のグループが祈っていたり、議論をしていたりしないと物語が展開しないんです。「Office」も「Prayer Room」もそういう大規模な作品で、それは上演する劇場のお財布にも直結しますよね。それはつまり私のお財布にも影響するということでしょ(笑)。

――3人家族という設定はどうでしたか。

条件自体は「3人」だったので、家族じゃなくて職場の3人でも何でもよかったんだけど、考えているうちに親子になりました。でも制限を設けられたのは初めてだったから、書いている間に、息が詰まりそうになったのは事実なんです。もうひとりだけほしい、もうふたり増やしたい!って。ただ一方でこれはチャレンジだなと思いました。登場人物を3人だけにして、なおかつ観客を飽きさせない。アクションも展開も起こさせて…と考えていたら、これはすごいチャレンジだなと。

――「CLEANSKINS」のテーマは、日本で上演されるということで特別な意図をこめて考えたものですか? それとも今書きたいこととして、カーンさん自身の中から自然にわきあがってきた必然的なものなんでしょうか。

日本の劇場で日本の観客のために上演されるということなので、実際は、頭の中では常に日本人というものをイメージしていました。ただ栗山監督からは、だれのために書くとかいうことを気にしないで、書きたいものを書いてくれと言われたんです。それなら、私は今までどおり、自分の魂が書きたいもの、自然に思い浮かぶことを書きたい。その結果です。ただ3人でという制限の存在、これは今までそういう経験がなかったから、心理的に大きなバリアになりました。だって今までは10人で書いていたものが、こう書きたいと思っても3人しか出せない。それが大きなバリアになったわけです。でもこの心理的なバリアを克服してしまった後は、かなり楽に書くことができるようになりましたよ。

――これがもしイギリスで上演されることがあったら、その舞台も見てみたいという観客もいましたよ。

私もそう思います。でも世界初演が日本の新国立劇場だったということは、とても光栄に思っています。でも自分の母国語、英語で上演されたらどうなるのか考えると、すごく楽しみ。今回は英語で書いたものが日本語で翻訳されて上演されるわけだから、スラングを入れちゃいけないとかいうことも心理的には負担になったんですよね。大丈夫だって翻訳の小田島恒志さんが言ってくれて助かったんですけど。

2007年4月19日 新国立劇場にて(協力:高野しのぶ)


シャン・カーン Shan Khan
ロンドン生。パキスタン系イギリス人。2000年、処女作『Office』でVerity Bargate Award受賞。翌2001年のエジンバラ・フェスティバルで上演された本作が話題を呼び、一躍新進作家として注目を浴びる。BBCを始め、ITV、Channel 4などの人気テレビドラマの脚本を手がけ、2003年には短編映画『Candy Bar Kid』で脚本・監督を担当、英国映画テレビ芸術アカデミー(通称:BAFTA)短編映画賞にノミネートされるなど、まさに八面六臂の活躍を続けている、イギリスで注目の劇作家。
2005年、新作『Prayer Room』をエジンバラ・フェスティバルで上演。大学構内のとある部屋を共用する異なった宗教サークルの若者たちの日常を描いた本作は、グラウンド・ゼロ以降、本国イギリスのみならず世界がはらむ宗教観の違いや、そこから派生する差別、猜疑心、争いを浮き彫りにし、フェスティバル一番の注目作となった。『Prayer Room』はBBCドラマとして映像化も進められている。
2006年には、テレビドラマ、長編映画のほか、イングリッシュ・ナショナル・オペラのシーズン・オープニングを飾った『カダフィ』の台本も手掛けた。