現代戯曲研究会


座談会 連続3回掲載その(1)
いま、同時代演劇とは?
小田島恒志 佐藤 康 新野守広 平川大作 鵜山 仁(進行)

演出家の登場で劇作家は……
佐藤●いまの話を引き継いでフランスの話をするのは大変ですが、鵜山さんからベケット以降という問題提起がありました。そもそも作家の作品史として演劇史を語ることができるのは、フランス演劇の場合、19世紀の終わりまでで、19世紀末に演出家が誕生する。アントワーヌという人が自由劇場を始め、ほぼ同時期に象徴派演劇の劇場もできます。しかしまだ、20世紀の前半ぐらいは演出家と作家の関係が均衡状態を保っていて、演劇史的には演出家の歴史であると同時に作家の歴史でもあった。その後、イヨネスコ、ベケット、ジュネというヌーヴォー・テアトルと呼ばれる人たちの世代でほぼ、作家の作品の歴史としての演劇史を語ることが止まってしまう。その大きなきっかけになったのがブレヒトなんです。

鵜山●ということは、“ベケット以降“じゃなく、こちらでも“ブレヒト以降”ですか。

佐藤●ブレヒト以降という問題は、ドイツ演劇よりむしろフランス演劇のほうに正しく設定ができると思います。フランス演劇でのブレヒトの問題は作品に関することではなくて、演出家が作家の書いた作品を再解釈して観客に投げかけることができるんだという発見です。1954年にベルリナー・アンサンブルがパリにやって来て、『肝っ玉おっ母とその子供たち』を上演した。それまで『民衆演劇』という雑誌をつくっていたロラン・バルトとベルナール・ドルトという批評家が、たちまちブレヒトにかぶれてしまって、フランスにおけるブレヒティズムの普及を図ることで“演出家の演劇”というものを準備した。そもそもフランスではパリのブルジョワジーしか演劇を享受できない状態だったんです。演劇芸術をすべての人の手に届かせるんだという民衆演劇と呼ばれる運動があり、それがフランス全土に公共劇場を作りました。そのトップに演出家をあてる、しかもブレヒティズムの波をかぶった演出家たちです。古典作品を現代の演出家が再解釈して提出するという演劇に公共劇場がなってしまう。それがうまくいったものですから、劇作家がいらなくなる。現代の問題を語るのにモリエールを例えば今日的に新しく移民の問題として上演してしまえば、現代作家の新しい作品は必要ない。公共劇場としてフランスの古典をやっているという口実にもなるわけです。おりしも、1968年以降、アメリカへ渡ったモダニズムの流れが、パフォーマンス・アートとなってブーメランのように帰ってくる。身体の演劇とか、パフォーマンスの演劇と呼ばれるものがフランス中を席巻し始める。二重の責め苦の中でますます劇作家がいらなくなってくる。ここから劇作家受難の時代が始まるわけです。それがおそらく今まで続いていると考えています。

鵜山●ベケットの『ゴドーを待ちながら』には、物語や登場人物や言葉の解体の端緒が見えますよね。

佐藤●ベケットがストーリーを解体し、イヨネスコが言語を解体し、ジュネが登場人物を無制限に増殖させて登場人物を解体した。不条理演劇の作家たちによって、すでに戯曲の解体という作業は完了しています。80年代以降の作家はむしろそれを再構築しています。