スペシャル・トーク
レポート


「東京裁判三部作」新国立スペシャル・トーク
─ 井上ひさしの現場 ─


第三回
2010年6月11日(木)小劇場
出席者:辻 萬長
    鵜山 仁
聞き手:大笹吉雄

東京裁判三部作の上演意義

大笹●この三部作の一挙上演というのは鵜山さんの芸術監督として企画だったんですけど、これをお考えになったのはやはり戦争というものにかかわりがあるんですか。
鵜山●そうですね。前にもこういう席でお話してるんですけど、この三部作は僕のなかで謎が大きくて、この人たちはなんでこの場に集まってきてるんだろうかとか、誰が誰を裁いてる裁判なんだろうかとか、いろいろ謎が多くて、それにちょっと消化不良の形で初演の初日を開けたこともあって、もろもろ宿題が多く、なんかの機会に一挙にやりたいと思い、一挙にやることで見えてくるところもあるんじゃないかと。それでレパートリーシステムみたいにできないかと思ったんですが、あるときは連続公演なんてとんでもない、これは『ヘンリー六世』とは訳が違うと怒られたりもしましたけど。つまり全然違う3人のキャラクターの主人公を演じなければいけないとか、つなげてやればいいというものではないとかですね。でも、お客さんのことを考えると、ある期間のなかで3本とも観ることができるということにしたいなあと。(拍手)
大笹●共感の拍手がきましたけど、3本通して出た方はいらっしゃいますか。
辻●最初はその予定でやろうとしたようですが、どう考えても本番と次の舞台の稽古が重なったりして、できない。で、とにかく2本までということになりましたね。
大笹●いや、でもきょうあらためて拝見して、本当にこんなにすばらしい舞台だったのかと思いました。
辻●初演がよほどひどかったみたいな。(笑)
大笹●いやいやそういうわけじゃないですが、でも井上さんの作品は再演して、どんどんよくなっていくんじゃないかしら。
辻●たぶんそれはあると思いますよ。いい本というのは、再演して絶対悪くなることはない。
大笹●井上さんご自身が三部作をぜひ連続でやってほしいということで、ほとんど遺言のような形で言われていましたけど、十分値するなあと本当にしみじみ思っていて、しかもこういう作品を新国立劇場がさっき鵜山さんが言ったようにレパートリーにしていただきたいと思いますね。それは芸術監督としてはどうなんでしょうか。
鵜山●まあ、そういうシステムになかなかなってないということもあって、システムの難しさですけれど、それこそさっきの連続公演の話じゃないですけれど、どっちがクォリテイを保てるかというのは微妙なところがあるんじゃないですかね。やっぱりある程度役者の力量はきりがないというか、いろんな形態をこなしていけるんでしょうけど、なんかひとつの作品を打ち込んでやっていくのと、日替わりでやっていく場合と、変わってくるような気もするし、ただ常打ちの小屋があるわけですから、どっかでレパートリーシステム的なことを取り入れてやっていければいいなと思いますよね。現にオペラはやってるわけですし。

