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イベントレポート:BTL『エンターテイナー』× 新国立劇場『怒りをこめてふり返れ』

ブラナー・シアター・ライブ『エンターテイナー』× 新国立劇場『怒りをこめてふり返れ』
~翻訳家水谷八也さん<ジョン・オズボーン>を語る~ イベントレポート


去る、1月7日(土)。池袋の映画館"シネ・リーブル池袋"にて、ブラナー・シアター・ライブ『エンターテイナー』のアンコール上映と、終映後にトークイベントが行われました。『エンターテイナー』は1957年にイギリスで初演された戯曲で、7月に新国立劇場が上演する『怒りをこめてふり返れ』と同じ劇作家ジョン・オズボーンの代表作です。

ケネス・ブラナー・シアター・カンパニーでは昨年イギリスで上演し、その収録内容がシアター・ライブとして映画館で上映されています。本イベントでは、『怒りをこめてふり返れ』の翻訳を手掛けている英米文学研究者・翻訳家の水谷八也氏をゲストトーカーに迎え、両作品の共通点やジョン・オズボーンの背景に迫っています。

聞き手:大堀久美子(編集者、ライター)



『エンターテイナー』の時代はイギリスがダメになって行く時代

大堀:本日は、ブラナー・シアター・ライブ『エンターテイナー』にご来場いただきまして誠にありがとうございます。映画をご鑑賞いただいたうえで、作品の魅力をさらに深く知っていただくため、時代背景について専門家にお話を伺おうということで、今日のトークイベントを開催する運びとなりました。 ゲストにお迎えいたしましたのは、英米文学研究者、そして翻訳家としても活躍していらっしゃる水谷八也先生です。

英米文学研究者・翻訳家の水谷八也氏


大堀:
では、早速お話を伺わせていただきます。今日ご来場の方でブラナー・シアター・ライブの他の作品もご覧になっている方は・・・半分以上いらっしゃいますね。皆さん熱心にご覧になってらっしゃることと思いますが、他2作品はシェイクスピアの作品で(※他のラインアップは『冬物語』『ロミオとジュリエット』)、かなりテイストが違うと思います。まず、ケネス・ブラナーはどうしてこの作品を選んだのかに興味が募ります。水谷:水谷です。よろしくお願いいたします。

水谷:この作品は去年イギリスで上演されたわけですが、去年の時点で、ケネス・ブラナーがどうしてこの作品を選んだのかはとても興味深いですよね。また、今、日本で上映されている意味も考えてみるとさらに興味が深まります。


大堀:作品の時代背景・テーマが働きかけるものが大きかったのでしょうか?

水谷:『エンターテイナー』は初演が1957年で、作品の中でも描かれていますが、その前年、1956年にスエズ動乱、第二次中東戦争があって、イギリス、フランス、イスラエルがシナイ半島を侵攻するわけですが、思惑通りに事は進まず、結局イギリスはスエズ運河を失うことになります。これはヨーロッパによる植民地主義時代の終焉を決定的にした出来事なんですが、ちょうどその頃、オズボーンは『エンターテイナー』を書いていたわけで、ダメになって行くイギリスがそのまま作品に出ていると思います。

大堀:大英帝国の斜陽が50年代半ばから明確に見えてくることと、現在のイギリスが重なるということですね。

水谷:そうですね。去年は、ご存知のようにイギリスがEUを離脱した年でもありました。よく言われていることですが、離脱が決まった後でGoogleでの"EU"の検索がすごく増えた。皆、EUがなんだかよくよくわかってないうちに決まってしまったということなんです。これからイギリスはどこへ向かうのか、全く不透明で見通せないこの"わからなさ"が、50年代半ばのスエズ動乱後、「イギリスがどうなっていくのかわからない」という時代と、似た空気があったのではないかと思います。 翻ってみると今の日本だけでなく、世界の動きに関しても同じことが言えるので、こういった作品を今観ることができるのは、とても意味のあることだと思います。



作家、ジョン・オズボーンのバックグラウンド

大堀:イギリスという国のある時代を切り取る手つきも含め、社会性の高いモチーフで作劇をしているのですね。そんな、ジョン・オズボーンという作家のバックグラウンドについてもお話しいただけますか?

