現代戯曲研究会


エリ・プレスマンの世界
佐藤 康

現代戯曲研究会の活動も2年目を迎えました。いよいよ新国立劇場内に何らかの形でアーカイヴを構築し、海外の同時代作品の翻訳を広く紹介、提供できるようにしていきたいと考えています。今回はフランスからエリ・プレスマンという劇作家を紹介します。

早熟とか夭折をもてはやす癖があるフランスにしては珍しく、エリ・プレスマンは70歳をこえて突如として全4巻の戯曲全集が刊行され、世に(広くとは言えませんが)知られた晩成の作家です。ユダヤの血をひくプレスマンは幼い頃、両親を収容所に連れ去られました。そして、それから50年後、作家自身の分身を思わせる幸福そうなおじいさんを主人公とする『聞かせてよ愛の言葉を』が書かれることになりました。

このおじいさんは、母親が収容所から帰ってくるという妄想をかかえて生きています。そこへ本当に(?)母親が30代の姿のまま帰ってくるのです。だが、いくら母親が語ろうとも、ホロコーストの記憶はすでに老境にある「子」には共有されません。母親自身も、それは伝達不可能な経験なのだと言います。母親は家族が全員集まる食事に招待されますが、結局は姿を現すことがありません。しかし、母親のために注がれたワインだけはいつの間にかなくなっています。──不在としての現前。それとはべつに、母親は家族一人ひとりの目の前に次々と幻影のように現れては、生きるメッセージを与えていたのでした。そのなかでホロコーストの記憶は、母親に裸の体を洗ってもらうというエディプス的体験のなかに昇華され、幼いひ孫へと伝えられます。そして母親は、眠る子の傍らで別れを告げ、再びガス室へと消えていくのです。

収容所の悲惨な体験は、ホロコースト後の20世紀後半の世界史が刻んだ新たな悲劇の数々を想起させつつ、孤独な声のなかに消されていきます。

ユダヤ人の老いた「殺し屋」とアラブ人の若者が、砂漠のなかの停留所で「永遠行き」のバスを待っている、という奇抜な設定の『ドン!』は、全編に苦いユーモアをただよわせた作品です。結末では老人が大切にしていた殺しの道具であるナイフが若者へと譲渡され、そのナイフで若者が老人を刺し殺す、(いや、刺し殺してもらう、というほうが正しい)という終わりなき殺戮の「歴史の継承」が達成されます。両者の融和がありうるとすればこの形しかない、という寓意でしょうか。老いてこその認識かもしれません。

奇想天外なのは『水洗装置』という作品でしょう。人間たちが死ぬと召集されて死刑台のような階段の向こう側へ落ちていく(そのたびに水洗トイレの音がする、という設定です)。場所が舞台です。いろいろな人物がやってきては滑稽な辞世の演説を残して去っていくのですが、生きていてもしょうがないという自殺志願のホームレスが、召集されてもいないのに禁を犯して向こう側へ行ってしまうところからドラマは始まります。そこで彼が体験するのは、ある種の精神分析的な再生の物語です。それとはべつにこの場所ではカップルに愛が芽生えて、いつの間にか赤ん坊が生まれているのですが、カップルは向こう側へ落ちていきます。還って来たホームレスが赤ん坊をかかえて未来を生きていく、という結末です。

どの作品も、年齢を感じさせない若々しく自在な文体で、濃密な世界をつむぎあげています。

まだまだ、紹介したい作家がたくさんいます。今後の研究会の活動をお楽しみに。
(学習院大学講師)
<2008.5.27発行『オットーと呼ばれる日本人』プログラムより>