世界の劇場


フランス

首都から地方へ

「国立劇場」は国民国家の形成に歩調を合わせて欧米を中心に発達したものだが、英米ではあまりなじみ深いものではなく、むしろ大陸ヨーロッパ諸国で盛んになったと考えるべきだろう。その一方のモデルは旧共産圏に存在したもので、まさに国家の威信をかけた手厚い劇場だった。公務員扱いの専属俳優やスタッフを多く抱え、(党から煙たがられない限り)恵まれた環境で演劇ができたそのスタイルは、体制崩壊後もたとえばドイツの公共劇場にうまく継承されて成果を生んでいると言えよう。

けれどもフランスの公共劇場はこれとはかなり違う思想を基にしてできた。それは「演劇をパリのブルジョワジーに独占させない」というスローガンに言いつくされている。したがって劇場をパリから「地方へ分散」することと、演劇を娯楽と一線を画した「芸術」にすることが、その運動を貫く軸となった。こうして、狭義における国立劇場のほか、フランス全土に点在する国立演劇センター(約30)、国立振付センター(約20)、国立舞台(約70)など、日本風に言えばさまざまな「創造拠点」のネットワークを擁する「文化大国フランス」ができあがったのだった。たとえ国立劇場を除く拠点に対しては、国より自治体のほうが多くの助成をしていても、そのディレクターの人事権は中央の文化コミュニケーション省が握っている。フランスの文化政策はあくまでも官僚主導。その意味での「国立」なのである。地方分散とは、地方分権のことでは毛頭ない。

この点でもフランスは、そもそも州を単位にする劇場が発達しているドイツが、分散しているものを中央へ集約しようとする文化政策に力を入れるのとは全く逆の考え方をしている。毎年の州立劇場の「ベスト10」を首都へ集めるベルリン演劇祭がその典型だろう。フランスではそもそも、公共演劇の「年間ベスト10」など、想像さえできない。

国立劇場の顔

複数ある「国立劇場」は、それぞれが補完的な役割をもつように編成されている。

@コメディ・フランセーズは言うまでもなく300年をこえる歴史をもつ古典の殿堂である。公共劇場というより、本質的にはフランス劇の「伝統と現在」を創造するエリート俳優集団と考えたほうがいい。終身年金つきの専属俳優を抱え、日替わりでレパートリー制の公演を行う劇場としては唯一のものである。歴史の重みから保守的たらざるをえない側面もあるが、近年は現代作品をレパートリーに取り入れる姿勢も見せている。

Aオデオン座は18世紀の末からある古い劇場だが、歴史の荒波にもまれ、紆余曲折を経て今日まで存続してきた。現在ディレクターをつとめるオリヴィエ・ピィは毎年のように自作を自らの演出でこの舞台にかけている。公共劇場の舞台でディレクターが自作を上演するのはきわめて例外的と言わねばならない。「ヨーロッパ劇場」というステータスも兼ねている劇場だが、その側面はピィ時代にはあまり強調されていない。

Bオペラ・コミック座は2005年に新しく国立劇場に加わった劇場だ。オペレッタを主要演目にしているが、制度的にはなぜかパリ・オペラ座(6つの国立劇場を合わせた額よりも多額の助成が行われている)のカテゴリーではなく、演劇のほうに入っているのでここに併せて挙げておく。  以上3つの劇場は19世紀以前にできた馬蹄形の客席を持つ、歴史文化財としての一面もある国立劇場である。

Cシャイヨ劇場は市民ホール的な横並び座席をもち、かつてここが民衆演劇運動を牽引した劇場であることを納得させてくれる。しかし、プログラムが他劇場の前衛と伝統に挟まれて埋没しがちになり、昨今は演劇とダンスの双方にまたがるプログラムに新たな方向性を見出そうとしている。

Dコリーヌ劇場は現代演劇に特化した劇場である。これはそもそも地方分散化の動きとともに、パリの中での東西問題、つまり西高東低の文化施設配置を是正するために国立パリ東部劇場(TEP)が造られた。その後コリーヌ劇場がその付近に造られたためにTEPが国立劇場を剥奪されるという混乱の引き金になった劇場である。かなり先鋭的な上演の数々に彩られているが、各公演の評価は安定しているとは言えない。

Eストラスブール劇場はパリ以外の地にある唯一の国立劇場である。そもそもは演劇を通してアルザス文化圏に「正統な」フランス語文化を植えつけようという政治的な意図から造られた。しかし皮肉なことに、ここに付設された演劇学校で指導にあたった演出家や演劇学者たちによってもたらされたのは、ベルリンのシャウビューネが創出した、ドラマトゥルクが活躍する公共劇場のヴィジョンであった。

国立演劇センター

国立演劇センターは各地に多数あり、ディレクターや地域的特性によって活動にかなりの「温度差」がある。保守的なところはモリエールなどのフランス古典、ヨーロッパ古典をいくつか含む演目(これは多分に地域の中高校生のためでもある)に、さまざまな現代作品を組み合わせて年間プログラムを組んでいる。自主制作は年間5本程度で、年間通しての15〜20演目の残りは、他のセンターからの巡回公演や地域劇団の公演にあてているようである。しかしこれはセンターが使用料を取っていわゆる貸小屋をしているわけではない。一方、いくつかのホットなセンターはヨーロッパ前衛見本市のような様相を呈す。

こうした国立施設のディレクター(芸術監督という呼称ではない)は、ほとんど演出家である。規定でこのポストには「芸術家」が就かなければならないとされている。地味な小規模のところで制作系、広報系、教育系、技術系からなる15人程度、活発な活動をするところだと、その倍にあたるスタッフが働いているようだ。ドイツとちがい、ドラマトゥルクという役職は原則的にないが、地域の演劇教育を担当する専門スタッフはいるようだ。このあたり、我が国の参考になるかもしれない。

佐藤 康[フランス演劇研究、舞台翻訳家]

<2011.4.5発行『ゴド―を待ちながら』公演プログラムより>