【特別コラム】ドイツ演劇界の鬼才、クリーゲンブルク演出 オペラ「ヴォツェック」の衝撃


text by 伊達なつめ(演劇ジャーナリスト)



 「ベルクの音楽のせいでしょう、主人公にかかる重圧は、戯曲よりオペラの方が、さらに大きく複雑であるように感じます」
と、クリーゲンブルクは語る。 ビューヒナーの戯曲『ヴォイツェク』(演劇)をベルリンで演出し、高い評価を得たのは、まだ28歳だった1991年のこと。このとき「王様や皇帝など権力を持つ側より、すべてを奪われた立場の人間を描く方が、遙かに政治的に深い内容を表現できる」ということを学んだそうだ。2013年秋に新国立劇場で手がけた『リゴレット』とも共通するが、特別なことを望んでいるわけではない一庶民が、いつのまにか社会にはびこる暴力や悪意の渦に巻き込まれ、自らその歯車の一部になってしまうというストーリーに、強く惹かれるという。ビューヒナーとの対峙を経てベルクのオペラ版に出会い、作品への理解がより深められた結果が、ミュンヘンと東京双方で絶賛された『ヴォツェック』初演(東京は2009年)、ということになるだろう。

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 人が歩くたびにピシャピシャと水が音をたて飛沫を上げる床と、宙に浮かんでかすかに揺れる、ヴォツェックの家。閉塞感に押し潰され、不安定極まりない状況に置かれた主人公の心象を、見事にビジュアル化した美術は圧巻だ。クリーゲンブルクは、
「水を使ったのは、ひとつはヴォツェックの生きている世界が、つねにぬかるみ湿っていて、非常に居心地の悪い環境にあるということ。もうひとつは、とても複雑なベルクの音楽と、ピシャピシャと跳ねる自然でシンプルな水の音が混在している状態のおもしろさ。この2つの効果を狙ったものです」
と、さまざまな想像を喚起させ評判になった"水"の演出意図を聞かせてくれた。

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 大胆で動きのある大掛かりな装置や、登場人物たちの独特な風貌と身体表現は、クリーゲンブルク演出に顕著な特徴のひとつ。実はこの視覚重視の基底にあるのは、社会主義体制下の旧東ドイツに生まれ育ったことで身に付いた、語意通りに人の言説を受け取ることへの疑念だという。他者から発せられる情報については、つねに言外の意味を推し量ったうえで判断し、自分が発する際には、身振りやしぐさを始めとする、言葉以外の手だてを駆使して真意を伝える。言語への不信を余儀なくされた環境により、身体とそれを扱う空間に対する意識が発達し、それが舞台創造にも反映されるようになった――というのが、クリーゲンブルク自身による分析だ。

 こうしたバックグラウンドを知ると、隠然とした巨大な負の構造に取り込まれ、破滅してゆくヴォツェックの物語への共感が、より切実なものに思われてくる。クリーゲンブルクの透徹した美意識に貫かれた『ヴォツェック』の不気味な闇の深さに、さらに戦慄を覚えることになりそうだ。

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写真:2009年公演より(photo:三枝近志
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アンドレアス・クリーゲンブルク Andreas Krigenburg

ドイツ・マグデブルク生まれ。ドイツ演劇界の鬼才にして、オペラ界でも数々の秀作を生みだしている気鋭の演出家。ベルリン・フォルクスビューネ、ハノーファー州立劇場、ウィーン・ブルク劇場、ハンブルク・タリア劇場等を経て2009年ベルリン・ドイツ座首席演出家に就任。ミュンヘン・カンマーシュピーレで演出した「ニーベルンゲン」でドイツの権威ある演劇賞・ネストロイ演劇賞の05年最優秀ドイツ演劇演出賞を受賞。タリア劇場での「最後の炎」は2008年ファウスト演劇賞を受賞。クリーゲンブルクの演出作品はこれまで9作品がベルリン演劇祭に招聘されている。演出・美術を手掛けたローアー作「泥棒たち」初演は10年ネストロイ賞・最優秀ドイツ語演劇演出賞にノミネートされたほか、ベルリン演劇祭及びミュールハイム演劇祭に招聘、ミュールハイムでは観客賞を受賞、ドイツで最も話題となる演劇誌「Theater Heute」誌の演劇評論家アンケートでベスト美術賞に選出され、話題をさらった。
オペラ演出作品には、2010年「オテロ」、2012 年「トスカ」などがあり、2012年ミュンヘン・オペラ・フェスティバル「ニーベルングの指環」新演出は世界が注目する中で大成功を収めた。2013年10月新国立劇場シーズン開幕公演「リゴレット」演出も大きな話題となった。



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