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「カヴァレリア・ルスティカーナ/道化師」
オペラトークの模様を掲載

2004/2005シーズン開幕を飾る「カヴァレリア・ルスティカーナ/道化師」のオペラトークが8月19日(木)に開催されました。トークの模様を抜粋してお届けいたします。

 
 
「カヴァレリア・ルスティカーナ/道化師」オペラトーク
2004年8月19日(木)
新国立劇場小劇場
   
出演 阪哲朗(指揮者)
  グリシャ・アサガロフ(演出家)
  トーマス・ノヴォラツスキー(オペラ芸術監督)
   


トーマス・ノヴォラツスキー(以下TN)残暑の厳しい折、オペラトークにおこしくださり誠にありがとうございます。
新シーズンは「女たちの運命」がテーマです。ひとことで「女たち」と言っても、オペラの主役女性たちの運命は様々です。「カヴァレリア・ルスティカーナ/道化師」「エレクトラ」「ルル」「コジ・ファン・トゥッテ」「フィデリオ」「蝶々夫人」・・・・・。今シーズン続々登場する個性豊かな女性たちの運命を、皆様とともに見守っていきたいと思います。

さて、皆様すでにご存じのことと思いますが、「道化師」のカニオ役に出演を予定しておりましたセルゲイ・ラーリン氏が病気のため、来日できなくなりました。たいへん残念なニュースです。ラーリン氏の一日も早い回復をお祈りします。
一方、幸運なことに現代を代表するイタリア人テノール、ジュゼッペ・ジャコミーニ氏がカニオ役をお引き受けくださいました。ジャコミーニ氏を温かく日本にお迎えしたいと思います。皆様もぜひ公演を楽しみにお待ちください。

「カヴァレリア・ルスティカーナ/道化師」公演情報


TN:アサガロフさん、まずあなたがどういう人なのか、教えてください。

グリシャ・アサガロフ(以下GA):私は画家リューベンスの生地として有名なドイツのジーゲンでロシア人の父、ドイツ人の母のもと生まれました。その後、ミュンヘンで育ち、大学にも通いました。そして1966年にミュンヘンで舞台監督として舞台の仕事を始めました。その後演出助手もつとめ、ドルトムント、デュッセルドルフと移り、デュッセルドルフでは8年を過ごしました。当時のデュッセルドルフはインテンダントのグリシャ・バルフス氏のもとオペラ全盛期で、そこでジャン・ピエール・ポネルとも深く知り合うことができました。

私がデュッセルドルフで過ごした1971〜1979年の間、ポネル氏のロッシーニ・サイクル上演において彼のアシスタントをつとめました。ポネル演出のロッシーニ作品はいずれもデュッセルドルフで上演され、そのうちの何本かはデュッセルドルフで新制作されたものでした。それらの作品は海外でも上演され、ポネル氏がツアーに行けない時には、私を演出補として送り出してくれました。それにより、私の国際的な活動がスタートし、1976年にはワシントン、シカゴ、サンフランシスコで初めてアメリカでの公演に携わりました。

TN:高名な演出家、ジャン・ピエール・ポネル氏のもとで研鑽を積んだのですね。ポネル氏とはどのような人でしたか?

GA:まず、彼は非常に音楽的な思考を持った演出家でした。彼はヴォーカルスコアではなく、オーケストラのフルスコアを使って稽古を行っていました。オペラのどこでどの楽器が弾かれているかを熟知していましたし、強弱記号などにも敏感に反応しました。音楽が早くなるところも遅くなるところもとにかくよく把握していましたので、あたかも彼の演出に音楽がついてくるような瞬間すらありました。それまでそのようなアイデアを持った演出家に出会ったことがありませんでしたので大変感銘を受けたものです。もう一つは、美術家としての顔です。彼は若かりし頃、パリでフェルナン・レジェの弟子として絵画を学び、はじめは装置や衣裳のデザイナーとしてキャリアを開始しました。演出ではシェイクスピアなどの演劇、ミュージカルを経て、オペラ・デビューは「トリスタンとイゾルデ」でした。彼の視覚的なイメージ作りはまず装置から始まります。初めにそこに置くひとつの大きなもの−例えば、広場、岩など−を定め、そこから演出を膨らませていったのです。


TN:多くの人が、ポネル氏の作品を古めかしいとか古典的過ぎるなどと誤解していたように思われますが。

GA:おそらくそのような評価は主に批評家たちから出てきたものだと思います。後年彼は、昔気質だのマンネリに陥っているだのという批判を受けていたようですが、そんなことはありません。もちろん批評家の中にも、彼のことを高く評価している人もいました。彼の作品はとてもモダンであり、観客にはとても好かれていました。また、死後再評価されていることはご承知のとおりです。


