現代戯曲研究会


ヤスミナ・レザの最新作『殺戮の神』
佐藤 康

『殺戮の神』とはまた、ずいぶんと大仰な題名にしたものだ。『アート』や『人生の3つのヴァージョン』で世界的に人気の作家ヤスミナ・レザが、虚構を何層にも重ねた『スペインの芝居』(日本での上演も優れていた)についで発表した最新作は、題名とは裏腹に、ふた組の夫婦が応接間でくりひろげる、狭い世界を舞台にした会話劇である。

この夫婦は子どもが同じ学校に通う親同士であるが、子どものエスカレートした喧嘩がもとで、顔を傷つけられ、歯を折られた子の家へ、加害者の親が謝罪に来るという設定である。始めのうちは謙虚と寛容に彩られたソツのない会話が進行するのだが、しだいにあちこちに亀裂が走り、抑圧されていた負の力が噴き出すかのように状況はカタストロフィックな修羅場へと変貌していく。

状況を悪化させる引きがねとなるのは、弁護士をしている加害児の父親の携帯電話にひっきりなしに着信があることだ。自分が顧問をつとめる製薬会社の薬害事件が発覚し、その処理に追われて、子どものことなど眼中にない夫の姿に不安神経症ぎみの妻は生理的な反応を起こし、ついには嘔吐する。

汚物は美術愛好者であり作家である、被害児の母親が大切にしている画集の上へ飛び散り、これを拭ってドライヤーで乾かすのどうするの、と大騒動が持ち上がる。ヒステリックになった彼女と夫は、しだいに不仲を露呈させて取っ組み合いとなる。劇の後半はラム酒の勢いもあって、エゴイズムの爆発となる。

この被害児の母親はアフリカ紛争に旺盛な人道的関心を持つリベラル活動家の知識人として描かれている。子どもの喧嘩に世界平和の原理を持ち出す大袈裟な論法は、フランスの左翼勢力への風刺を秘めている。この面にかぎって言えば、ここにはレザが昨年のフランス大統領選挙において、右派サルコジに密着した選挙戦レポートを刊行したこととの間に、政治的な関連があることは見逃してはならない。だが同時に、企業利潤の原理にのみ奉仕する弁護士の醜態も、レザは揶揄することを忘れてはいない。劇の後半、業を煮やした弁護士の妻は、夫から携帯電話を奪うと、それを花瓶のなかに投げ棄ててしまう。再びドライヤーが大活躍するドタバタ騒ぎのなか、うちひしがれたように弁護士は、自分の人生のすべてがこの携帯電話のなかに詰まっていたんだ、と訴えることで、またもや妻の逆鱗にふれてしまう。

ただひとり良識派としてふるまっていたのは被害児の父親なのだが、この父親も娘が可愛がっていたハムスターを嫌悪するあまり、それを路上に棄ててきたという行状が明らかとなると、野蛮な殺人者よばわりをされることになり、ペシミスティックな人生観のなかに沈んでいく。それが理想主義的な妻との間の亀裂をあらためて浮き彫りにする。

そもそもは、喧嘩した子ども同士の関係をどのように修復させるか、話し合いに集まった親同士である。しかし親たちは最後まで和合への道を見出せず、修復不可能な、悲惨な状況のなかに弧絶するしかない。何という人間不信のドラマなのだろう。

社会の、世界の寓話劇とみるべきだろう。

パリでは昨年から今年にかけてアントワーヌ座でロングラン。イザベル・ユペールほか豪華キャストで話題となった。演出はレザ自身の手で行なわれた。そのほかドイツ、スイスでも別の演出で(よりカタストロフィックなトーンが増幅されて面白い)上演されて評判となった。
(学習院大学講師)
<2008.10.23発行『山の巨人たち』プログラムより>