つう・与ひょうが語る『夕鶴』の魅力(腰越満美・鈴木准)


つう役、与ひょう役を演じる日本を代表する歌手たち、それぞれが感じる『夕鶴』。

今回は7月2日公演に出演する腰越満美、鈴木准のインタビューをご紹介します。

インタビュアー◎ 柴辻純子 (音楽評論家)

<ジ・アトレ4月号より>


腰越満美


つうが鶴であることを
表情や動きでどのように表現するか、いつも悩みます

 つうは、すごく純粋で、疑うことを知りません。「私の大事な与ひょう」というアリアは、つうの純粋な心を歌った曲です。心情的にはとても歌いやすく、感情移入しやすいのですが、歌のテクニックとしては難しい曲です。声はリリックですが少し重め。最後の「わたしは、どうすればいいの?」までドラマティックな声を残さなければいけないので、エネルギーの配分が難しいですね。台詞であれば言いやすいかもしれないですけど、音域も中音域の下から高音域まで幅があります。

 つうは、人間ではなく鶴の化身です。印象的なのは、与ひょうがお金儲けの話をするとつうが「お金って何のことか私にはわからない」という場面です。普通はそんなこと言いませんよね。これがつうの本当の姿、人間にはない部分で、このところをどのように表現しようかといつも悩みます。本当は鶴なんだとわかるように、目とか表情とか手の動きを人間ではない、でも不自然に見えない演技をして、動物の純粋さや本能的な部分が出せればと思っています。

 栗山民也さんの演出は、最後まで集中を切らさない、洗練された、研ぎ澄まされた美しい舞台です。シンプルゆえに、演じる方は、手の動きや身体や顔の傾きで心情を表現しなければなりません。私自身も、想像をふくらませてお芝居しています。特に所作については意識していて、着物を着て動くことは現代の日本人からかけ離れた世界のものになってしまいましたが、違和感なく観ていただけるように演じたいです。みなさんよくご存じの内容なので、そのイメージを崩さないように、オペラを通じて日本の原風景や懐かしさ、日本らしさを思い出していただけたらと思っています。



鈴木 准


「つう、つう」と呼んだあとの
美しい後奏にはきっと特別な意味があるはず

 与ひょう役は今回が初めてですが、錚々たる先輩方が歌われ、歌い継がれてきた役ですので、大事なバトンをいただいたなと思っています。初めてこのオペラを聴いたのは藝大の学生時代で、「こんなオペラがあるのか」と衝撃を受けた記憶があります。

 日本語のオペラは、新国立劇場ではこれまで、『沈黙』と『鹿鳴館』に出演させていただきました。日本人だからこそ、日本語を歌うことを大事にしなければならないと思っています。字幕を通さずとも言葉をお客様に直接届けることができる喜びも大きいですね。『夕鶴』は、日本語が美しく聴こえるように書かれているので、気持ちよく歌えると思います。単語が間延びしないように、良い声の響きと言葉の両立を考えていきたいです。

 与ひょうは、純粋さゆえにつうに慕われます。ただ私としては、幼馴染だったら許せるけど、大人になって出会ったらちょっと面倒くさいかな(笑)。つうと2人きりで過ごしてたまに子供たちが遊びに来て、歌を歌って、野良仕事をして......。与ひょうは、自分が置かれている幸せな状況がわからなくて破綻します。つうは「私だけを見て」と言いますが、好奇心が引き金になって他に目がいってしまう。それが人間ですよね。最後は、与ひょうが「つう、つう」と二度呼んで、美しい後奏があって幕が下りますが、そこの音には特別な意味があるのではないかと考えています。もしかしたら、2人の貴重な時間を表現しているのかもしれません。その悲しい別れに向かって音楽的につながる部分や、どこかで予感があると思うので、じっくり作品に向き合ってゆく所存です。どこまで表現できるかは、ぜひ舞台をご覧いただければと思います。




 オペラ『夕鶴』公演情報はこちら