現代戯曲研究会


戯曲を通して見る同時代の演劇-イギリス- 1
平川 大作

登場人物が総勢21人で、セリフ量や出番はほぼ同じくらい。場面は第1幕が13場、第2幕が14場、第3幕が14場で合計41場。描かれるのは北アイルランドの首府ベルファストのある夏の一日。

オーウェン・マカファーティ(Owen McCafferty)による『シーンズ・フロム・ザ・ビッグ・ピクチャー』(Scenes from the Big Picture)は、2003年にイギリスの国立劇場コテスローで初演された群像劇だ。戯曲の形状スペックを書き出すと上記の通りで、人物が入れ代わり立ち代わり演じる小景の積み重ねによって、一つの都市全体の限られた時間を横断的に、分析的に描く構成になっている。戯曲のタイトルとしてはいささか即物的に過ぎるかもしれない。

マカファーティは1961年生まれなので、作品発表時には42歳。それまでには、4人のタイル貼り職人が二組に分かれてお互いの裏をかこうとする『Shoot the Crow』が1997年、ビデオやインスタレーションの手法を取り入れつつ故郷から追い出された人々を描いた『No Place Like Home』が01年、パブの一日を通して人生の断面を描く『Closing Time』が02年。『シーンズ』は新進劇作家から一歩踏み出した渾身作の観がある。

マカファーティは食肉会社の重役からドラッグストア経営者、パブの常連客に麻薬密売人、主婦、男に頼る女、無職の若者など、社会の各階層と各側面にわたる多様な履歴を登場人物に用意して、バランスよく配置している。そこに浮かび上がるドラマを指折り数えれば、三角関係が少なくとも3つ、子どもの喪失が2つ、犯罪が2つ以上、狂気の予感が3つ、父と息子の和解が2つ、性的関係が2つ、殺人が2つ、葬式がひとつに出産がひとつ、あとは恋心、悔悟、決意、誤解など人生に起こりうる一通りの事柄が揃っている。

さぞかしてんこ盛りで波瀾万丈の作風かといえばそうではなく、場面はあくまで日常の空気と佇まいを基調にしているのが面白い。アルトマンの映画を思わせるという劇評もあった。マカファーティの筆法は登場人物たちと場面に対して一定の距離を保ちながら、「大きな絵」のためにパズルの一片一片を丹念に削りだし、順序よく観客の前に並べている風がある。手練れの職人だ。

とりたてて技法や発想が斬新なわけではない。今から10年前に存在しても、10年後に発表されたとしても不思議はない作品だ。劇作家は注意深く、作品の描く世界とその細部が北アイルランドの具体的な歴史的事象や背景に回収されないように配慮している。確かに劇中ビールの量は普通でないが、聖人や妖精、政治的事件への言及はほとんどない。観客の胸中に浮かび上がるベルファストは遠い異邦の地ではなく意外に近いところにある。そこはもしかしたら「明日、自分が住んでいる街」なのかも知れないと思わされるだろう。

だからといって、自分までたやすくパズルの一片と化すことはできない。そのためには登場人物たちの話す訛りの強い英語を会得しなければいけないからだ。ところどころ単語の音節が省略されたセリフは、ポキポキとした少々無骨なリズムを刻んでいる。文頭は小文字のまま、ピリオドや疑問符も記されていないのは喋り口調としての言語を強調したいためだろうか。この戯曲を日本語で上演するとして、方言の響きをどう「翻訳」すればいいのか。「いかにも、それっぽく、らしい感じ」という以上の工夫ができないものかと思案している。

衝撃的な問題作でもなければ、火急の時事性をはらんでいるわけでもない。地域文化を劇作上の武器として振りかざしもせず、だからといって普遍と抽象に走りもしない。喜劇と悲劇の適度な調合は言うに及ばず、ブレヒトとピンターの余韻さえ響かせるマカファーティは、欲張りにもドラマの一大カタログを書き上げたかのようだ。『シーンズ・フロム・ザ・ビッグ・ピクチャー』。それはドラマの概念を的確に書き下した言葉でもある。
(大手前大学社会文化学部助教授)
<2007.11.4発行『異人の唄』プログラムより>