TN:その後、アサガロフさんご自身はどのようにキャリアを重ねたのでしょう。

GA:デュッセルドルフ時代に、スカルラッティやチマローザなど小規模のオペラを演出しました。モーツァルトの「後宮からの誘拐」は、デュッセルドルフとオランダで演出しました。その後、チューリッヒでポネル氏の「チェネレントラ」公演に携わった際に、チューリッヒオペラのインテンダントであったドレーゼ氏に認められ、1979年にチューリッヒに移りました。当時、ポネル氏もモンテヴェルディとモーツァルトのサイクルでチューリッヒを足場にしているところで、ドレーゼ氏も私がポネル氏のアシスタントをつとめることを望んでくださり、結果的にポネル氏を追うような形でチューリッヒに活動の拠点を移しました。そこで私はモンテヴェルディのいくつかのオペラ、そしてモーツァルトの全作品でポネル氏と仕事をしました。ドレーゼ氏は、私を信頼し任せてくれた最初のディレクターということになりました。
以降、各地の大きな劇場に活動の場が広がりました。


TN:阪さん、あなたの経歴についても詳しく教えてください。

阪哲朗(以下、阪):4才の頃からピアノを習っていました。スポーツでは野球が好きで、ピアノと両立してプレーしていました。高校では野球部に入りましたが、その後合唱部で指揮者になったこともあり野球部を辞め、高校2年、3年は合唱部で活動しました。その合唱部では、ハイドンの「天地創造」やモーツァルトの「レクイエム」などのクラシカルな大曲にも取り組んでいたので、合唱指揮者になりたい、と思う気持ちが徐々に膨らんで、進路選択の時についに音楽を選ぶことになりました。指揮者になると言えば、指揮科に進むのが普通と思われるでしょうが、友人のお父さんが作曲家で、その方に相談したところ、指揮をやるにしても和声や対位法など作曲のことは勉強しなくてはならないだろう、ということで、作曲を学ぶことにしました。ピアノもそれまで以上に専門的に練習をするようになり、京都市立芸術大学の作曲科に入学しました。大学では、作曲をしない作曲家、と周りから言われていましたが(笑)。ユニフォームを来て走り回っているか、学園祭で同級生たちを集めて大河ドラマの曲をアレンジしたものを演奏したり、ミュージカルをやったり・・・ミュージカルでは「アニーよ銃をとれ」「ブリガドーン」「ガイズアンドドールズ」などクラシカルな作品を上演しましたし、4年生の時には「こうもり」をやりました。

TN:オペラとの関わりはその頃から始まっていたのですか。

阪:在学中から関西のオペラ団体の副指揮者や練習ピアニストなどを務めていましたが、そのうち、本場のオペラの様子が見たい、と旅行を兼ねて大学を卒業してすぐにウィーンに行くことにしました。言うまでもなく、コンサートやオペラを数多く鑑賞でき、モーツァルトやベートーヴェンなどの活躍した特別な街であると選んだウィーンですが、当初は3ヶ月の予定でした。そこで二週間ほどの指揮の講習会に参加したのですが、その中で先生からウィーン国立音大を受けてみないか、と誘われ、二つ返事で残りの旅行の予定は全部キャンセルし、そのままドイツ語学校に通い音大に入ってしまったのです。1990年から1992年の2年間、多いときにはひと月に25回も劇場に通って天井桟敷でオペラを鑑賞しました。今回出演するジャコミーニさんのステージも聴くことができましたし、音楽三昧の日々でした。


TN:プロとしての活動を開始したのはどこでしたか?

阪:1992年から1997年は、スイスのビールという町でコレペティトゥアをつとめ、後に第一指揮者になりましたが、そこでは5年間で演目数にして30演目ほど、公演回数にすると200回くらいでしたでしょうか、レパートリーをこなしました。コレペティトゥアは指揮のほかピアノも担当するのですが、オーディションなどがあると40人もの歌手が受けに来て、知らない曲の伴奏も初見でどんどん弾かなければならず、テンポを間違えて弾き始めて音楽監督に苦笑いされたりしていました。普段は、午前、午後と公演の稽古、そして時にそのようなオーディションでピアノを弾いて、夜はオペラの公演を指揮する、そんな生活が5年間続き、ずいぶん鍛えられました。その後、ドイツのブランデンブルクの歌劇場で1年間、第一指揮者をつとめ、1998年からの4年間はベルリン・コーミッシェ・オーパーで専属指揮者をつとめました。ここでも最初のシーズンから12演目を課されました。客席の規模は4倍くらいに大きな劇場になりましたが、スイスでレパートリーにした演目もあったのでその点は幸いでした。そして、現在に至るというわけです。

TN:私もヨーロッパで、この日本人指揮者の活躍の噂を聞きつけ、早速公演を聴きに出かけました。それで、昨年の「ホフマン物語」にお招きしたというわけです。すばらしい新国立劇場デビューでした。「ホフマン物語」の時のエピソードが何かありますか?