水谷:イギリスは階級がかなり明確にありますが、彼はいわゆる労働者階級の出身です。それまでのイギリスの演劇というのは、「客間劇」と呼ばれる上流階級の人々の世界を描く商業的なお芝居が主流でした。ノエル・カワードとかテレンス・ラティガンとかの芝居がそうですね(※新国立劇場では2015年にテレンス・ラティガンの『ウィンズロウ・ボーイ』を上演した)。裕福で生活感のない人たちのお上品な話といえます。オズボーンはそういう世界とは全く無縁の労働者階級の若者を主人公としたお芝居を書いた。56年の『怒りをこめてふり返れ』と57年の『エンターテイナー』は、それまでのイギリスのお芝居とは、使っている言葉からして全く違うんですね。

大堀:『エンターテイナー』も、冒頭から人種差別的なセリフで始まりますね。

水谷:そう!"Bloody Poles and Irish!"って、「あのくそったれのポーランド野郎にアイルランド人め!」で始まるんです。こんなセリフで始めるなんて、これはもう意図的ですよね。お上品な世界しか扱ってこなかった演劇界に労働者階級のリアルな生々しく荒々しい言葉で切り込んでいったという感じでしょうか。オズボーンが労働者階級を背負っていたということですよね。それまで若い人たちのお芝居が全くないわけではなかったんですが、当時のイギリスの演劇界を変えるほど強烈なものはなかった。だからオズボーンの出現で大きな風穴があいて、若い人たちの現実が舞台とつながったという爽快感はあったと思います。 オズボーンは何に"怒って"いるのか?



大堀:先生は学生時代にジミー(※『怒りをこめてふり返れ』の主人公)を演じたことがおありだとか・・・

水谷:そこに話が来ますか(笑)

大堀:ちょっとだけお願いします。

水谷:大学3年の時、友人にだまされてやることになってしまったんです。今から考えるとよくあのセリフ量を覚えたなと思いますね。当時は生意気だし、よくわかんないままでやっていたと思いますよ。 『怒りをこめてふり返れ』をちょっとだけ説明すると・・・ジミー・ポーターとアリソンという夫婦があるアパートの屋根裏部屋に暮らしていて、クリフという友人も別の部屋だけど共同生活を送っている。アリソンは中産階級出身で、ジミーは労働者階級出身なんです。このお芝居では、ジミーが・・・上演時間3時間くらいになるのかな?この間中ずっと中産階級出身のアリソンを罵るんです。罵るといってもDVみたいなんじゃなくて、「生き方」「愛の問題」をめぐって、アリソンを通して中産階級に怒りをぶつけまくる。 ここには階級が生み出す世界観の差が確実にあります。『エンターテイナー』では階級問題はあんまり出てきませんでしたが、彼らも上流階級の家庭でないことは明らかですよね。



怒れる若者たちと市井への愛

水谷八也氏と大堀久美子氏(編集者、ライター)

大堀:若者が上の世代に不満を持つということは、人間が生きている限り普遍的に繰り返されること。それらを代弁する熱がオズボーンの作品にはあるからこそ、作品が繰り返し上演されているのでしょう。

水谷:『怒りをこめてふり返れ』は、タイトルからも分かる通り若い人たちの従来の体制に対しての不平不満、反発のエネルギーに満ちてます。50年代のイギリスも、現代の日本もそうだと思うのですが、一部の若者が行動に出ても、全体としては何か停滞している。『エンターテイナー』でも、ジーンがスエズ動乱に関する政府の対応に抗議する集会に行きますが、次男が戦地に送られているんだけど、家族はむしろ嘆くだけで、抗議活動には眉をひそめる。そういうよどんだ空気に対してオズボーンは苛立ちを感じている。 ただオズボーンはそういう無気力感とか古い体制を罵りながら、何か新しい基準というか、「生」の基盤を求めていて、それを彼は「貧しさ」「弱者」の中に見ようとしているように思えます。 たとえば『エンターテイナー』だと、娘のジーンは最後の場面で、上昇志向のあるフィアンセのもとへは走らず、無教養で貧しく、飲んだくれの継母のもとに残る。『怒りをこめてふり返れ』だと、ジミーが友人だったヒューのお母さん、やはり貧しくて無教養な人なんだけど、この人をとても大切にする。オズボーンは彼女たちの「生」の中に、動かせない重大な価値基準を見ようとしているような気がします。



大堀:彼らにとっての「救い」のようなものを、市井の人々の中に見出だすということでしょうか?

水谷:そうですね、ジミーやジーンが貧しい人に寄り添っているということは、オズボーンがそういうところに答えを探し出そうとしているんだと思います。

大堀:民衆の無知に対し苛立ちや怒りを持ちながら、オズボーンはその中に身を置き続けようというある種の覚悟を持ち、同時にそれらに価値も見出だしている、と。

水谷:オズボーンはすごい複雑な人間だと思うんです。ここに『エンターテイナー』の原書があるんですけど、その冒頭の覚書の中でこんなことを書いています。 ミュージックホールは、今、死にかけている、それと共に、イギリスの重要な部分も。 イギリスの心のある部分はすでに消えてしまった、かつてはみんなの心にあったものが。 なぜならミュージックホールは民衆の芸術だったのだから。 廃れ行くものの中に本当に重要だったものもあって、多分それはミュージックホールの客席と舞台の親密な関係とか、下から上をやっつけるという目線だったりすると思うんですが、オズボーンはそういう部分にものすごく関心を寄せていた一方で、古い世界観を壊そうともしていた。なんだけど、結局その古い体制の中に自分が信頼できるものも埋もれているという、相反するものが共存していたというところがあると思うんです。 上流階級が重要なポジションを占めている国、体制に抗っていくという意味では、どんどん古いものを否定していくんだけど、ミュージックホールとか普通の女性とかに救いを求めるところが、非常に複雑なところですね。



お酒がないと怒れない?

