世界の劇場


モンゴル

モンゴル演劇の特徴と歴史

モンゴルにおける演劇の歴史は、この国の生活様式や文化、伝統と切り離せないものであり、現在もモンゴルの演劇がその文化や風習、そして国家としてのアイデンティティに由来していることは間違いない。例えば「チャム」と呼ばれる宗教的な仮面舞踊は、あらゆる不幸や災害から人々を守り、幸福を祈るものだが、今日「チャム」踊りといえば伝統的な音楽劇であると考えられている。  

モンゴルでは馬の搾乳、テントの設営、馬上の合図、婚約や結婚の儀式など、遊牧にかかわる行為はすべて演劇的かつ音楽的要素を含む舞踊や演出をともなっている。

また、古くから劇場が存在した痕跡もある。チンギス・ハーン(1162?〜1227/皇帝在位1206〜1227)の時代からボグド・ハーン(1869〜1924/皇帝在位1911〜1919・1921〜1924)の治世に至るまで、皇帝の庇護のもとで建設された劇場があったと思われる。その例としてドルノド県をはじめ、ドルノゴビ県、オヴズ県、ホヴド県、セレンゲ県など各県にあり、そこでは多くの演劇やその他の公演、見世物などが上演され、音楽や舞踊の指導も行われていた。

しかし、清王朝の時代から1921年までの約200年間で、専門的な劇場の役割や機能は失われ、忘れ去られてしまった。1921年にモンゴルが独立すると、若者たちが自発的にさまざまな公演やショーを上演しようという動きを起こし、彼らの手による指導の場も設けられた。新政府ならびにモンゴル人民革命党はこうした活動を奨励し、本格的な劇場の設立を支援した。こうした動きのなかで、プロの俳優やアーティスト、専門家が隣国のロシアから招聘され、若手の育成が進められた。

外国の古典的な名作も上演

1931年11月12日、近代モンゴル初のプロフェッショナルな舞台作品として、S・ブヤンネメフ作『真実』が上演された。こうして、モンゴルにおける本格的な演劇活動の幕が上げられた。また、同年、モンゴル国立ドラマ劇場がつくられた。以後、モンゴル演劇界は急速に発展し、成功を収めていく。翌32年には、モンゴルの劇団がロシアのモスクワで開催された国際自由演劇祭に参加し、S・ブヤンネメフ作『暗黒の政府』を上演して第2位に選ばれた。これは、モンゴルの演劇が国際的水準に達したことを示すものだった。

当初は政府の政策や政治的な内容を扱った作品の上演が盛んだったが、時代が流れるにつれて社会生活の維持も容易になり、それにあわせて作品のテーマや内容も伝説や歴史を取り上げたものが増えたのと同時に、人々の日常を表現するものも目立つようになる。また、第二次世界大戦中は、戦争や戦場、兵士にかかわる作品が増加した。

戦争の終焉とともにモンゴル演劇界はさらに発展を続け、児童劇、人形劇、演劇、オペラ、バレエ、サーカスなどさまざまなジャンルが興隆した。また、地方の劇場や劇団も次々と設立された。

モンゴルの劇場では世界の古典的名作も上演され、ゴーゴリ、ロペ・デ・ヴェガ、ゴルドーニ、チェーホフ、シェイクスピア、エシル、イプセン、ショーロフ、オストロフスキー、オニールといった劇作家の作品は、モンゴルの人々も高く評価してきた。こうした世界的名作に加え、自国の作品や現代劇の人気も高い。

一党独裁の社会主義の時代は、世界の情報や動向を知ることが困難だったこともあり、社会主義的リアリズムが主流となる表現方法だった。この時期、他の表現方法はほとんど知られず、普通とは異なる視点でそれを理解するしかなかった。

ITIに加入し国際交流も

1990年に民主革命が始まると、モンゴルの経済・社会生活は大きく変貌した。モンゴルの演劇界でも、新しく自由で発展的な上演方法が試みられるようになった。

今ではモンゴル国内各地に30を超える国立ならびに民間の劇場や劇団があり、国立劇場はモンゴル政府の支援を受けている。中でもオペラやバレエのための国立劇場は、民主革命以前の1963年にウランバートルに初めて誕生したもので、モンゴルの劇場の歴史においても特筆すべきものである。一方、1931年にできたモンゴル国立ドラマ劇場はモンゴル最大の劇場として、国内外の演劇、音楽、舞踊の公演はもとより、若手芸術家の養成、伝統芸能の保護を精力的に行っている。

国際交流の面では、1991年、ITI(International Theater Institute、国際演劇協会)に加盟し、以来ITIモンゴル支部では、ITIが主催するあらゆるイベントの宣伝広報を行うほか、多数の活動に参加している。さらに同支部は、モンゴルの演劇の国外上演、他国の劇場やアーティストたちとの国際交流やワークショップ、協力活動にも積極的に携わっている。

ナムスライ・ソブド[モンゴル国立ドラマ劇場副館長]

<2011.6.27発行『おどくみ』公演プログラムより>