阪:実は、とても大変でした。とても個性の強いソリストが揃い踏みで・・・・特に海外からの個性豊かな面々をどうやってまとめようかと苦心しました。初めて共演する人ばかりでしたので、テンポの駆け引きなども、気心がわかるまでは稽古場でもなかなか妥協点が見いだせなかったですね。でも、共通の趣味を通じて、例えばバッティングセンターに一緒に行ったり、短い休憩時間に互いの食事のことを気遣いあったりと、時が経つに連れて信頼感が増していった気がします。本番に向けて良い意味での緊張感が保てましたし、結果としては公演6回が全て上手く行ったのではないかと思っています。今回も、そういう毎日が続くと思うと、楽しみですね。

TN:「カヴァレリア・ルスティカーナ/道化師」はヴェリズモ・オペラの代名詞のような作品ですが、“ヴェリズモ”についておふたりにお伺いします。ヴェリズモ・オペラの特徴、それまでのベルカント・オペラとの違いなどをお話しいただけますか?

阪:音楽的には、ドニゼッティ等のベルカントにおいては、悲痛な場面でも長調のメロディで演奏されたり、その逆もあります。それをミスマッチと捉えるか、時代ものの様式と解釈するかによっても好みが分かれるでしょうが、声が優先されることは確かで、特に装飾を駆使したカデンツァの場面などでは、演劇性からしばし離れることがあります。もう死にそうで息も絶え絶えなのにすくっと起きあがってまた歌っていたりしますしね。一方、ヴェリズモのオペラでは事切れてしまえばそこまで、もう音楽的に参加することはないので、そのあたりの比較も面白いのではないでしょうか。

GA:私もよく、この質問を受けます。阪さんもおっしゃいましたが、ベルカントでは、ソリストのカデンツァの場面など、時には演技を緩めて歌いやすくするなど、あくまで音楽の流れに従って進行することが多いのです。ヴェリズモ・オペラはもっと肉厚ですね。ドラマにすぐに入り込むことができます。台本でいえば、ベルカントのものは歴史的な題材が多いですが、ヴェリズモはもっと実生活に近く生々しい感じです。ベルカント・オペラでは合唱はどちらかというと“コメント”を述べる役回りが多いですが、ヴェリズモ・オペラではもっと生き生きと、本人たちも演技の面でも面白いのではないでしょうか。叫び声も、ベルカントだとカデンツァと化してしまいますが、ヴェリズモにおける叫びは真実味を帯び、聞く者の心をダイレクトに揺さぶるものとなります。
作曲家でいえば、ヴェルディとワーグナーですね。ヴェルディなくしてはベルカントからヴェリズモへの移行はなかったでしょうし、ワーグナーもヴェリズモに大きな影響を与えていると思います。

TN:ヴェルディ「マクベス」では、ベルカントからヴェリズモへの移行の過程が見受けられますので、マクベスとマクベス夫人役にはその歌唱法の変化についても稽古がたくさん必要と言われる所以ですね。さて、「カヴァレリア・ルスティカーナ」ではナイフで決闘するシーンがクライマックスですね。ヴェリズモでは、それまでの形式的な闘いではなく、心の底からの憎しみや怒りによる殺人が起こります。この復讐劇について、当時の南イタリアの社会風習にも関わることかもしれませんが、おうかがいします。

GA:「カヴァレリア・ルスティカーナ」のサントゥッツァは、トゥリッドゥを愛し彼の子どもを身ごもりますが、彼はすでに別の男と結婚してしまった昔の恋人ローラとよりを戻します。サントゥッツァは祈ったり土下座したりあらゆる手だてを使ってトゥリッドゥを取り戻そうとしますが、冷たく突き放され、心に復讐の念がわき上がります。敬虔なカトリック教義の根付くイタリアの小村においては、未婚の女性が妊娠することは罪で、社会から後ろ指をさされます。ですから、何とかして恋人を取り戻そうと必死になり、叶わないとあれば仕返しも辞さないということになります。サントゥッツァも、アルフィオに彼の妻の不倫を漏らしてしまいます。すぐに後悔しますが後の祭りです。それが、二人の男性を決闘へ導いてしまいます。こういう場合、普通なら家族単位で血の復讐劇が繰り広げられるのですが、サントゥッツァは天涯孤独ですから、自分一人でその復讐を遂げなければならないというストーリー展開になっているわけです。

TN:ヨーロッパ文化では先祖代々に渡っての“復讐”という概念がありました。一族の不名誉とか恥に対して、殺された子孫が代々復讐をしていくのですが、100年単位で続くこともあります。

GA:北イタリアにはなく、シチリアとか南イタリア特有の概念ですね。


TN:「カヴァレリア・ルスティカーナ」「道化師」両作品に共通する音楽的な特徴として、間奏曲が挿入されていることが挙げられます。これらの間奏曲はどのような特徴がありますか?

