2005年12月12日

怒り、絶望、暴力、憎悪…vs生命の謳歌、豊かさ、潤沢...
たとえそれが悪魔であろうが天使であろうが、所詮人間ほどではないのだ。
lectureB「Les 4 saisons...(四季)」
絶望の後・・・、どうしても生命を謳歌せずにはいられなかった。
インタビュー他

Bプロ「Les 4 saisons...(四季)」(2月4日、5日公演)

●プレルジョカージュは「Les 4 saisons…」の制作動機について「あの作品(1年前に発表した「N」を指す)で私は世界が犯した罪に向かって、自分の怒りと絶望をぶつけたのです。私自身にとっても、ダンサーたちにとっても非常に過酷な体験でした。だからこそ、明るく生命を謳歌する必要が生じていたのです」と語っている。

◆振付家アンジュラン・プレルジョカージュ、「Les 4 saisons…」を語る

――2005年6月30日「パリ・マッチ」よりフロランス・ソゲ
◎アンジュラン・プレルジョカージュ インタビュー

■「四季」でコラボレートするために、何故ファブリス・イベールを選んだのですか?
「四季」に興味を持ち始めた時、私はまず始めに風景画家を、それから自然を重視する造形作家を考えました。自然を描くためにはそれが理にかなっていると思われたからです。逆に、ファブリス・イベールと組むことは、最も当然でない選択でしたが、どうしても彼が必要だったのです。彼は、私が型通りの何かに陥るのを避けさせることが出来る人だったのです。彼の過剰さ、奔出するアイディア、自己規制の無さは、彼をも私をも解放してくれるものでした。私は苦しみながら創作しますが、彼には興奮作用のある無頓着さのようなものがあるのです。

■あなたの創作の過程に、彼がどのように関わることを望んでいますか?
常に私の進路を変え、私が自分のダンスを改めて定義するように仕向け、ダンスというものにあらゆる意味で平衡を失わせ、破滅しかねないところまで持って行って欲しいと思っています。

■あなた達の共同作業はどのように進んだのですか?
私は拘束がある中で仕事をするのが好きです。彼はPOF(機能する物体のプロトタイプ:日常生活から取り入れ、その本来の機能を変えられた、現実には存在しない物体)によって、私に一連の問題を出してくるので、私はそれらに対する答えを見つけなければなりません。それらのオブジェは、動きを考え出す私のやり方に干渉し、変えさせるのです。

■彼のオブジェのいくつかは断ったのですか?
私は彼が私にしてくる提案を拒否することを自分に禁じました。彼に対していかなる制限も設けませんでした。
ダンサー達はファブリス・イベールのPOFsをどのように取り入れたのですか?
ある時は苦労して、苦しみさえしながら、またある時は幸福を感じながら。彼らは非常に深く創作に関わろうとするダンサー達ですから、精神を集中しますし、自分達がしていることを本当に信じているのです。彼らは私を良く知っています。私が常に挑戦を受けて立ちたいと思っていることを分ってくれているのです。

■あなたの作品にファブリスがもたらしたものを表すために、あなた達は「カオスグラフィー」という言葉を考え出しました。これは何を意味しているのですか?
一緒に作業していた時に、ファブリスはまず、「カオレグラフィー」という言葉を思いつきました。「というより、カオスグラフィーだよ」と私は言いました。つまり、彼は無秩序をもたらすので、私は正常な状態にし、再構築しなければならないからです。

■その「カオスグラフィー」は新しいダンスを生み出しますか?
いいえ、それには私が天才的でなければなりません。ファブリスのオブジェは、私のダンスを「カーヴさせる」ことが出来ます。宇宙で、巨大な惑星がその質量によって空間を変形させるように。
彼の精神的姿勢に何を求めているのですか?
伝染です。彼が私のものの考え方を変えることを望んでいます。ファブリス・イベール前とファブリス・イベール後が出来ることを望んでいます。

■彼は現在までにあなたに何をもたらしましたか?
まだわかりません。何かが動いたことは漠然と感じていますが、変化は衝撃波によって、必ずしも今すぐにではなく、後から、しかももしかしたら他の作品を創る時になってから、起こるでしょう。
「四季」はあなたに何を思い起こさせますか?
潤沢さ、豊かさ、炎のような輝き、生命。


◎ファブリス・イベール(美術・衣裳POFs) インタビュー

■何故、アンジュラン・プレルジョカージュとコラボレートすることを承諾したのですか?
彼が電話をしてきた時、私はダンス界のことは全く知りませんでした。「もう一度、お名前を言ってくださいますか?よくわからなかったので」と頼んだほどです。彼のお蔭でダンスを知りました。彼と出会ってからしばらく後、2004年12月に、生まれて初めてのバレエを観に行きました。私はあつかましいアーティストです。アンジュランとの仕事は、私がそのままでいることを許してくれました。私達はものの考え方が同じなのです。まあ、完全にではありませんが。私は唯美主義に執着しません。私は数学を専攻しました。私は数字が、全ての明確なものが好きです。唯美主義は明確ではありません。だからこそ、アンジュランの世界に近づいてみようという興味が湧いたのです。