水谷:戯曲を読んでるときはよく分からなくて、映像観て初めて知ったんだけど、あんなにお酒飲んでると思ってなかった。僕は下戸なので、映像観ているだけで酔いそうになりました(笑)。

大堀:セリフが酔いに任せたものであったと。

水谷:怒っているときってそうだと思うんだけど、論理立てて怒らないじゃないですか。様々な方向に怒りが出てくるんだけど、それはもう花火みたい。それを論理でもってわかろうとするとダメだと思う。 お芝居って、特にこういう現代劇ってそうだと思うんですが、答というよりも、疑問をお客さんに提示するものだと思うんです。その疑問って、普通の生活の中にもありながら、日常の中では見えにくくなっているものなんですね。オズボーンがやったことは、50年代の演劇の中で、その前までは普通に恋愛の話を楽しんでいたりしているところに、その裏や底辺に潜んでいる普段は見えていないような問題を提示したことです。ここに現代演劇のおもしろさがあるんだと思います。 今日のお客様が、映画好きなのか演劇好きなのか、あるいは年配の方が多いのか、若い方が多いのか分からないですが、そんな現代演劇のおもしろさを感じにぜひ7月の『怒りをこめてふり返れ』を観にいらしてください。

大堀:先生、わりと露骨ですね(笑)。

水谷:オズボーンの芝居は、若い人たちがいる限り成立する芝居だと思うんです。若い人にとっては、読めば必ず響くものがある。

大堀:映画もそうかもしれませんが、観劇後の食事などでお客様同士観た作品の話をしますよね。その議論まで含めて、作品を観たことが完結するのですよね。

水谷:古典てそういうものだと思うんだけど、こちらの心の中をトントンとノックしてくれるような感じがあって。それが古典の強さですよね。それがないものは残らないと思います。



ローレンス・オリヴィエとケネス・ブラナーの関係......

大堀:最後に、『怒りをこめて振り返れ』に関する飛び切りの誕生秘話があると伺ったのですが、そちらも伺えますか?

水谷:そうですね。『怒りをこめてふり返れ』の初演の時、シェイクスピア役者の大御所、ローレンス・オリヴィエが観に来たんですね。もう国宝級の役者ですよ。その彼が初めて『怒り』を見たとき、そんなにすごい芝居だとは思わなかった。でもそのあと、アメリカの劇作家アーサー・ミラーと、当時の奥さんのマリリン・モンローが観に来た時に誘われてもう一回観に行ったら、オズボーンがやろうと必死になっていることに大きな可能性を感じて、楽屋に行って「自分のために一本書いて欲しい」と申し出るんですね。そして出来上がったのが『エンターテイナー』だったわけです。国宝級の人が、出てきたばっかりの生意気な若造の書いた芝居を、しかも落ちぶれていくイギリスを丸々体現しているような人物を喜々としてやるというのがすごい話ですよね。

大堀:自身も俳優だけでなく、クリエイターだったオリヴィエを動かしたのですね。

水谷:そうですよね。オリヴィエも新しいものを求めていた。

大堀:ケネス・ブラナーも同じタイプですよね。自分自身で古典の中に新たな表現を探し、創作・上演する人物という点では。

水谷:そうですね。ケネスもどっかでオリヴィエを追いかけている、意識している部分はあると思いますよ。

大堀:それをうかがうと、ブラナー・シアター・シリーズの見え方もまた変わってくる気がします。

水谷:7月の『怒りをこめてふり返れ』は、まだ稽古も始まってなくてどういうものになるか分かりませんが、怒りを忘れたような日本で上演する価値はあるし、絶対面白いと思いますので、ぜひみなさん、お越しください。



新国立劇場演劇『怒りをこめてふり返れ』 公演概要  

会場:新国立劇場 小劇場

公演日程:2017年7月12日(水)~30日(日)

作:ジョン・オズボーン 

翻訳:水谷八也 

演出:千葉哲也

出演:中村倫也 中村ゆり 浅利陽介 三津谷葉子 真那胡敬二

一般発売日:4月22日(土)

料金:A席6,480円、B席3,240円  

ストーリー: 英国中部の大都会の屋根裏部屋。貧しい下層階級に生まれたジミーは、妻アリソンと友人クリフとの奇妙な三人の共同生活を続けていた。

ジミーは、政治、宗教や、あらゆる旧世代の価値観に激しい怒りをぶちまけている。ある日、アリソンの友人ヘレナが部屋を訪れるが、アリソンが怒りの矛先となっているのを見かね手を差し伸べるが......。