怒り、絶望、暴力、憎悪…vs生命の謳歌、豊かさ、潤沢...
たとえそれが悪魔であろうが天使であろうが、所詮人間ほどではないのだ。
lecture@衝撃作「N」ついに日本上陸!
プレルジョカージュ・インタビュー他


Aプロ「N」 (1月31日、2月1日公演)
◆振付家アンジュラン・プレルジョカージュ「N」を語る

人類の歴史には、抑止し難く、途絶えることなく流れている何かがあります。それは、他者の肉体を否定し、虐待し、辱め、切断し、消滅させ、あらゆる痕跡を除去するという、やはりまたも肉体に関わることです。そして、文明が洗練されるにつれて、逆に、このような仕打ちは、ますます野蛮になるように思われるのです。
世界各地で人々が傷つけ合っているのですから、暴力がダンスの舞台にまで現れるのも当然です。
芸術は世界と密接に結びついており、当然、相応の暴力を持たざるを得ません。グラニュラ・シンセシスのアーティスト達は、人々に映画やビデオを見せるというよりはむしろ、身体的な体験をさせてくれます。それは興奮させられるほど強烈なものだったので、私はダンスをそれと対決させたかったのです。ダンスがそれに呑み込まれてしまうのか、あるいは逆に、新たな力を得て窮地を脱するのかを見るために。
まやかしも、並外れた技術の誇示もありません。私の狙いは、感情を揺り動かすことなのです。
これは、私が今までに創ったもっとも悲観的な作品です。暴力と憎悪は、私にとって、地獄の誘因となるものなのです。
私は意図を和らげるようなことは全くしませんでした。もう取り返しがつかないという感覚や恐怖感を伝えたかったのです。この作品は肉体の置かれた状況を語っているから、ダンスは物語を彩るためだけに存在するのではないから、私はこれを作ったのです。この作品は、人類にとってもっとも重要な題材に取り組むことが出来なければならないのです。

◆ クルト・ヘントシュラーガー(音楽・音響デザイン)、ウルフ・ラングハインリッヒ(映像・美術他)、「N」を語る
プレルジョカージュとともに作品の構想・演出を行ったクルト・ヘントシュラーガー(音楽・音響デザイン)と ウルフ・ラングハインリッヒ(映像・照明・舞台美術)は「N」の制作過程について以下のように話す。

●〜クルト・ヘントシュラーガー
私達の共同作業が始まってすぐ、<ヒューマニマル=人間動物(動物としての人間)>の条件というコンセプトが決定しました。私達の出だしからの考えや関心事の大部分は、その後次第にふくらんで行きました。最終的に作品「N」となったのは、現実をそのまま物語るより以上に、<ある状態>や雰囲気−特に、感情移入の無いこと−を描写できる曖昧な形態を求めて、創作の過程で変化していったものなのです。

●〜ウルフ・ラングハインリッヒ
(この作品の)音響は、音の像として、撹乱する流れとして、時には数え切れないほど多くの層を成す、ほぼ独立した原料のようなものとして、構想されています。だから、実体あるもののように感じられるのです。メロディーも、これまでに決して創り出されたことのないもののように思われます。私は、ひとつの力を、すべてが流され、溺れてしまうような、ゆっくりと揺れ動くひとつの波を想像しているのです。

◆作品「N」について

――アニェス・フレシェルによれば
長いクレッシェンド状に構成されている「N」は、人間的な温かみのない薄暗がりから、目を眩ませるようなストロボ・フラッシュへと展開する。音楽も、ほとんど無音の状態から始まり、抑揚の無い音が続いた後、動きの遅すぎる心臓の鈍くこもった鼓動のように耐え難く、はっきりと体感できるほどに鳴り響く低音の狂おしいリズムへと、ゆっくり変化する。憎悪についてのこの作品は、肉体の消えることのない美しさによって救われているとはいえ、進行する悪夢のようだ。肉体の動きによって昇華された「N」は、最終的には同情を許容するために世界中の残虐行為を暴き、地獄から強引に逃れるのである。

――フィリップ・ノワゼットによれば
仮面タイトルをつけた新作「N」によって、アンジュラン・プレルジョカージュは、混沌とした社会と対決し、当然ながら悲観的な懸念を明らかにする。多分、ダンスを有効な防御手段として。他者を破壊すること、消滅を導く主要な媒介物としての肉体、「悲しいかな、人類が地上に現れた時から変わらない特徴」について探求したいというのが、最初の考えだった。エクサンプロヴァンスに本拠を置く振付家は、ビデオと音をひとつのメディアに融合させている、ドイツとオーストリアの二人組アーティスト、グラニュラ・シンセシスと協力して、自らの既成概念を覆した。「私は、新しい作品を作るたびに、方向を変えようと試みます。恐らく、それこそが、ダンスに対する私自身のほとんど絶対的な信頼のこのうえない証拠なのでしょう。」

――マリー・ゴドフラン=グイディチェッリによれば
我々の文明の暗黒期の惨状という手強いコンセプトを巡って、「N」は、単なる、月並みなビデオゲームを遥かに超えるところまで行き、時を越えて我々の世界に根ざす暴力をより一層はっきりと暴くために新しいテクノロジーの力を借りている。振付家にとっては、全人類を果てしなく大量に殺戮しているあらゆる暴力を、指で触るようにはっきりと理解することこそが重要なのだ。その証拠に、彼が確かめた事実は恐ろしい。暴力は、時代の流れにつれて現れる宗教的あるいは政治的なあらゆる口実の陰に、人間存在の奥底に、まさにそこに、あるのだ。<N>は作品自体の中に、永遠に人類につきまとって離れない暴力というものについての、物理的、哲学的、芸術的な数々の問いかけを含んでいる。


photo:Ulf Langheinrich


photo:Ulf Langheinrich


photo:C.J.Carbonne



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