阪:どちらも1時間10分ほどのオペラで、1幕もの、2幕ものという違いはありますが、いずれも激しいフィナーレに向かう前に、静かな音楽で少しほっとするためにあるのでしょうか(笑)。確かに、1時間余りのうちにこれだけたくさんのことが起こると、息つく間もないですから。
ところが、この2作品を比べるとずいぶん様子が違います。ヴェリズモは、反ロマン主義から発生していると言われることがありますが、この2作品で言うと「カヴァレリア・ルスティカーナ」が先に書かれています。ワーグナーが確立したライトモチーフ(登場人物を旋律や和声で示す、示導動機)の手法は、「カヴァレリア」ではあまり使われていません。とてもシンフォニックで、演奏会形式で上演される機会も多いですね。また、全体の4分の1は占めるのではないかというくらい合唱が活躍する場面が多く、それも特徴です。一方、「道化師」はあの楽器、この楽器と変化をつけたオーケストレーションがとても凝っているのと、あいまいではありますがライトモチーフが取り入れられていますし、より技巧的でもある。その点、やはり「カヴァレリア」が先に書かれたというのは合点がいきますし、「カヴァレリア」がなかったら果たして「道化師」があったのかどうか、などと想像をめぐらせるのも楽しいですね。
もっともヴェリズモ・オペラの時代は非常に短く、マスカーニ、レオンカヴァッロいずれも、この出世作を超える作品はついに生み出すことはできなかったのです。
そもそもこの両作品での2本立ては指揮者のトスカニーニが始めたということですが、この組み合わせの妙味は、他のオペラにはない不思議な運命を感じます。ただ、それぞれ短いとはいえ非常に濃いオペラが2本ぶんなので、スタッフ一同大変です(笑)。


TN:今回の演出の時代設定は、現代に近づけられていますね。

GA:今回は、イタリア人の装置・衣裳デザイナー、ルイジ・ペーレゴに、両演目に共通する装置として、イタリアのテイストを様式化して作ってもらっています。衣裳の面では、本来の設定である1860年代や
1880年代ではなく1950年代のデザインとなっています。作曲家のレオンカヴァッロはまだ少年だった1865年10月15日、サーカスを見にいった時に実際に目撃した事件をもとに、この作品を書いています。ヴェリズモは、どの時代にも起きうる事件として、時、場所を問わない性質のものだと思うのです。


TN:両作品の登場人物の中で、特に興味のあるキャラクターを挙げるとしたら誰でしょう。

阪:登場人物の誰、というよりは、旅回りの一座の存在に関心を持っています。「道化師」の中でも即興劇(コメディア・デラルテ)が始まり、最後には日常生活と劇との見境がつかなくなって殺人まで犯してしまうところまで追いつめられます。道化師というのは、自分の感情を押し殺し、どんなときにも顔は笑っている、そんな悲しい役回りです。道化師や旅回りの役者たちの心情はヴェリズモの音楽でどのように描かれているのか、そして彼らの心の移り変わりはどのようなものなのか、そこに興味があります。

GA:まず、「カヴァレリア・ルスティカーナ」のサントゥッツァ、歌はもちろん、芝居の面でも非常に重要な人物です。今回は、歌を歌わないシーンでも登場させて演技してもらおうかと思っています。そして、「道化師」ではカニオとトニオでしょう。シルヴィオも脇に回りがちですがカニオやトニオとは違うタイプで面白いキャラクターですし、ネッダも決して共感を持てる女性ではないですが、現代的な振る舞いをするという意味では今の世の中にも通じるものがあります。でもやはりカニオとトニオですね。カニオが悲劇の主人公というのは誰が見ても明らかですが、私に言わせれば、トニオも同じくらい悲劇的でドラマチックな役回りなのです。作曲家は、このオペラの幕開けをトニオに任せています。そして、最後の口上、「芝居はこれで終わりです」を誰が歌うか、というのは昔から議論の的でした。今ではカニオが歌うことが多いようですが、楽譜上ではトニオ、と指定されています。レオンカヴァッロの時代には、どちらが歌うのかは決まっていなかったと聞いたことがあります。実際、今回の公演ではどちらに歌ってもらうのか、今の時点ではまだ決めておりません!

TN:興味深いお話をたくさん、ありがとうございました。最後のフレーズを誰が歌うのか、皆様もどうぞお楽しみに!!


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