2013年12月17日
岡本健一 紙面インタビュー
第二次世界大戦後の西ドイツを舞台に、戦争で勢力を増した実業家の父親と、戦争体験のトラウマから自室に引き籠もり続けた青年の対決を描いた、サルトルの『アルトナの幽閉者』。
戦争が社会や個人に残した爪痕、その責任の行方、さらには家族内の愛憎までが加わり、複雑に織りなされた戯曲に、俳優たちはいかに向き合うのだろう。
リアルな感情を伝えられれば、
言葉の洪水も楽しんでいただけるはず
岡本健一
十代の頃はよく、哲学書や精神世界について書かれた本を読み漁っていて、サルトルも読んではいたんですが、戯曲を書いていたことまでは知りませんでした。実際に読んでみると、一つの物事に対して、まるで万華鏡のように、たくさんの表現や捉え方が出てきて。さすが歴史に残る作家だなと改めて気がつかされました。フランツと妹との近親相姦的な関係にもドキドキさせられるし、部屋から出て父親と対面する場面のやりとりもスリリング。だから、一つひとつの言葉の意味や文脈を読み解いて「正解はこうだ」と考えるよりも、怖かったり悲しかったり、ちょっと性的なものを感じ取ったり……その一瞬一瞬で自分が感じたことをそのまま、客席に伝えられればいいのかなと思います。
フランツは大変な経験をし、精神的なバランスを失っている人物ですが、言っていることは案外まともで、全くの狂人というふうには思えません。ユダヤ人たちを助けたかったという思い、その正当性が現実に太刀打ちできなくなってしまったこと、そこから生まれる良心の呵責が、彼を表に出られなくしてしまったんじゃないのかな。そういう意味では、この物語が始まるまでに彼に何があったのか……自分なりにそれをさかのぼり、身体にしみ込ませておくことも重要な作業になりそうです。
もちろん、僕が作り込んだところで、すべてが伝わるわけではないし、何がいちばん痛烈な印象を残すのかはお客さんそれぞれの感じ方によっても違ってくる。ただ、僕自身は、舞台をやるなら、目の見えない人や耳の聞こえない人にも伝わるような芝居をしたいと常々思っているんですよね。これは外国人の演出家と仕事をして学んだことですけど、どんなに台詞回しを工夫したり、表情を変えても真実を持っていなければダメ。逆に、一つひとつの台詞、対話から生まれてくる感情を大事にしていれば、言語の壁なんてなんでもないんです。だから、稽古場で生まれるリアルな感情を、たとえば見えない人には声だけでも、聞こえない人には姿からだけでも伝えられるようにできれば、この膨大な言葉の洪水も楽しんでいただけるんじゃないでしょうか。
『ヘンリー六世』しかり『リチャード三世』しかり、新国立劇場では、学ぶことの多い、知識としても身になる作品ばかりやらせていただいています。自分が演出する場合もそうですが、優れた作家の作品って、やっぱり勉強になるし、楽しい。それこそ、若い頃には背伸びして、メジャーな仕事をやればやるほど、アンダーグラウンド的な匂いのするものや古いものに憧れて、「映画は50年代以前のものじゃないと」なんてよく言っていたものですけど、今ようやく当時の思いに通じる作品に向き合うことができているのかもしれません。そう考えると僕は幸せですよね。この幸運にはちゃんと応えないと。