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『月・こうこう,風・そうそう』劇作家・別役実インタビュー 

 

 

 

静謐にして鋭い言語感覚、大胆な批評精神で日本の現代演劇を切り拓いてきた劇作家、別役実が新国立劇場に初めて書き下ろす『月・こうこう,風・そうそう』。 「竹取物語」の根底に隠された人間の本質、心象とは─。執筆中の別役が語る構想は、宇宙にも繫がる広大なスケールを持った舞台を想像させ、私たちの胸を騒がせる。

 

 

インタビュアー◎ 鈴木理映子 (演劇ライター)

 

 

<新国立劇場・情報誌 ジ・アトレ 5月号掲載>

かぐや姫の物語の
(なま)の部分を感じ取ってもらいたい

別役 実(作)

――別役さんが今回の新作で、竹取物語を題材に選ばれたのはなぜでしょう。

 

別役 僕、『不思議の国のアリス』(『〈不思議の国のアリス〉の帽子屋さんのお茶の会』)だとか『赤ずきんちゃん』(『赤ずきんちゃんの森の狼たちのクリスマス』)なんかの世界の名作を子ども用の芝居に置き換えたものをだいぶやってきたんですよね。それで今度は、日本の童話をぜひやりたいと思ったんです。竹取物語を題材にしたものには、加藤道夫の『なよたけ』(註: 青年貴族と娘の幻想的な愛の物語)があるけど、それとは違う視点の、裏の話ができるんじゃないかという感じがあって。というのも、かぐや姫は月の世界から追放されているわけです。つまり、あちらの世界で彼女を追放するに至る事情があり、その後、人間の世界での物語が始まり、ある日、許されて月に帰っていく。折口信夫も竹取物語には何か前篇があると言っているけども、現在伝承されている話以前の、月の世界で生じた物語を見つけ出せれば、竹取物語がより鮮やかに蘇ると思うんです。

 

 

――確かに竹取物語は「理由」や「目的」が分かりづらい話かもしれません。なぜかぐや姫はおじいさんとおばあさんの元に現れ、また去っていくのか。花婿候補として登場する貴族たちへの対応にも不可解なところがありますし。

 

別役 五人の結婚候補者の宝物探しの物語みたいになってますよね。そこにも何か、単なるはぐらかしのとんち話というだけではない秘密がある気がします。そもそも竹の中から現れた時にお金もいっぱい出てきたとか、すぐに大きくなるとか、何か得体の知れない事情を正当化する動きがあるんじゃないか。

 

 

――竹取物語の発祥について、なにか民俗学的な定説はあるんでしょうか。


別役 ないですね。だから想像していく。もといた世界から放逐され、またそこに戻らされるという、あの縛られ方からすると、単なる罪というよりは、近親相姦とか、何かオイディプス的な罪を犯したのかなという予想はできます。岩見重太郎のヒヒ退治の伝説ってありますよね。人身御供にされる女の子の代わりに、女に化けてヒヒを待ち伏せする。かぐや姫伝説と、あの村の中での少女のあり方にシンボライズされている残虐性とは、何か相通じるものがある気がするんです。それで、今度の戯曲でもこの話を少し使っています。そういう民俗的な物語の中にある潜在的な記憶を探り出し、形にしてみたいんですね。

 

 

――民話やおとぎ話が本来持っていた残酷さ、猥雑さは、時と共にともすれば隠され、よりマイルドなものとして伝承されることも多いようですから......。


別役 そうなんです。教育的な意味を加えてみたりしてね。ただ、かぐや姫の物語はどうも変えようがなかったのか、どこに芯があったのか分からないままになっているところが面白い。僕はね、かぐや姫の「お刺身」の部分をちらっと感じ取ってもらいたい。お話の中のおひなさま、人形みたいなかぐや姫じゃなくて、生の部分に触れてもらえれば、今度の芝居に蘇らせる意味もあるんじゃないか。竹取物語は世界で最古の説話だし、日本の財産ですしね。

 

 

連続しない日常と非日常をどう繫ぐか演出家に期待します。

 

 

――別役さんは、小説というかたちでも、国内外の童話を元にした作品を発表されています。


別役 童話の良さ、面白さは、わずかに匂う残酷さ、ちらちらと覗く人間の冷たい部分を生で感じられるところです。日本では太宰治さんも、若干、茶化し気味ではあるけれど、そうした要素を拾い出して書いていますよね。ただ、同じような題材でも、小説で書くのと戯曲で書くのとでは、戯曲の方がはるかに大変だなと感じます。小説は自分の考えるままに自然に書いていくことができますが、戯曲はもっと細工を必要とするんですね。だからくたびれる。

 

 

――演出家や俳優という、コントロールしきれない要素も入ってきますから。彼らがうまく動けるように、いろいろなドアや通路も用意しなくてはいけないということですね。


別役 そう。ただ、七十過ぎて「これは共同作業なんだ」と身体が覚えてくると、わりと楽になりました。「ここは演出家にまかせよう」「ここは役者にまかせよう」と思えるようになった。もちろん、「ここはこうしてもらわなくちゃ困る」っていうような想いが強いこともあります。それでも、演出家や俳優との交流のなかで、それが本当に大事なことか、なんとなく意地を張っているだけなのかが自分でも分かってくるし、その方が妥協案もつくりやすいですね。こういうことは、本当はもっと前に分かんなきゃいけなかったんだろうけど、わりとがむしゃらに個性を出そうと我を張った時期が長かったんです。

 

 

宮田慶子(演出・演劇芸術監督)

――今作の演出を担う宮田慶子さんとは、初めての顔合わせとなります。


別役 宮田さんとは尼崎市がやっている「近松賞」という戯曲賞の選考委員でご一緒しました。僕とはだいぶ肌が違う感じがありますけど、だから面白くなるんじゃないかな。前はわりと慣れた演出家と組む傾向が強かったんですけど、このごろは「え、そうやんの?」っていうことがあった方が刺激になるなと思うようになりました。

 

 

――今回の舞台について、なにか具体的なイメージを持っている場面などはありますか。


別役 それほどないですね。ただ、日本の竹林には独特の風景があるし、竹取物語というと、だいたい、障子があって、そこに笹の葉とかぐや姫が映っているっていう典型的なイメージがありますよね。そういうものは戯曲にも利用していきたいなとは思っています。とはいえ、舞台に障子を建て込んだりするのは煩わしいですから、そうした要素をどう美術的に舞台に定着させるかは、宮田さんと美術家の方の手腕にお任せします。

 

 

――宮田さんは、別役さんの作品によく登場する電信柱と今回の竹に共通するものを感じておられるようでした。宇宙に向かって垂直に伸びる線が何本もあるような。


別役 そうですね。まさに電信柱のように利用したいんだけど、一本だけじゃ面白くないなと思ったんです。僕はね、宇宙の中に竹がビッシリ埋まってる空間がある、そんな感じになるといいなと思います。舞台全体にざーっと植え付けられているんじゃなくて、上手、下手にある程度空間があって、それで竹林もある。竹林だけが独立したフォルムに見えるといいですね。

 

 

――劇場の闇にぽっかり浮かび上がるような竹林ですか。昔からある民話と宇宙とがつながり、人間の小さな営みを映し出すような、奥行きのある作品になりそうです。


別役 僕も期待しています。特に今度は穴や隙き間がだいぶある本になると思いますから。かぐや姫が題材になっているだけに、日常と非日常の間が連続しない。そこをどう繫いでいくか。これはまさに、演出家にお任せしたいところです。

 

 

 

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<公演詳細>

月・こうこう,風・そうそう

2016年7月13日(水)~31日(日)

チケット好評発売中