シアター・トーク
[特別編]レポート


シリーズ・同時代【海外編】スペシャルイベント
シアター・トーク[特別編] 「タトゥー」


5月17日(日)新国立劇場小劇場
出席 デーア・ローアー(ドイツ・『タトゥー』作者)
   岡田利規(『タトゥー』演出)
   三輪玲子(『タトゥー』翻訳)
   鵜山 仁(演劇芸術監督)
   佐藤 康(フランス演劇・現代戯曲研究会メンバー)<司会進行>
   (通訳:蔵原順子)

リアリズムでこの劇を上演することは選択肢としてありえない(岡田)

佐藤●本年度、新国立劇場で進めています“シリーズ同時代”の海外編を3作上演してまいりましたが、その最後の上演で、デーア・ローアーさんの『タトゥー』をご覧いただきました。ドイツから、この公演のために作者のローアーさんをお招きしていますので、ローアーさんを囲んでお話できればと思います。たいへん刺激的な舞台でしたが、ローアーさんは、日本での『タトゥー』をどんなふうにお感じになったか、教えていただけますか?

Photoローアー(以下D.L.)●すばらしい上演だったと感銘を受けています。ゲネプロと初日を観ましたが、初日はゲネプロよりさらにすばらしかった。昨年12月に岡田さんの作品がベルリンで上演される際に観る機会がありました。その時点で岡田さんが『タトゥー』を演出されることは決まっていまして、私としては好奇心いっぱい、不安もあって、いったいどんな人なのだろうか、どんな作品をつくる方なんだろうかと思いながら、ベルリンでの舞台を観に行きました。私は、岡田さんの身体言語に魅了されて、今回の『タトゥー』の演出も楽しみにしていました。岡田さんのもっている演劇的な言葉については、後ほどお話できたらと思います。
佐藤●伝統的な演劇だと、作家がいて演出家がいて、最近は演出家のほうが強かったりしますが、ともかく、ある種のヒエラルキーがあります。しかし、この上演はヒエラルキーを感じさせない新しい演劇です。三輪さんにこの作品にどのように出合って、翻訳するご苦労はどういうところにあったか、お話いただけますか?
三輪●日本では英語圏以外の戯曲を出版させていただく機会はなかなかありませんが、幸運にもドイツ語圏の現代戯曲ということで出版して紹介しようという機会があり、そのなかで『タトゥー』を紹介できることになりました。ドイツ語は論理的な構造をもっている言語ですが、『タトゥー』では、それを崩して詩のように、ロジカルではないように、ローアーさんは言葉を構築していらっしゃいます。詩のような戯曲を日本語に訳していく時に、できるだけ何もしないように、よけいなことをしないようにしました。あとは、詩のリズムが日本語のなかにもうまく表れるように注意して訳しました。
佐藤●出版された『タトゥー』と今回の上演台本はずいぶん違っていて、舞台化にあたり、台本をつくる作業を岡田さんとなさったと伺いました。岡田さんにテキストとどういうふうに向かい合って台本をつくられたか、またこの作品とどういうふうに向かい合って演出したか、お話いただけますか?
岡田利規岡田●テキストに関しては、上演のための本として三輪さんと一緒に書き直したいと申し出をして、三輪さんが快く受けてくださいました。僕が書き直して三輪さんに見ていただいて問題点があれば原文に近いように戻してもらってというやり取りを何回もしました。翻訳劇のいいところは、訳した日本語を好きな日本語にできるところですね。そういう意味で日本語の戯曲はイヤですね。(笑)リハーサルが始まった後も結構直す作業がありました。三輪さんがかなり頻繁に稽古場に訪れてくれて、稽古の初期はほとんど毎日来てくれました。日本語として普通の語順をもっと崩してしまっても、俳優が喋っているのを聞くと大丈夫だということが了解されてきて、結局はドイツ語の語順とほとんど変わらない語順でいいんじゃないかということになりました。読み物としては、日本語としてわかるように語順を入れ替えて三輪さんは出版していたんですが、それをやめてしまったんです。元に戻していくというか、どんどん直訳になっていった。それでもいいんだと言ってやっていったことは最終的に僕たちにはいいことになって。リアリズムでこの劇を上演することは選択肢としてありえないと思っていた以上、言葉が自然な流れで書かれていると、俳優にとっては苦しいんですよね。このセリフ、するっと自然に言えちゃうのに、リアリズムでやるなと言われるのは苦しくて、リアリズムでやるなと言うんだったら、その語順をリアリズムで演じようがないものにしたほうがいい。そういうコンセンサスが初期に現場にできてきました。そうしたいろんなことがうまく噛み合ったのかなと自分では思っています。