現代戯曲研究会


戯曲を通して見る同時代の演劇-ドイツ- 1
新野 守広

新国立劇場のスタッフを交えて、英語圏、フランス語圏の演劇に詳しい専門家と一緒にヨーロッパの同時代作家の戯曲を読んでいる。ヨーロッパ各言語圏の違いが浮き彫りになる。ちょっとした笑いの質感や何気ない呼びかけに込められた感情に、微妙な違いがある。そもそも各言語圏の演劇を取り巻く環境が、かなり異なる。戯曲が生み出される文化的な背景とテクストの表現の差にはっと驚き、笑い、うなずき合う日々が続いている。
特にドイツ語圏諸国(ドイツ、オーストリア、スイス)は、多額の財政援助を行って演劇を手厚く保護している。各地方の中核都市には、たいてい立派な公共劇場があり、演出家や俳優といった芸術部門のスタッフが常勤で雇用され、自治体の手で運営されている。目下、自治体は緊縮財政に苦しんでいるとはいえ、劇場文化はまだまだ健在だ。

ところが、演劇が「文化」として保護されてしまうと、若い劇作家がデビューするのはむずかしくなる。日々演目を入れ換える「レパートリー制」では、ギリシア悲劇から現代劇までの名作が主流になる。古典とはいっても、演出家の大胆な解釈によって斬新な舞台に生まれ変わるので、同時代の戯曲の方がかえって地味に見える。

しかし同時代作家が演目から消えれば、演劇はすたれてしまう。そこで各劇場とも、レパートリーの一部を同時代作家に割り当てたり、リーディングや演劇祭の枠を使ったりして、書き手が枯渇しないための工夫をしている。このような環境から、個性的な劇作家が育ってきた。

そのトップバッターは、1990年代にデビューしたデーア・ローアー(1964生)だろう。「人間の不幸を静かに見据え、その深層を詩的リズムで語りあらわす」(三輪玲子『タトゥー』解題、ドイツ現代戯曲選21巻、論創社)彼女は、現代社会の矛盾を鋭く突く独自の作風を展開している。特に『タトゥー』(1992年)は、閉ざされた家族の愛憎をややグロテスクに描きながら、近代化された社会に残存する複雑な心理を浮き上がらせ、多くの賞に輝いた。以来彼女は、残酷さとユーモアが紙一重でつながる作風を確立し、ほぼ1年に1作の割合で戯曲を発表している。

1996年からフリーの劇作家として活躍しているローラント・シンメルプフェニヒ(1967年生)も興味深い。オペラ台本からラジオ劇まで執筆する彼の作風は多彩であり、ロマン派風の幻想芝居から、ホラー・サスペンスにいたるまで、何でもものにする才気がある。なかでも『昔の女』(2004年)は、24年前に別れた昔の彼女が突然目の前に現れたのをきっかけに、男の家族が次第にバラバラになっていく様をサイコ・サスペンス風に描く秀作だ。過去の記憶のため生活が混乱する男の姿を、時間をずらしながら描く作風は、「日常の詩学から、彼独自の「謎の美学」を生みだしている」(大塚直『前と後』解題、同戯曲選18巻)。

そして次に挙げるのは、……。そう、この作業は、嬉しいことに、尽きることがない。たくさんの戯曲を読んだ。本邦初訳も多い。これからも読む。そのなかから何本かの戯曲が舞台化される日は、それほど遠くはないようだ。
(立教大学教授)
<2007.9.27発行『アルゴス坂の白い家』プログラムより>