『父と暮せば』のあとに『母と暮せば』が……

大笹●お2人は、『父と暮せば』という傑作舞台がありますが、海外公演も行われましたよね。
辻●僕は香港に行きました。その前の沖洵一郎さんはロシアでやりましたね。
大笹●香港での公演はどうだったんですか。
辻●よかったですよ。それも、この小劇場の半分ぐらいの大きさで、とにかく芝居をやってるという感じじゃない。とにかくそこに2人で暮らしているという空間で、やりやすかったですよ。
鵜山●大笹さんの『象』のときの公演プログラムじゃないけれど、『父と暮せば』が日本人の被害者意識だけで考えた物語とは絶対に思わないけれども、香港でやる時には南京で日本人が何をしたかと二本立てでやってほしいと井上さんに言われました。
大笹●なるほど。そういうふうに演出したんですか。
鵜山●やりませんでしたけど、中国本土でやるときは、考えたい。
大笹●みなさんご存じのように、これは広島の被爆した娘さんの話なので、そういうことがあるかもしれません。辻さん、娘役の女優が変わりましたよね。
辻●最初は西尾まりさんで、今は栗田桃子さんです。それぞれに僕はすごい助けられましたけどね。ただ、鵜山くんはたぶん打ち合わせていたと思うんですけど、『母と暮せば』という第二部をお書きになる予定だったんですよ。僕が息子になって、桃子が母親になって、母親は早く死んでるから年をとらない。息子はどんどん年をとってるんで、そういう母子関係みたいで書いてくださる予定だったと。
大笹●そうそう、井上さんはおっしゃってましたね。それと私が聞いたのは、岸田國士にたいへん関心をもっていらして、一時期否定的な岸田観をもってらしたんだけど、いずれ岸田國士の評伝劇を書きたいとおっしゃっていて、私は楽しみにしていたんですが、結局はそれも実現しないままになってしまいましたが、ぜひ書いていただきたかったですね。
鵜山●次は『木の上の軍隊』というのがあって、そのあと『母と暮せば』というのがあって、構想はあったみたいですが、いずれにしろ、確かに新作ができないというのは大変な痛手なんですけど、本当にいま読み直しがきくというか、再発見ができるという、むしろちょっとそっちのほうにシフトして、百の問題があったとしても全部井上さんに教わるわけにもいかないので、答えは自分たちで出すほかないと思っていて、そんなつもりで取り組んでいけたらなあと。それでこんなことを言うとあれなんですけど、われわれは直接井上さんと接することができた世代ですけど、20年30年たてば全然そういうことがない世代がでてくるわけで、そういう意味でも僕たちがなにか伝えていけたらと思います。

新作執筆中の井上さん

大笹●井上さんは稽古の現場によく見えたんですか。
辻●新作は脱稿してからですから、稽古中はまず無理で、劇場での最後の通し稽古ぐらいですね。でもね、びっくりしたのは、『ムサシ』という新作をやったとき。僕らこまつ座のときの新作は大事に鎌倉の自宅で書いてらっしゃるから、絶対に邪魔しないようにということで、ひたすら待つだけだったんですが、『ムサシ』のときは井上さんのところに陣中見舞いに行こうということになって、そんなことしたらと僕は内心思っていたんですが、実はそれが大成功で、藤原竜也と小栗旬が出ていて、彼らは若いから井上さんもあまりご存じないふうでしたが、井上さんの自宅にみんなで行った次の日に出てきた原稿がすごかった。まさに当て書きの、若い2人のキャラクターを生かしたすごい台詞が出てきて、そのときは新作で苦闘しているときでも井上さんのところに行ったほうがいいんだと思いました。
大笹●初めてですか、そういうことは。
辻●初めてです。新作執筆中に僕らは行ったことがありません。
鵜山●それまではわりと年齢的にも井上さんが直接ご存じというか、そういう人が多かったので、どこかで稽古場をのぞいてるんじゃないかと思うくらいに、『父と暮せば』でも、夏場で「きょうは暑いこっちゃ」みたいな台詞があったり、錦糸町が稽古場だった『兄おとうと』ではおもちゃ工場の話が出てきたりとか、稽古場で一緒に時間を過ごしてないと出てこないようなシチュエーションというか、温度というか、それがあったんですよ。稽古場にいるわけじゃないんですけど、いちいち連絡が届いたり、それこそ有名な話ですけど、役者の写真を人形に貼り付けたりして書いてらした。
辻●みなさんご存じですかね。「ユンケル」というドリンク剤の空き箱を切ってチラシにある俳優の顔写真を貼って机の上におき、書きながら、それを動かしてね。
大笹●ああ、そうなんですか。
辻●僕も、あるとき初めてその顔写真付きの箱を見ました。