■あなた達の共同作業はどのように進んだのですか?
システム・組織を扱う私なりのやり方は、混乱(カオス)や動揺をもたらすことです。私達が考え出した「カオスグラフィー」という言葉はそこから来ています。私達はまず、パリの私のアトリエで作業をしました。10枚ほどのキャンバスに大雑把なスケッチをしました。いくつかのアイディアについて合意に達し、その後、彼はエクスで、私はパリで作業を進め、ショート・メールで連絡を取り合いました。それから、きちんきちんと彼に私のPOFsを送ったのです。

■彼の作業にどのように関わったのですか?
私は「ダンス」という素材は知らないので、私のPOFsを彼に届けると、彼がそれらを彼の創作方法の中に取り込むのです。POFは、舞台に出現すると動揺を引き起こし、何らかの思いつき、動きの変化を呼びます。筆で絵を描く時のようなものですね。鉛筆に持ち変えれば、必然的にデッサンの仕方は変ります。

■あなた達の「カオスグラフィー」は新しいダンスを創り出しましたか?
ええ。私は現実には存在しないオブジェを考え出します。従って、当然それに反応して、新たな動き・行動が出現するのです。
この共同作業はあなたに何をもたらしましたか?
競争心、沈殿物、つまり、ふたつの化学物質が融合して、もうひとつの別の物質を作り出すこと。私にとっては、新しいインスピレーションの到来です。すごく新しいオブジェを色々考えました。

■アンジュラン・プレルジョカージュから拒絶されたことはありましたか?
ひとつだけ、シーソーです。私は彼に、「好きなように使っていいよ」と言って私のオブジェを届けました。ダンスのシステム・組織も、他の全ての芸術のシステム・組織と同じように構成されています。あなたが自由な電子・エレクトロンだった場合、入り込むのはとても難しいのです。

■ダンサー達はあなたの発明品をどのように取り入れたのですか?
自分のPOFsの使い方について、もともとアイディアを持っていることも時にはありましたが、私はダンサーではありません。彼らが私のオブジェで遊ぶのに困難を感じている時は、アンジュランが解決策を探し、主張しました。

■「四季」はあなたに何を思い起こさせますか?
甘いお菓子かな?

◎「四季」初演プログラムより
――アンジュラン・プレルジョカージュ
「肉体には何が出来るのか?」
新しい作品に取りかかるたびに、スピノザの「エチカ」に書かれているこの反復する問いが、私に必ず再提起される。毎回、私はこの疑問に悩まされる。そして今回、アントニオ・ヴィヴァルディの協奏曲作品8:四季を前にしては、いつもにも増して。パラドックスだろうか?
これほどよく知られ、これほど型どおりで、これほど道を迷わせられたこの音楽が、実際、私達に更なる驚きや隠された部分や秘密を見せることが出来るのだろうか?
これほど官能的に気象を表現するこの音楽が(特にこの数十年間に)蒙ってきた汚れを拭い去ることが出来るのだろうか?どうやって?
まず、何度も何度も、動きの文体に戻ること、この点から離れないこと、そうして、生命ある、本質的なダンスを再び展開させること、さらに、作業の4つの軸:奔出、高揚、停止、振動について熟慮すること。
そこから出発し、そして必ず、違うところに到達すること、違う方向に向かうこと、4つのパラメーターも認識しないほどになること。
足跡をくらましたり、干渉を発生させたりするのを分担するために、ファブリス・イベールのことを考えた。何年も前から、楽しんだり、深い興味を抱いたりしながら、彼の仕事に注目してきたし、彼はこのプロジェクトに最も当てはまらない、だからこそ最も必要なアーティストだと思われたからだ。

――ファブリス・イベール
2004年11月、アンジュラン・プレルジョカージュが電話をしてきた。興味をそそられ、エクスまで彼に会いに行き、その後、マルセイユへNを見に行った。
アンジュランは私に「四季」のことを話した。
私は思った。私は、雨や雲間から不意に射し込む太陽の光や雷雨や風のように、予期されないものになるだろうと。彼の文体に重ねる、もうひとつの文体。
どちらかが作り、どちらかが受け入れる天候を作り上げること・・・。
誂えの・量目超過の天気予報、つまり、カオスグラフィー。


photo:L.Philippe


photo:J.C.Carbonne


photo:C.J.Carbonne


 

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