シアター・トーク
[特別編]レポート


シリーズ・同時代【海外編】スペシャルイベント
シアター・トーク[特別編] 「タトゥー」


5月17日(日)新国立劇場小劇場
出席 デーア・ローアー(ドイツ・『タトゥー』作者)
   岡田利規(『タトゥー』演出)
   三輪玲子(『タトゥー』翻訳)
   鵜山 仁(演劇芸術監督)
   佐藤 康(フランス演劇・現代戯曲研究会メンバー)<司会進行>
   (通訳:蔵原順子)

『タトゥー』は、言葉のインスタレーション(三輪)

佐藤●演劇がそうなってくると翻訳する作業はこれからどういうふうになっていくんでしょうか? 私も経験があるんですが、翻訳家には、わかるようにしか訳せない本能があるんですよね。
三輪玲子三輪●上演を前提にして訳すのと、読者が目で追って読むために訳すのでは、大きく違いますね。読むために出版した時には、詩のような演劇テキストだと申しましたが、言葉のインスタレーションのようにも見えたんですね。同じ言葉が並んでいるのは、ビジュアルを言葉で作るというか、現代詩のようにも見えたので、見た目にもそれが出るといいなあと思って訳しました。岡田さんが稽古場で俳優のみなさんによく言うのは、“いる”ことと“もつ”ことです。「もっていればいいから、それが現れてこなくても」という表現や、「そこにいる、いかた」という言い方がありました。ローアーさんの作品では、そこに確かにアニータがいる、ルルが何かもってそこにいる、その感じだけはじんじん伝わってくるんだけれども、確かにそれは言いようの無いことを現すということが実っているからこそだと思います。
佐藤●ローアーさんの作品は、1作ごとに文体は違うんですか?
三輪●『タトゥー』は人物が自分のことを喋るようになっていますが、今回のシリーズの関連イベントで上演したリーディング『最後の炎』は3人称で語る方法も取っています。本人が自分のことを3人称で語るということもありますし、ト書きのような内容を俳優が語ることもあって、そこも岡田さんと似ているなと気がつきました。
PhotoD.L.●『タトゥー』を書いた後、自分でも当惑したのですが、この文体で10作ぐらい書けるぞという気分になりました。到達した気分で満足しかけたのです。でも、それは見せかけの満足だと自分でもわかっていたし、この満足感からすぐに離れなくちゃと思いました。どこかに到達したという気持ちのままで満足感を味わってしまうのは最悪のことだと思います。毎回毎回、新しい文体を見つけるのは無理だと思います。どんなにがんばっても私の文体というものから離れることはありません。それでも、何かしら変化させる、発展させることは必要だと思います。私自身が退屈したくないし、お客さんを退屈させたくもないですね。私の文体は発展していっている、常に動いていると思います。
佐藤●ローアーさん、最後にメッセージをひと言お願いします。
D.L.●今回の来日で日本語の単語を3つ半ほど覚えましたが、次回の来日では文章をみなさんに披露できるようにお約束します。
佐藤●本日は、みなさんどうもありがとうございました。